異世界における他殺死ガイド90
コオオオォォォォ
風の吹くような音。
部屋には白黒の空間に包まれ宙に浮く灰色の穴がある。
その穴にはたまに大きな目玉が覗く。
だが白黒空間の認識阻害効果により、目玉がこちらを認識することは無い。
何故俺がここに来たのかというと、穴から覗く目玉の持ち主が他殺死の最終手段だからである。
恐らくこいつはここグロツ王国周辺を舞台にした勇者の魔王討伐物語の裏ボス的存在であろう。
俺を殺せる力を持っている可能性が高い。
今まで触れるのを避けていた理由は、御せない相手を当てにするのは酷い目に合いそうな気がするのと、俺の勘がこいつに近づくなと言っているからだ。
だがもう避けていられない。勇者が俺の元に来るその時は刻一刻と迫っているのだ。
穴を見る。
今は目玉は出ていない。
俺は白黒の空間に入っていき、穴に向けて手をかざした。
ズズズズ……
俺の手から文字や記号が浮かび上がり、穴に向かう。
レッドセルの使っていた解析魔法である。
対象に接触せずに、対象が何から構成されているかなどを調査できる便利な魔法だ。
これで相手の正体を探るのだ。
***
ズズ……ズ
「……」
解析魔法を停止した。
暫く解析を続けた結果、わかったのは相手の正体がわからないという事だけだった。
灰色の構成物質を調べてみても不明が多く、判明した物質にもこの世界の生体物質が一切含まれていない。
最早生物かどうかすら怪しい。そうだとしたら乗り移り対象にならないかもしれない。
魔法の存在する世界だし、そんなのがいても不思議ではない。
これでは埒が明かない。
読心の封印を解くべきか? しかし得体のしれない相手の思考など覗いたら、俺が発狂してしまったりしないか不安である。
「……よし」
相手に直に接れてみることを決断した俺である。
白黒の空間の中、不動で体を持ち上げ、さらに穴へと近づく。
穴を覗き込み、灰色を観察する。
観察してみればそれは透けているような、水のような、気体のような、分厚い皮膚のような、良くわからない物でできている。
認識阻害を受けているのはもしかしたらこちらなのかもしれない。
「……」
穴に手を伸ばす。
ペタ
接触。少し弾力がある。
グッ
押すと凹む。手を離すと凹みが戻る。
反応は無い。
ペチペチ
叩く。
「……」
反応は無い。いや。
スゥ
灰色に横に線が走り、目が開く。目玉の視線はギョロリとこちらを向いた。
相手に気づかれたようだ。
「……」
見つめ合う目玉と俺。
……ハッ!
俺としたことが、最初に想像したイメージに引きずられて相手が友好的な存在である可能性を考えていなかった。
まずは挨拶からすべきだった。
いきなり触ったり叩いたり、失礼極まりない。
もし触った場所がデリケートな場所だったりしたら殴られても文句は言えまい。
今からでも遅くない、挨拶をするのだ。
「ご、ごきげんよう」
「……」
目玉に動きは無い。いや。
グム……ム……ム……
叩きつけたままだった俺の手が灰色の中にに沈み始めた。
「うっ!」
グッ
俺は急いで手を引いた。だが引き戻せない。強い力で引き込まれている。
まずい。
ブゥン
俺は不動を動かし、体を引き出させようとした。
だが不動ごと灰色の中へと引きずり込まれていく。
グムム……
腕まで灰色に沈んでしまった。本格的にまずい。
目玉は俺を見つめている。
もしこいつが乗り移り対象とならなかった場合、こいつに殺されたら死んでしまう。
魔法で攻撃してでも引き込みを止めさせるべきである。
だが果たしてこれはこいつの攻撃なのか? じゃれているだけだったりしないか?
躊躇している間に、俺の頭が灰色に沈んでいく。
「うぶっ」
ズム
俺の頭が完全に灰色に沈んだ。このままでは窒息死である。
やむを得ず、手に火球を作り出そうとしたその時、頭の中に映像が浮かぶ。
「キャッ キャッ」
それはレッドセルに抱かれたシープラたんが笑っている映像であった。
映像が切り替わる。
「あああっ!」
今度は床に寝かされたダフが身をよじっている映像である。
「YATTA! YATTA!」
次はカレルとジョシュアが変な踊りを踊っている映像。
どれも最近の俺の記憶だ。これは走馬灯ではない。
探られているのだ。こいつに。俺の記憶を。
いかん、これで俺の能力を知られてしまったら他殺死の最終手段がなくなってしまう。
抵抗を試みるが、身動きが取れない。
ズクン
「ぐっ!」
頭に衝撃。映像はどんどん切り変わっていく。
ザンシアにオムツ交換された時の記憶。
アウロラが口の中に入ってきた時の記憶。
気を失ったジオを看病していた時の記憶。
アリエスを背中に乗せて走った時の記憶。
猫のクロ、鳥、トカゲ、蜘蛛。
遂には俺が蜘蛛の毒で死ぬ間際の記憶までたどり着いた。
だがそこで映像の切り替わりは止まらなかった。
目の前にはボロボロの服を纏った男が立っている。そいつの右手の指は二本しか無い。
この男のことは良く知っている。
俺だ。
俺が俺を見ている。鏡を見ているわけではない。
……どういうことだ?
これまで乗り移った相手に、元の俺を見たことのあるやつがいたのだろうか。例えばアリエスを襲ったヴィクターの仲間だとか。これはそいつの記憶か?
だが映像に時々映る体つきからして、記憶の持ち主は女性のようだ。
おかしい。俺に女性に乗り移った記憶は無い。
これは何だ? 頭の中に映し出されていたのは俺の記憶では無かったという事だろうか?
「!」
その時、鏡でも見たのか、映像に記憶の持ち主の顔が映った。
その顔を見て思い出した。この女性を俺は知っている。
何故ならそれは俺が殺した相手だったからだ。
殺した理由はまあ、敵だったからだが、その辺の子細は置いておいて問題は何故その女性の記憶を俺が持っているのかという事である。
ドクン ドクン
心臓の鼓動が早い。それ以上考えるなと、俺の勘が告げている。
だが思考は止まらない。
「……」
この女性の記憶が俺のものだと仮定する。
女性の記憶が俺の中にあるという事は、俺は以前この女性だったという事である。
その女性だった俺は、別世界からこの世界に迷い込んだ不幸な男に殺された。
俺には自分を殺した者に乗り移る能力がある。
殺された女性から、不幸な男に乗り移った何か。
それが俺。
仮定の話を続ける。
以前、俺は乗り移った相手の記憶に自分が塗りつぶされてしまった時、それは俺の死を意味すると考えたことがある。
女性の次に乗り移った男は異世界人だった。
この世界の人間と比べてあまりに特異なその記憶が、乗り移った俺の意識を塗りつぶした。
その時俺は死んだ。
では今思考している俺は? 俺は誰だ? 不幸な男か? 本当に?
ズクン
「ぐあっ!」
頭に衝撃。映像が切り変わる。
ある時は大きな魔物に、ある時は人間の子供に、どこかの国の王に、野盗に、商人に、次々と切り変わっていく。
映像に見える風景から人工物が減っていく。
映像が切り替わっても、もはや見えるのは見たこともない大きな植物ばかり。
それでも映像は切り替わり続け、そして到達する。
俺が俺自身だった時の記憶に。
水たまりがある。
覗き込み、そこに映るのは自分の姿。
蛇の様に長い体、丸い口、口の中には尖った歯が層になって並ぶ。
口の周りには大きな虫の足のようなものが生えている。
それを見ている目玉は一つ。
目玉は口の中にあった。
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ヌベトシュ城 ―勇者召喚の間―
宙に開いた灰色の穴を包んでいた白黒の空間が縮んでいく。
白黒の空間が縮み切って消えると、そこには既に穴は無かった。
穴のあった場所の下に、何も言わず立ち尽くすのは魔王。
この日、グロツ王国全土は魔王によって制圧された。




