56.巻き込んでしまったあいつ
大河視点です。
「あの子、こう言ったのよ。『まさか』って! 『私は大河さんに、恋愛感情は抱きません』ってね!!」
谷岡の言葉に、体中の血の気が、一気に引いていったような感覚に襲われた。言葉は脳内に木霊しているが、その意味の理解を、脳が直感的に拒否してしまっている。
今、こいつは何と言った? 冴香は、俺に、恋愛感情は抱かない、と言ったのか?
「皮肉なものよね!! 女なんて選び放題、この私も含め、どんな女でも手玉に取ってきた貴方が、唯一本気になった子が、貴方を好きにならないなんて!!」
高笑いをしていた谷岡は、一通り笑い終えると、愕然とし硬直している俺に向けて、再び冷たい笑みを浮かべた。
「だけど、貴方がもしあの子への気持ちを自覚して、告白なんかしてしまったら、いくらあの子でも、貴方の事を好きになってしまうかも知れないじゃない? だから私、保険を掛けたの。」
「どういう意味だ……!?」
強張りながらも問い質す俺を、谷岡は悪魔のように嘲笑った。
「私が大河に何をされたのか、あの子に教えてあげたのよ! 大河は数日で私を捨てて、酷い言葉を投げ付けたんだ、ってね! だから貴女も、傷付かないように、大河の事を絶対に好きになっちゃ駄目だって、たとえ付き合える事になったとしても、最終的には手酷く振られて捨てられて、貴女が傷付くだけだから、って、親切に! あの子を心配して! わざわざ教えてあげたのよ!!」
「谷岡テメエェ!!」
ブチ切れた俺は谷岡の胸倉を掴み上げた。だが谷岡は怯まずに、キッと俺を睨み付ける。
「何よ!! 全て貴方の自業自得でしょ!! 私とあの子の違いは、貴方の気持ちがあるかないか、ただそれだけだわ!! 貴方の気持ちが無かったら、いずれはあの子も、私と同じ道を辿って、酷く傷付く事になった筈よ!! 私が責められる謂れは無いわ!! どう!? 貴方は自分が気に入らない人間に、何をしてきたか、少しは思い知った!? どうせ貴方にとって、私なんて、取るに足らない存在だったかも知れないけど、私は凄くショックだったのよ!! その傷を少しでも貴方に味わわせられたのなら、この先どんな酷い目に遭わされたって、私は本望だわ!! さあ殴る!? それとも社長に訴えて、私をクビにする!?」
涙目になりながらも、怒声を浴びせる谷岡に、頭が冷えた。胸倉を掴んでいた手を離し、腰を九十度に曲げる。
「谷岡。酷い事を言って、悪かった。」
「え……?」
頭上から、呆然とした声が落ちてくる。
「俺には金目当て、玉の輿狙いの女しか寄って来ないし、その話をしていたお前も同類だと軽蔑して、酷い扱いをしてしまった。傷付けてしまった事は謝る。お前が望むなら、出来る限りの償いもする。だけど、冴香は今後、二度と巻き込まないで欲しい。頼む。」
頭を下げながら、拳を強く握り締めた。
こいつを不必要に傷付けてしまったのは、俺だ。そして俺のせいで、冴香まで巻き込んでしまった。
自分が原因で、多方面に悪影響を及ぼしてしまった現状に、唇を噛み締める。自分が情けなくて仕方がない。何よりも、冴香に力になると言っておきながら、俺が原因で嫌な思いをさせてしまった事に心を締め付けられた。
「ハハ……何それ……。」
乾いた笑いと共に、谷岡は気が抜けたように椅子の上に崩れ落ちた。
「私の事、殴らないの? 憎くないの? 私はあの子が、貴方の大切な存在だと分かった上で、悪意を持ってあの子に私の事を吹き込んだのよ?」
「そうだとしても、お前にそうさせる原因を作ったのは俺だ。それに、嘘を吹き込んだのなら兎も角、全部本当の事だからな。……俺が、あいつを巻き込んでしまったようなものだ。」
谷岡は暫くの間、唖然としていたが、やがて小さく溜息をついた。
「……プライドの高い貴方が、自分が原因だとあっさりと認めて、私に頭を下げるくらいには、あの子の事が好きって訳ね……。そんな風に潔く謝られたら、恨むに恨めないじゃない。玉の輿狙いだったのは、本当だし。……私ね、家が貧乏だったから、これでも子供の頃から色々苦労して来たのよ。だから二度とお金の事で悩みたくなくて、結婚相手の第一条件は、裕福な暮らしをさせてくれそうな男性にしているの。それで貴方に目を付けたって訳。でも、捨てられて傷付いて、復讐したくなる程には、好きだったのよ、大河の事。」
「そうか。応えられなくてすまない。」
もう一度、心から謝罪すると、谷岡はくしゃりと表情を歪めて苦笑いを浮かべた。
少しの間、部屋の中を沈黙が支配する。
「……ねえ、一つ訊いて良い? 冴香ちゃんの、何処が好きになったの?」
ぽつり、と呟くように谷岡に訊かれて、俺は少し考える。
「俺のありのままの姿を知っているから、気を遣わなくて良い所。思い通りにならなくて、一々口答えしてきてムカつくけど、何故か楽しい所。料理が上手くて癒される所。自分の事に関しては、まるっきり無欲な所。自分の事は気にしない、させないくせに、他人の事には敏感な所。表情は乏しいけれど、偶に笑ったら可愛い所。しっかりしているけれど、何処か危なっかしくて放っておけない所。心を開いてもらえたら嬉しくなる所。縋られたら滅茶苦茶愛しい所。偶に頼られたら何でも力になりたくなる所。自分が人の力になれると凄く嬉しがる所。人の力になる為なら、苦労を惜しまない所「あー、もう良いわ。大河が冴香ちゃんの事大好きだって事は、良ーく分かったから。」
思い付くまま挙げていったら、途中で止められた。おい、お前が訊いてきたんだろうが。
「あーあ、何だか馬鹿馬鹿しくなってきちゃった。そんなにあの子の事が好きなら、私が太刀打ち出来る訳ないじゃない。貴方が謝ってくれたんだから、私も謝るわ。冴香ちゃんを巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。……冴香ちゃんに余計な事吹き込んだ私が言うのも何だけど、精々頑張って、冴香ちゃんを口説いて頂戴ね。」
谷岡はそう言って苦笑すると、立ち上がって静かに部屋を出て行った。入れ替わりに敬吾が入って来るのを視界の端に捉えながら、俺は苦い思いでその背中を見送っていた。




