103.割れ鍋に綴じ蓋です
左手の薬指に嵌められた指輪の、圧倒的な存在感。
大粒で透明度が高い輝きを放つダイヤモンドを、先程から私はずっと凝視していた。無意識にピンと伸ばしている手が小刻みにプルプルと震え、顔の筋肉が硬直しているのを感じる。何だか変な汗まで出てきてしまった。
「どうだ? 気に入ったか? 冴香。」
楽しげに声を掛けてきた大河さんを、涙目で振り返る。
「大河さん……指輪が高過ぎて怖いです。」
「何だそりゃ。」
拍子抜けしたように肩を落とす大河さん。
「だってこれっ、ゼロ明らかに多過ぎないですか!? 八桁ですよ八桁! せめてあと二つくらい減らしてください! でないと怖くて着けられません!」
「お前な……。婚約指輪に安物を望む女なんて、初めて見たわ。」
私は必死で抗議していると言うのに、大河さんは呆れたように、片手で頭を押さえている。
「だって、万が一、落としたり無くしたりしたらどうするんですか!? それに、こんな高価な物を身に着けていたら、余計な犯罪に巻き込まれる可能性があるじゃないですか!」
「想像力が豊かだな。冴香なら無くす事なんてないだろ? それに、何かあってもちゃんと守ってやるって。この俺の婚約者に手を出そうなんて馬鹿がいたら、即刻地獄に送ってやるよ。だから安心して嵌めろよな。」
大河さんはにっこりと笑い掛けてきたが、私は即答でぶった切る。
「無理です! たとえ買って頂いたとしても、部屋の物入れの奥に大切に仕舞わせてもらいます。」
「いやちゃんと着けろよ!」
「あ……あのー。」
口喧嘩する私達に、店員さんが恐る恐ると言った様子で声を掛けてきた。
「宜しかったら、他の指輪もご覧になりますか? もう少しお手頃なお値段もございますが。」
「結構だ。」
「是非お願いします!」
営業スマイルを浮かべる店員さんに、同時に正反対の返答をした私達は、互いに睨み合った。
「お前な。婚約指輪なんて、一生に一度しかないんだぞ。まあ人によっては、例外もない訳じゃないが……。そんな大事な指輪を、安物で済ますなんて俺が許さねえからな。」
「婚約指輪なんて、結婚するまでしか着けられないじゃないですか。そんな一時期にしか着けない指輪に、大金をはたく必要性など全く感じられません。」
お互いに譲る気がない私達に、『普通この遣り取り、男女逆よね……?』と怪訝そうに小声で話す店員さん同士の会話が聞こえた。
すみませんね、普通じゃなくて。
「もう良い。お前と指輪を選ぼうと思った俺が間違いだった。デザインに特に希望がないなら、俺が独断と偏見で買うから、お前は絶対にそれを着けろよ。間違っても値段なんか気にするな。」
「無理です。一度見てしまった以上、高価過ぎて恐怖を感じる物を身に着ける事なんて出来ません。」
「何なら九桁以上にしてやっても良いんだぞ。」
「どれだけ無駄遣いする気なんですか!? 勘弁してくださいよもう!」
大河さんの金銭感覚にゾッとして、思わず本気で怒鳴ってしまった私に、大河さんは苛立たしげな視線を向けてきた。
「本当にお前は思い通りにならないな。少しは素直になって、一歩譲って俺を立てる事を覚えたらどうだ?」
「そうしてあげても良いですが、時と場合によりますね。少なくとも今は譲る気は微塵もありません。と言うか、そういう従順な女性がお好みなら、大河さんの周りにいくらでもいらっしゃったでしょうに。何でわざわざ私みたいなひねくれた女を選んだんですか?」
「そ……それはだな、まあお前との遣り取りが新鮮で、面白かったからと言うか、そこに惹かれたと言うか……。」
大河さんは気恥ずかしそうに顔を赤らめつつ、ごにょごにょと口の中で呟いている。そんな大河さんを見ていたら、何だか私も顔が熱くなってきてしまった。何とか誤魔化そうと、急いで口を開く。
「た、大河さんって変わったご趣味をお持ちなんですね。イケメン御曹司で見た目だけは完璧なのに、中身はとても残念です。」
「俺の何処が残念なんだよ! 中身だって完璧だろうが!」
「そう言う所が残念です。」
大人気なく私に噛み付いてくる大河さんに、私も遺憾無く毒舌を発揮して切り返す。いつものように大河さんと舌戦を繰り広げつつも、完全にお店の迷惑になっているよなー、と気になって、他のお客さん達や店員さんの方に視線を向けると、案の定、店員さん達は困ったように顔を見合わせていた。
「大河さん、取り敢えず他の方々のご迷惑にならないように、一旦出ましょうか。」
「お前、そう言って指輪買わない気だろ。」
「あ、バレました?」
「それくらい分かるっての!」
尚も声を荒らげる大河さんを無視して、お店の出口へと歩き出す。
「おい冴香、ちょっと待て! まだ話は終わっていないぞ!」
追いかけて来る大河さんから小走りで逃げつつも、私の口元は自然と緩んできてしまっていた。
大河さんとの遣り取りが、面白くて楽しいのは、私も一緒だ。そこに惹かれた、と言ってもらえて、凄く嬉しい。こんなひねくれた私だけど、その部分を肯定してもらえて、自分が少し好きになれた気がする。私を受け入れてくださった大河さんには、感謝してもし切れない。何だか胸が一杯になってきた。
……ああ、私今、幸せだな。
「待てっつの! ったく、逃げ足だけは速い奴だな!」
お店を出た所で、追い付いてきた大河さんに片手を掴まれる。
大河さんのお蔭でこんなにも幸せなんだから、偶には素直になるのも良いかな? そんな考えが頭を過った。ちょっとだけでも素直になったら、少しは可愛くなるだろうか?
私は振り向いて、大河さんの手をぎゅっと握り返し、満面の笑みを浮かべた。
「大河さん、私、今凄く幸せです。」
折角お望み通り素直になったというのに、大河さんは目を丸くした後、耳まで真っ赤にして、手を繋いでいない方の片手で口元を押さえながら視線を逸らしてしまった。
あれぇ……ここはイケメンらしく、バックに無駄な花やキラキラエフェクトを背負いながら、蕩けるような微笑みとやらを浮かべて、『俺もだよ』みたいな決め台詞を言う場面だと思うのは私だけ?
大河さんの反応に面食らっていた私だが、次第に可笑しくなってきて、我慢し切れずに声を立てて笑ってしまった。
ひねくれた私が好きな人は、やっぱり何処か残念だ。
でも、私はそこが良い。
これにて完結です。お読み頂き、誠にありがとうございました。
今後は番外編を投稿予定です。詳細は活動報告に記載しておりますので、ご一読頂けると幸いです。




