57.言葉の真実と俺の想い
大河視点です。
重い気持ちを引き摺ったまま、家路に就く。今日は色々、ショックな出来事が多過ぎた。全ては俺が不甲斐ないせいなのだが。
だけど、せめて……せめて、月曜日の事を、冴香に教えてもらいたかったという思いが消えない。俺だって、あいつの様子に気付いて、話を促したのだから。そして何よりも、谷岡から聞いた言葉に、俺は打ちのめされていた。
『あの子、こう言ったのよ。『まさか』って! 『私は大河さんに、恋愛感情は抱きません』ってね!!』
あの言葉は本当なのだろうか。いや、嘘であって欲しい。本当だなんて、認めたくない!!
車のハンドルを握る手が震える。すぐにでも冴香自身に否定して欲しかった。そんな事は言っていないと。あの女の言った事なんて嘘だと。
家に帰り着いた俺は、帰宅の挨拶もそこそこに、真っ直ぐにリビングへと向かう。扉が開いて、顔を出した冴香を見付けるなり、俺はその華奢な身体を抱き締めた。
「なあ、冴香。お前、月曜日の事、どうして俺に言わなかったんだ?」
声が、掠れる。腕の中で硬直している冴香に、俺はもう一度尋ねた。
「月曜日、俺の会社の同僚達が、お前を訪ねて来た筈だ。何でその事を俺に言わなかった?」
「べ、別に何かされた訳ではありませんし、少しお話ししたら、皆さんすぐに帰られたので、これと言ってお話しする事はなかったんですが。」
「それでもお前、何か悩んでいたんじゃないのか!? そいつらに何か言われたからじゃないのかよ!?」
抱き締める腕に力を込める。悩んでいたなら、言って欲しかった。俺だって尋ねたのだから。
「少し引っかかる事があったので何だろうと思っていただけです。結局分からなかったので、考えるのを止めました。ってか、あの、離してもらえませんか?」
冴香は、月曜日の事を左程気に留めている様子ではなかった。それ程嫌な思いをした訳ではなかったのだろうか、と少し安堵する。だが、離してもらえないか、という言葉が俺の胸に刺さった。
そんなに、俺の事が嫌なのか? まさか、恋愛感情を抱かないどころか、俺の事を嫌っていたのか?
冴香からゆっくりと腕を外し、両肩に手を置いて顔を覗き込む。きっと今、俺は情けない顔をしているに違いない。頼むから否定してくれ、と願いながら、俺はあの言葉を口にした。
「お前が、俺に恋愛感情は抱かない、って言っていたというのは、本当なのか?」
「本当です。」
冴香の口から出た言葉は……肯定だった。
目を見開いた俺は、ショックでその場に崩れ落ちそうになったが、冴香は言葉を続ける。
「私では大河さんに釣り合う訳がありません。大河さんは、イケメンで、背が高くて、格好良くて、優しくて、ずっと天宮財閥の後継者の筆頭候補と目されてきていて、女性にもモテモテで。私は、背が低くて、貧相で、無愛想で、女性らしさの欠片もなくて、性格だって捻じ曲がっていて、愛人の娘で、友達だって少なければ、家族だって居ても居ないようなもので。……こんな私の事、大河さんが好きになる筈ないじゃないですか。私が大河さんを想った所で、報われる訳ないじゃないですか!」
冴香は真下を向いて目を瞑った。
「だから私は、大河さんに恋愛感情を抱きたくなかったんです! 好きになったって無駄だから! 何時か必ず失恋して、傷付くのが目に見えているから!」
俺は呆然として、冴香を見つめていた。
何だよ、そのコンプレックスの塊は。
身長や体型なんて関係ない。偶に笑えば可愛いし、性格がひねくれていようと、一緒に居ると楽しい。家族や友達関係なんて、どうでも良いだろうが。俺は、冴香が好きだ。冴香だから好きになったんだ。
俺は恐る恐る手を伸ばし、冴香をそっと腕に閉じ込める。
そんな理由で、お前は俺に恋愛感情を抱かないと言うのかよ。それだったら。
「だったら、冴香。その想いが、無駄じゃないとしたら? 報われると分かっていたら? 失恋なんてしない、傷付く事もないって分かったら、お前は、俺の事、好きになってくれるのか?」
声が、手が、震える。祈るような気持ちで、俺は冴香の答えを待った。
「そうですね。そんな夢みたいな事があれば、」
反射的に、俺は冴香をきつく抱き締めていた。
冴香を振り向かせる手段がない訳じゃない!! 冴香の不安を取り除けば、傷付く事など無いと分かってもらえれば、冴香の心を手に入れられるかも知れないんだ!!
「大河ざんぐるじいいぃ!!」
冴香に胸を叩かれ、俺は慌てて冴香を離す。嬉し過ぎて、つい腕に力が入り過ぎてしまったのは大目に見てもらいたい。
「大河さん、どうしたんですか? 今日は何だか変ですよ?」
「何でもねえよ!」
心配してくれる冴香に、満面の笑みを返す。
「あー、ほっとしたら何か腹減ってきた。今日の晩飯は何だ?」
「何でもない訳がないと思いますが……。今日は鮭が安かったので、バターソテーにしようかと。」
「良いな! 俺も手伝う。」
今日は早く帰れたのだから、冴香に全て任せっきりにするのも心苦しい。それに、家事を手伝う事で、俺の気持ちもアピール出来るかも知れないしな。
そう思いながらスーツの上着を脱ぎ、シャツの腕まくりをしていると、冴香からじとりとした視線を向けられた。
「大河さん、やっぱり変です。熱でもあるんじゃないですか?」
「は? 熱なんてねえよ。」
「家事が苦手な大河さんが、手伝うとか言い出すなんて、熱でもあるとしか思えません。言動だっておかしいです。取り敢えずベッドに入っていてください。すぐに体温計を持って行きますから。」
「ねえって言っているだろ!」
否定しているのに冴香は耳を貸さず、無理矢理ソファーに座らされて検温をされてしまった。仕方なく従って平熱である事を証明したのに、その後も冴香はずっと疑わしそうな視線を送ってくる。
何故だ。納得が行かねえ。
 




