第36話 ローリーお嬢様と従者ラン君(3)
カツカツカツカツ。
コン、コン。
石造りのロシュグリー城に、きびきびとした靴音が響く。
ぴたりと止まったかと思えば、ていねいにドアをノックする音が続いた。
「失礼いたします。ランです」
さわやかな声に反応するかのように、ドアがするりと開けられた。
ドアを開けたオーロラの侍女であるエマは、一瞬、目を丸くしたものの、落ち着いて室内に声をかけた。
「ローリーお嬢様、『ラン』がまいりました」
「待っていたわ。通してちょうだい」
答えたのは若い女性の声。
『ラン』は静かに室内を進んだ。
「ローリーお嬢様。従者としてお仕えすることとなりました、ランと申します。心を込めてお仕えいたしますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「ありがとう。こちらこそよろしくね。ラン……年上の方を呼び捨てにしずらいわ。ラン君、とお呼びすることにしてもいいかしら?」
「はい!?」
『ラン』が慌てて顔を上げると、そこには、にっこりと微笑む若い令嬢の姿があった。
艶やかでくるくると巻いた、豊かなブルネットの髪。
薄い色の瞳が印象的な目もとは、グリーン系のアイメイクが施されている。
胸もとが四角く上品に開いて、ほっそりとした首筋が美しい。
ドレスは上等のワインのような、バーガンディ色。
ぴったりとした上半身と、ふわりとしたスカート部分が印象的だ。
そしてまるで花のようにふわりとほころんだ唇は、淡い赤で、どきりとするような艶やかさがあった。
髪の色、それに化粧が違うだけで、こうも印象が変わるものなのか。
……とても、オーロラ嬢に見えない。
見えないのだが……。
『ラン』は思わず、にじっとローリーに近づいて見つめようとして、パシ! と扇で叩かれた。
「ちょっと。近すぎですわよ」
「伯母上!?」
「『伯母上』ではありません。あなたは『従者ラン君』なのでしょう? これからは、わたくしのことは、『アデル様』か『奥様』とお呼びなさい」
「は! そうでした。申し訳ありません」
『ラン』は思わず深々と頭を下げた。
すると、頭上からぷぷ、っと声がした。
「本当に別人みたいですね? ラン君、本当にアスラン様なのですか?」
『ラン』が慌てて顔を上げると、至近距離に『ローリー』が立っていた。
面白そうに笑っている『ローリー』の瞳は、見慣れたアイスブルー。
「本当にオーロラ嬢なんですね……俺もびっくりしました」
「ラン君。『俺』ではなくて、『私』、でしょ」
「そうでした」
すかさずアデルから指導が飛び、再び『ラン君』ことアスランは顔を赤くする。
「わたくし、こんな色のドレスなんて、着たことがなくて。それにこんなお化粧も……。でも、ウィッグを着けて、別人になっているせいか———楽しいんですの。なんだか、色々なことができるような気がしてきましたわ」
そう言ってまた笑うローリーの表情は明るくて。
笑顔もまた自然なものだった。
あれほど『笑わない伯爵令嬢』と揶揄されていたオーロラが、自然に笑っている。
それだけで、アスランは嬉しさが込み上げてくるのを感じた。
「ふ〜ん、ポニーテールの髪に、分厚いメガネ。従者らしい上着にトラウザーズね。ちょっと古いデザインの服が、地味でいい感じだわ」
アデルが感想を述べた。
「はい、スチュワートが昔の服を貸してくれました」
「ふふ。あの兄弟、頑張ったのね。足もとは?」
「はい。ショートブーツにしまして、投擲用のナイフを仕込んでいます。短剣は腰の後ろに一本」
アスランはさらりと説明するが、オーロラは驚いて目を丸くする。
「従者ですが、俺はもともとオーロラ嬢の騎士ですから。いざという時にはかならずお嬢様をお守りするのが当然のこと」
アデルは深くうなづいた。
「結構。二人とも上出来だわ。これからオーロラちゃんは『ローリーお嬢様』として、アスランは『従者ラン君』として、過ごしてちょうだい。城内だからと油断しないこと。慣れてきたら、実際にお茶会にも二人で出てもらいますからね。しっかりとなりきれるように、練習するのよ、いいわね?」
「「はい、アデル様!!」」
二人は元気よく答えると、顔を合わせて、にっこりと笑い合った。
こうして、『ローリーお嬢様』と『従者ラン君』が誕生したのだった。
***
オーロラとアスランが、『ローリーお嬢様』と『従者ラン君』に変身したその日。
二人は忙しく過ごしていた。
オーロラはアデルと一緒に、ローリーのワードローブのアイデアを練り、ドレスメーカーに注文する服のリストを作っていた。
「ローリーの使う化粧品もいくつか買い足すものが必要だわ。まつげは黒く塗った方がいいと思うの」
アデルが言った。
「ウィッグも、ヘアスタイルを変えたものを何点か、注文しましょうね。アクセサリーや小物はドレスが決まってからの方がいいわね。あとで合うものを選びましょう」
「はい、アデル様。何から何まで、本当にありがとうございます」
「いいのよ〜。娘ができたみたいで、楽しいんだから。ふふふ」
一方、寝室の奥にある衣装部屋では、モリソン夫人とエマがアスランに女性の服飾についてみっちりと教え込んでいた。
「まあ、最初は大変だと思うけれど」
アデルは笑った。
「ルドルフなんて、いまだに女性のドレスのことなんて、何もわからないくらいだから」
オーロラもくすりと笑ったが、少し不安げな表情をしていた。
「……オーロラちゃん、大丈夫? 何か心配なことでも?」
アデルが尋ねると、オーロラははっとして顔を上げた。
「いえ……あの、『ローリー』になるのは、楽しいのです。別人になって、気持ちが楽になるのは、たしかにあるのですが」
オーロラは思いきって言った。
「でも、外見を変えて、『真実の愛』が見つかるでしょうか? 変身した『ローリー』を好きになっても、その方は『オーロラ』を好きになってくれるでしょうか———」
アデルは、オーロラの言葉に、彼女の不安を理解することができた。
たしかに、オーロラの言うことには一理がある。
しかし、それを気にしては、今は進めないのもたしかだ。
アデルはここは強気で行こう、と決めた。
「……人間誰しも、大なり小なり自分を装うものです。本当にあなたを愛しているのであれば、どんな姿であっても、その中にあなた自身を見つけてくれるはずですわ!」
「なんと! さすがアデル様」
「まあ、かなりハードルは高いけれど。やはり人は外見に惹かれますからね」
「ということは、この外見も、『真実の愛』を見つける試金石なのですね!? 外見を超えて人物を見ることができる殿方こそ、『真実の愛』の可能性が———」
オーロラは期待に満ちた目でアデルを見つめた。
「そうね。そういうことにしておきましょう……」
アデルは少々後ろめたい気持ちがしなくもなかったが、オーロラが納得したようだったので、それで行くことにした。
とはいえ、アデルも心配なことがなくもなかった。
(これでオーロラちゃんが本当に誰かを見つけてしまったら、大変なんだけど。アスランに恨まれてしまうわ。一緒にいる口実ができたのだから、頑張るのよ、アスラン)
アデルはそっと衣装部屋の方に視線を向ける。
騎士になるために長年研鑽を続けてきたアスラン。
まさかオーロラのために、女性の服飾について学ぶことになるとは。
少々気の毒だが、仕方ない。
しかし、彼ならしっかりとやってくれるだろう。
「そうだわ、オーロラちゃん。お父様にお手紙を書いたらどう? とりあえず無事に暮らしていることはお伝えしないと。居場所については書かないで大丈夫よ。お父様はご存知ですからね」
父に手紙。
それはまるで魔法のお薬のようにオーロラに効いたようだ。
オーロラの表情がぱっと明るくなった。
「はい! さっそく、この後、手紙を書きますわ。アデル様、ありがとうございます」
アデルはうなづいた。
「では、残りをさっさとやってしまいましょう。いいこと? 今夜、ディナーの席から、あなたをオーロラ嬢ではなく、ローリー嬢として扱いますからね」
「はい!」
オーロラは元気に返事をした。
そうだ。
もう、迷っている場合ではない。
二度と呪いに人生を左右されないために。
新たな運命を切り開くために。
「わたくしはローリーになるわ」
オーロラは力強くうなづいた。