♠できない理由
♠照和39年(YE2739年)7月
♠アトラス大海
エウローペー地域を出て、アトラス大海を西へ西へと大型客船で渡る。
この船旅は、1週間かかるという。もっと足の速い船はあるようだが、日程的には今乗船している便が、最短とのことだった。目的地は、北アルバ大陸と南アルバ大陸の境目、カナル国際管理地域。同地域への武士の派遣は、さすがのアメリ合衆国も口を挟めないようだ。
「ねえ、滝沢くん。ずっと前の……エーゲ海での念信、張ってくれないかしら?」
船尾のデッキでぼーっと海を眺めていたら、一文字さんが話をかけてきた。単調な移動は、ゲーム上スキップされる。逆にこうして場面展開されれば、何かしらイベントが起こるということだ。
「? いいけど……」
これが夜明けであったり、日没時であったり、月夜であったりするなら、期待も持てる。しかし時刻は昼前、ときどき船員さんもデッキを行き交い、ムードもへったくれも無い。
老良さんはこの大型船の船体や蒸気タービンの構造に興味があるようで、朝から調べ回っている。ほかの乗客はというと、念食獣が大量発生しているご時世、観光でアルバ大陸に向かう人などいない。逆方向の、エウローペー地域行きの便は避難民で一杯なのだそうだが、アルバ大陸への便は騒乱に乗じて一儲けしようともくろむ商売人たちが乗っている程度だった。
「うふふ。あの時は、滝沢君が私や老良さんの念製を観察したでしょう? 私も滝沢くんの念製を研究すれば、何か動物を召喚できるようになるかしらと思って……」
なるほど。一文字さんは念幅もCレベルまであることは分かっているが、従魔を念製できていない。武具や、称号「翔」の由来である宙を駆ける際の踏み台は、作れるというのに。この点については、俺も不思議であった。
「従魔召喚!」
白い鳩を1羽作り、一文字さんの胸元に飛ばす。
「本当に、綺麗……」
しばし胸でぽよぽよさせて、鳩を沈めこむ一文字さん。……老良さんもなのだが、時間に余裕があるときは、鳩を胸で遊ばせる。目の毒なのでやめて欲しいが、やめないでも欲しい。
【つながったわね。鳩を念製してみて】
一文字さんからの念信。可能な限りの感覚を共有しているので、ここからは邪念は振り払い、清らかな心を保たなければならない。
【従魔召喚、……従魔召喚、……従魔召喚。……どうかな?】
俺は1羽ずつ、連続して3回、ゆっくりと作ってみせる。
【ありがとう。私もやってみるわね。……従魔召喚!】
目を瞑り、両手を胸に当て。
神経を集中する一文字さん。
同時に念信からは、俺と同じように鳩を思い浮かべている思念が流れてくる。
その調子、頑張れ、一文字さ――
えっ!?
【やっぱりだめね。滝沢くんには、どこまで伝わったのかしら? こうして邪魔されてしまうの……】
哀しげな目をして、念信を送ってくる一文字さん。
なんなんだ、今のは?
何かが一文字さんの思念を妨害した。
あれはまるで念食じゅ……
【そうよ、気持ち悪いでしょ? 武士熱を出したあとから、ずっと私の中にいるの……】
ついには涙をこぼし始める一文字さん。
従魔を召喚したかったんじゃない。
これを伝えたかったのか……
俺は何も言わず、一文字さんを抱きしめる。
そんなことを思うわけがない。念信でつながっている。言葉は不要だ。
【うふふ、思った通りだったわ……】
一文字さんが思い浮かべているのは、冬子に意地悪をするガキどもに立ちはだかる、幼い日の俺。
家が貧しく、俺は兄達のお古の、つぎはぎだらけの服を着ている。そして冬子のそれは、つぎはぎすら、なされていない。だからよく、いじめられていたのだ。
【私にも……、こんな気持ち悪い私にも、守ってくれる人がいたらいいな、って思っていたの……】
守るに決まっている。だいたい気持ち悪く何て無いし。
ひたすら流れ込んでくる、一文字さんの幼い頃からの苦闘の日々。
これからはこの苦しみを、俺も一緒に受け止める!
……気づくと老良さんがデッキに戻って来ていたが。
俺たち2人をそっとしておいてくれた。




