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ミーティア戦記ー厄災の覚醒ー  作者: どりるD


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7/8

第7話 選択

アカデミー入学から三週間。


規則正しい生活にも、少しずつ慣れ始める頃だった。


朝の走り込み。座学。訓練。規律ある生活

繰り返される日々。


最初は重かった時間も、今では当たり前のものになりつつある。


――そして、土曜日。


食堂に漂うスパイスの香り。


このアカデミーでは、毎週土曜の夕食は決まってカレーだった。


それは単なるメニューではない。

翌日が休日であることを告げる、小さな合図。


そして――

シェフのデンが率いる調理係が手がける、この日の一押しメニューでもある。


デンの調理チームは、専属の管理栄養士とともに、日々の食事すべてを担っている。

アカデミー生の身体や訓練内容に合わせて、細かく管理されていた。


イベント時には一般にも開放され、「デンさんカレー」として提供される。

その味を求めて行列ができるほどの人気を誇っている。


――その一皿を、ここでは日常的に味わえる。

この時間は、誰にとっても特別だった。



わずかに緩む空気。

笑い声も、いつもより多い。


だが――その中で、一人だけ浮かない顔をしている者がいた。


アギだった。


スプーンが止まる。視線も落ち着かない。

この生活に、まだ馴染めていなかった。



「おい、おかわりあるぞ」

カリンが当たり前のように立ち上がる。


「いや食いすぎだろ……」

アギが呆れたように言うが、声に張りがない。


その時――


「今日は申告締め切り、もうすぐだぞ」

横から声がした。


振り向くと、マーシュがトレイを持って立っている。

「デンさん特製の限定30個のプリン」


周囲が一瞬ざわつく。


「申告制で抽選。締め切りはあと五分だ」


一瞬の沈黙。


カリンの動きが止まる。

「……どこだ」


声の温度が変わる。


マーシュが顎で奥を指す。

「端末でエントリーだ」


カリンは即座に向きを変える。

「行ってくる」


「いや待て、まだ食ってる途中だろ!?」

アギが思わずツッコむ。


ナナハが小さく呟く。

「……倍率、高そう」


マーシュが肩をすくめる。

「大体三百人中、三十枠だ」


カリンはもう歩き出していた。



ナナハが小さく首を傾げる。

「……アギ君、エントリーしないの?」


「は?別にいいよ」

アギは視線を落としたまま言う。


「どうせ当たんねぇだろ」


ナナハは少しだけ考える。

「……運だから、分からないよ」


「そういう問題じゃねぇんだよ」

アギは短く返す。


それ以上は続かない。



やがて結果が表示される。

食堂のモニターに、当選者の番号が並ぶ。


ざわめき。


周囲の歓声と落胆が入り混じる。


カリンは画面を見上げ――


「……また外れた」

短く言う。


だが、すぐに切り替える。

「まぁ次だな!」

興味はすでに薄れている。



ナナハが小さく首を傾げる。

「……アギ君、大丈夫?」


「は?何が?」

アギが顔をしかめる。


「……顔、なんか固いよ」

ナナハが言う。


「固いってなんだよ」

アギが即座に返す。


ナナハは少し考えてから言う。

「……余裕、ない感じ」


「それ遠回しにディスってるよな?」

アギはいつものように軽口で返す。

だが、その声には余裕がなかった。



その時だった。


――コツ。


足音。


四人のテーブルの横で止まる。


「……おい」

短く吐き捨てるような声。顔を上げる。

頬に絆創膏を貼ったハルカだった。


一瞬、周囲のざわめきが途切れる。


ハルカは、カリンを見ている。

腕は下ろしたまま。

頬の絆創膏が、やけに目につく。


……言葉が続かない。


「……昨日のことだが」

ハルカの声は、わずかに引っかかっていた。


少しだけ、間。


「……一つだけいいか?」


カリンは黙って視線を向ける。


「なんでだ?」

ハルカの目が、まっすぐ向く。


「お前、あの時……すげぇ力、持ってただろ」

ハルカはわずかに眉を寄せる。

「……なんで、オレに使わなかった?」


カリンは、少しだけ視線を外す。


そして――


「言ったろ。自分のためには拳は使わないって」


「あの時は――ダリアンがお前にしたことが、許せなかった」


カリンの静かな声だった。

「だから殴ろうとした。それだけだ」


ハルカの表情が固まる。

「……あれ、本気で言ってたのか?」

思わず、聞き返す。


カリンは、迷いなく真っ直ぐハルカを見たまま言う。

「本気に決まってんだろ」


一瞬の沈黙。


ハルカが、ふっと息を抜く。

張り詰めていた何かが、わずかに緩む。


「……はは」

小さく笑う。


だがそれは、相手を馬鹿にするようなものじゃない。

どこか呆れたようで――それでいて、少しだけ救われたような笑いだった。


「お前、バカじゃねぇの」

ハルカは吐き捨てるように言う。


だが、その声音にはさっきまでの刺々しさはない。


むしろ――

力が抜けたような、どこか納得した響きだった。


ハルカは一度、視線を落とす。

短く息を吐き――顔を上げる。


「……悪かった」


はっきりとした声。

誤魔化しも、強がりもない。


「それと……サンキューな」


言葉は短い。


だがそこには、ハルカのさっきまで言えなかった本音が、まっすぐに込められていた。

言い終えたあと、わずかに視線を逸らす。

それ以上は、もう何も言わない。


ナナハが息を呑む。


アギが目を丸くする。


カリンは、軽く笑う。

「気にしてねぇよ」

「お前、気持ちいいやつだな」


ハルカは、言葉を探すように一瞬だけ間を置く。

視線が、わずかに揺れた。

「……そうか」


短く言って、ポケットから小さな物体を取り出す。


無言のまま、それをテーブルの上に置く。


「……詫びだ」

ぶっきらぼうに、それだけ言う。


テーブルに置かれたのは、小さな透明の容器。

中に入っているのは――限定のプリン。


ハルカは何も言わず、背中を向けたまま去っていく。


残された空気。


「……なんだ今の。謝った……よな?」

アギがぽつりと呟く。


「……あ、うん」

ナナハも小さく頷く。


マーシュが、テーブルの上に視線を落とす。

「……それ」

指で示す。


透明な容器の中で、カラメルがとろりと揺れる。

その上に、なめらかなプリンが収まっている。


「これ、限定プリンだ」

マーシュの声に、熱が混じる。

「……通称、“黄金プリン”」


アギが反応する。

「は?なにそれカッコよ」


マーシュは続ける。

「黄金のような輝きと、入手難易度の高さから、そう呼ばれてるらしい」


「いやネーミング雑だろ!!」

アギが思わずツッコミを入れる。


マーシュが静かに頷く。

「……アイツ、エントリーしてたんだな」


アギが目を見開く。

「は!?マジかよ!」

「しかも当たってんじゃねぇか!!」


ナナハも驚いたように黄金プリンを見る。

「……すごい確率」


カリンは、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。

迷いなくスプーンを取り、プリンを手に取る。


「おい待て待て待て!!それ食うのかよ!?」

アギが慌てて身を乗り出す。


「詫びだって言ってただろ」

カリンが平然と返す。


「いやそうだけど!!そういう問題じゃねぇだろ!」

アギが身を乗り出して叫ぶ。


ナナハも小さく言う。

「……ずるいです」


マーシュが肩をすくめる。

「正式ルートじゃないが……結果的には当選だな」


カリンは全く気にしない。

黄金プリンをスプーンで一口すくう。


カリンの動きが、一瞬止まる。

スプーンを口に運び、ゆっくりと味わう。


「……やばいな、うまいぞ」

静かに呟き口元が緩む。


「おい!!」

アギが叫ぶ。


ナナハがじっと見つめる。

「……一口だけ」


「ダメだ」

カリンは即答だった。


「はぁ!?ふざけんなよ!!」

アギが身を乗り出す。

「それ三十個しかねぇんだぞ!?」


「……一口だけ、だめ?」

ナナハも小さくお願いをする。


カリンは構わず、スプーンを構える。


「待て待て待て!!」

アギが慌てて手を伸ばす。


「落ち着け」

横から、マーシュがアギの肩を軽く押さえる。


「奪い合うな。こぼしたら終わりだ」

マーシュの冷静な一言。


「いやそういう問題じゃねぇだろ!!」

アギが即座にツッコむ。


その隙に――カリンが、もう一口食べる。


「おいぃぃ!!!」

アギの叫びが食堂に響く。


ナナハが一歩だけ近づく。

「……本当に、一口だけ」


「ダメだ」

カリンはまた即答だった


「ケチかよ!!」

アギが不満げに声を上げる。


カリンは一瞬だけ止まる。

「……仕方ないな」


ほんの少しだけ、スプーンですくう。

一度、手を止める。

プリンは小さい。四等分すれば、一人分はわずかになる。


それでも――

「ほら」

アギの方へ差し出す。


「少なっ!!」

アギが即ツッコむ。


ナナハが遠慮がちに手を伸ばす。

「……一口、いい?」


カリンは小さく頷く。

さらにほんの少しだけ分ける。


マーシュがそれを見て、わずかに目を細める。

「……ボクにも来る流れかな」


カリンは無言で、最後にほんのひとかけをすくって渡す。


「少なすぎない?」

マーシュが苦笑する。


「そりゃ四等分したらこうなるだろ」

カリンはあっさり言う。


全員で、ほんのひと口ずつ。


「……うまぁ」

アギが目を見開く。


ナナハも小さく頷く。

「……すごい」


マーシュが静かに言う。

「これは……人気出るわけだ」


カリンは残りを口に運ぶ。

「……次は自分で当てる」


食堂に、小さな笑いが広がった。



翌日

グラウンド。

日曜日は休日とはいえ、完全な休みではない。

自主訓練の時間。


走り込む者。

組手をする者。

黙々と体を動かす者。


それぞれが、それぞれのやり方で自分を鍛えている。


中には、地域との触れ合いとして、校外で清掃やゴミ拾いなどのボランティア活動に参加する生徒もいた。


その中で――


「はぁ……はぁ……」

アギの呼吸だけが、明らかに乱れていた。


校外での清掃活動を終え、アカデミーへ戻ってきた直後。


休む間もなく、カリンはそのままグラウンドへ向かい、走り出していた。


「……なんで今走るんだよ」

アギは膝に手をつき、顔を上げる。


少し前で、カリンが同じペースで走っている。

呼吸は乱れていない。


ナナハも後方で必死に食らいついている。


「止まるな」

カリンが振り返らずに言う。


「止まるかよ……!」

そう言いながらも、アギの足は重い。

(……無理だろ、これ)



カリンたちは、走り込みを終えて歩いていた時だった。

荒い呼吸を整えながら、グラウンドを横切る。


その時――


近くで訓練していた生徒の手にある訓練用の銃に目を止め、アギが声を上げる。

「おーい!それ使うな。異音してる」


「は?」

生徒が眉をひそめる。

「いや、普通に動いてるけど――」


カチッ。

トリガーに触れた瞬間、


ドゥルドゥル……

本来出ないはずの作動音が鳴る。

「……あれ?」

周囲がざわつく。


アギは一歩踏み出す。

「だから言ったろうが。貸してみな」


奪い取るように受け取り、分解はしない。

一度だけ叩き、内部のズレを振動で読み取る。

「……ズレてるな」


カチッ。

もう一度セーフティを入れ直す。

今度は――何も起きない。


「うん……これでいい」

アギは訓練銃を返す。


生徒が息を呑む。

「なんで分かったんだよ……」


アギは肩をすくめる。

「動きの音が違った」


「……すげぇな」

その一言だけ残して、

周囲はすぐに元の訓練へ戻っていく。

まるで、何もなかったかのように。


アギの動きが止まる。

誰も、もうそのことには触れない。

「……それで終わりかよ」

小さく、呟く。


「アギ、今の、普通にすごかったぞ」

隣にいたカリンが、何気なく言う。


アギは視線を逸らしたまま答える。

「……あっそ」


カリンはそのまま続ける。

「あれは、オレにはできねぇ」


「けどさ、戦えねぇと意味ねぇだろ」

アギの足が、わずかに止まる。


「……」

カリンは何も返さない。


アギは視線を落とす。再び歩き出す。

だが――足取りは、さっきよりも重かった。


(褒められて、それで終わり)

(それ以上は何もない)

(便利なだけで、終わりだ)

(……意味ねぇじゃん)

(……やっぱ、オレ場違いだろ…)



日曜日の夕方。


寄宿舎。


アギはベッドに座り込んでいた。


灯りはつけていない。

薄暗い部屋の中で、ただ黙っている。


外から聞こえるのは、遠くの足音と、かすかな風の音だけだった。


(なんでここ来たんだっけな……)

ぽつりと、心の中で呟く。


視線を上げる。天井を見つめる。


何も映らないはずなのに――

そこに、過去の自分が浮かぶ。


工具を広げ、黙々と手を動かしていたあの時間。

ネジの締まり具合。金属のわずかな歪み。

触れれば分かる感覚。


あの時は、迷いなんてなかった。


(ああいうのは、分かるんだよな……)

自然と、息が漏れる。


だが――ここは違う。

走る。殴る。耐える。


ただそれだけの繰り返し。


(ついていけてねぇ)

昼の光景がよぎる。


走れない自分。置いていかれる感覚。


そして――「すげぇな」

あの一言。それだけで終わった空気。


(……あれで終わりかよ)

乾いた笑いだった。


悪い宇宙人と戦い人を守る。

そんな大層なことを、ここでは当たり前のように言う。


(オレには無理だろ……)

拳を握る。


しばらく、何も考えない。

いや――

考えないようにしていた。



やがて、ゆっくりと立ち上がる。

視線は、もう迷っていない。


「……向いてねぇだろ」


小さく呟く。

それは、誰に向けた言葉でもない。

ただ、自分に対する結論だった。

カバンに手をかける。


一瞬だけ、止まる。

次の瞬間――その手は動いた。



日曜の夕飯時。


食堂は、どこか気の抜けた空気に包まれていた。

笑い声も、いつもより軽い。

トレーを持った生徒たちが席に着き、思い思いに食事を始めている。


カリンたちも、いつもの席に着いた。


「……あの」

ナナハが、小さく口を開く。


カリンが顔を上げた。

「どうした?」


ナナハは少しだけ視線を落としてから、

「……アギくん、まだ来てないよ……」


と、静かに言った。


その一言で、空気がわずかに止まる。

視線が、自然とひとつの空席に集まった。


マーシュが軽く周囲を見渡す。

「ほんとだ。まだ来てないね……部屋かな?」


トレーを前にして、誰も箸をつけていない。

いつもなら、全員が揃ってから食べ始める。


カリンの中に、昼の記憶がよぎる。


——さっきまで、普通にいた。


「……どうしたんだろ」

ナナハは少し不安そうに言った。


時間が過ぎる。

それでも、アギは来ない。


カリンは面倒くさそうに腰を上げた。

「まったく……何やってんだよ。しゃあねぇ、迎えに行くか」



カリン達は、アギの部屋へ向かった。


扉を開けた瞬間、カリンの視線が走る。

生活の気配はある。

だが——どこかがおかしい。


カリンは部屋の中を見渡す。


「……荷物、減ってるな」

マーシュが静かに言った。


ナナハの表情が強張る。

「……必要なものだけ……ない……」


それ以上、言葉が続かない。


カリンは短く言った。

「……アイツ、外に出たのか?」


その一言で、全員が理解する。

——アギは、自分の意思で出ていった。

三人は顔を見合わせた。

 

「……どうする?」

マーシュが様子をうかがうように言った。


カリンは迷わなかった。

「……まだ近くにいるかもしれねぇ」

踵を返す。

「手分けするぞ。見かけたらすぐ呼べ」


二人が頷く。



寄宿舎を回る。

廊下を抜け、階段を上り、共用スペースを覗く。名前を呼んでも、返事はない。

——だが、ここにはいない。



訓練場。

照明の落ちた広い空間に、足音だけが響く。

呼びかけても、返事はない。



裏庭。

夜風が木々を揺らす。影の中まで目を凝らす。

それでも——いない。



カリン達三人は再び合流した。

息が少し荒い。

時間だけが、無情に過ぎていく。


ナナハの声が、わずかに震えた。

「……まずいよ……もうすぐ、就寝の時間……」


沈黙。


その重さが、状況をはっきりさせる。

その時だった。


「あなたたち、さっきから何してるの?」

振り向くとそこに立っていたのは、ハニー先生だった。



一方その頃。夕飯時の食堂の一角。


ダリアンは一人、席に着いていた。

トレーに手はつけているが、食事はほとんど進んでいない。


ダリアンに向ける周囲の視線が、やけに多い。


——昨日のことだ。


脳裏に焼き付いている。

振り抜かれた拳が、目の前で止まる。

——見えなかった。

反応すら、できなかった。


遅れて押し寄せた圧。殺気。


息が詰まり、足がすくむ。

——気づけば、尻もちをついていた。


ダリアンの脳裏に、あの瞬間がよみがえる。


あれは——恐怖、だったのか?

いや、違う!違うはずだ。

オレが、あんな一撃に怯えるはずがない。

……なのに。


思い出すたび、身体が動かなくなる。



少し離れた場所に、いつもの取り巻きがいる。だが、近づいてこない。


視線は向けるが、声はかけない。

どう接していいか分からない。

そんな距離だ。



ひそひそと、周囲の声が混じる。


「昨日の、知ってるか?」

「カリンってやつと揉めたらしいぞ」

「尻もちついてたってよ」

「……あれで2位なんだろ?」


ひそひそとした声に、押し殺した笑いが混じる。

視線が刺さる。好奇。嘲り。探るような目。



ダリアンは何も言わない。

ただ、拳を強く握る。


——またか。


何度聞いた言葉だ。気にする必要はない。


——そう思っているのに。


その時だった。


「……理解しているよ」

背後から、静かな声が落ちる。


ダリアンはゆっくりと顔を上げた。

そこに立っていたのは、ノートだった。


「……何をだ」

ダリアンは短く返す。


ノートはわずかに視線を合わせる。

「結果じゃない」

「過程を見ている人間がいないことを」


その言葉に、ダリアンの思考が一瞬止まる。


——こいつは……


心の奥に、わずかな引っかかり。

なぜか、その言葉だけが残る。


ノートは続ける。

「君は正当に評価されていない」


その一言が、静かに沈み込む。

否定しようとする思考が、うまく働かない。


事実は変わらない。順位も、結果も。


だが——

その意味だけが、少しずつ歪み始める。


——そうだ。

間違っているのは、自分ではない。


胸の奥に沈んでいた重さが、わずかに軽くなる。

握っていた拳の力が、ゆっくりと抜ける。


ダリアンの目に、光が戻る。

「……」


呼吸が整う。視線が、前を向く。

その口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


「……そうか」

ダリアンは小さく呟いた。


だが——その解釈は、確実にズレていた。



商店街は賑わっていた。


日曜の夜。

家族連れ。笑い声。屋台の匂い。


アギは、それをぼんやり眺めていた。

「……なんだよ」

誰に言うでもなく、呟く。

「普通に暮らしてんじゃん……」


拳をポケットに突っ込む。

「なんでオレだけ戦うんだよ」

「地球守るとか……知らねぇよ」


少しだけ視線を逸らす。

「そもそも……オレにそんな力ねぇだろ」

「いても、たいして役に立ってねぇし」



一晩明けて月曜日。

アカデミーには、どこか落ち着かない空気が流れていた。


「昨日、抜けたやつ知ってるか?」

「一人消えたって……」

「マジで?逃げたのか?」


ひそひそとした噂が、教室のあちこちで広がっている。


アギの席は、空いたままだった。


ナナハは、何度もそちらを見てしまう。

「……まだ、戻ってない……」

小さく呟く。


ハルカは舌打ちした。

「……あいつ、何やってんだよ」


マーシュは腕を組む。

「昨日の様子、ちょっとおかしかったしね」


カリンは窓の外を見たまま、口を開く。

「……戻るかどうかは、あいつが決めることだ」


それ以上は言わない。

——さっさと戻ってこいよ。



その頃。

ハニー先生は、管理室でモニターを見ていた。

映像を巻き戻す。日曜の夕方。

アギが、ひとりで外へ出ていく姿。


「……なるほどね。見つけた♡」

静かに呟く。

「無断外出、か」


表情は変わらない。

だが、その目はわずかに鋭くなっていた。



授業後の廊下。

人の流れがまばらになる中、カリンの前に一人の影が立った。


ノート・アラントだった。


「……カリン・ナナツキ君」


名前を呼ばれ、カリンは足を止める。


眉をひそめる。

「……うん?誰?」


ノートは軽く肩をすくめた。

「ノート・アラント。同じクラスだよ。まあ、ボクは影薄いからさ」


「……で、なんか用か?」

カリンは視線を外さないまま、短く返す。


ノートは一歩だけ距離を詰める。

その視線が、わずかに落ちる。


「昨日の件だよ」

「すごかったね、あれ。ビックリした」


カリンはわずかに顔をしかめる。

「……見てたのか」


ノートは軽く笑った。

「たまたまだよ。目に入っただけ」


ノートの声色が、ほんの少しだけ落ちる。

「……理解しているよ」


その言葉が、静かに落ちる。

一瞬、空気が揺らぐ。


だが——

カリンは眉をひそめたまま、変わらない。

「……は?」


ノートの視線が、わずかに動く。

(……へぇ、かからない)

内心で呟く。


ノートが静かに言った。

「キミって、特別だよね」


その言葉に、カリンは即座に返す。

「は?何言ってんだお前」


一切、揺れない。


その姿をノートは数秒だけ観察する。

(干渉できない……やっぱり興味深いな)


ノートはわずかに口元を緩める。

「……お友達、戻ってくるといいね」


それだけ言って、ノートは背を向けた。


カリンはしばらくその背中を見ていた。

「……なんだあいつ」

とだけ呟いた。



火曜日の昼。


アカデミー近くの商店街は、いつも通りの賑わいを見せていた。


「悪いねぇ、助かったよ」

お土産屋の店主が頭を下げる。


アギはしゃがみ込んだまま、工具をしまう。

「別に……大したことじゃねぇよ」


直したのは、古びた機材。

内部は複雑で、素人が触れば壊しかねない。

それを、アギは迷いなく直してみせた。


「いやいや、これ動かなくて困ってたんだ」

「若いのに、腕いいじゃないか」


アギは立ち上がる。

少しだけ気まずそうに、視線を逸らす。

「……泊めてくれた礼だよ」


店主は一瞬きょとんとしてから、笑った。

「律儀だねぇ」


「ねえ兄ちゃん!」

別の声が飛ぶ。振り向くと、惣菜屋の店主が手を振っていた。


「うちの機材も見てくれないかい?」

「急に調子悪くなっちゃってさ」


アギは一瞬だけ面倒くさそうに顔をしかめる。

「……はぁ?ったく……どれだよ」


惣菜屋の店主が嬉しそうに奥を指さす。

「こっちこっち!」


アギは舌打ちしながら歩き出す。

「……しゃあねぇな」


賑わう街を見ながら、アギは視線を逸らした。

胸の奥が、落ち着かない。

——逃げてきた。

その事実が、重く残っている。


それなのに。


「助かったよ」「腕いいじゃないか」

さっきの声が、頭から離れない。

笑った顔。何の疑いもない視線。


胸の奥が、ざわつく。

こんな自分に、あんな風に接してくる。

まるで、最初からそこにいる人間みたいに。


「……なんなんだよ」

アギは吐き捨てるように呟く。


視線を逸らす。

こんな場所、知っちまったら——

戻りづらくなるだろ。

胸の奥が、強く痛んだ……。


その時だった。

——空気が歪む。嫌な感覚が、肌を刺す。


照明が一瞬で落ち、機材が停止する。

あちこちで悲鳴が上がる。

「何だ!?」「停電か!?」


次の瞬間、コズヴィランが出現した。


周囲の電力が、引き剥がされるように吸い上げられていく。


アギが顔を上げる。

「……は?なんだよ!?」

一瞬遅れて、状況が頭に入る。



「対象確認!バウデン星人だ!逃がすな!」

三人のO.E.D.O隊員が駆け込む。


その先を、バウデン星人は逃げ込んできた。

電線を伝い、建物から建物へ。

その軌道に沿って、街の電力が奪われていく。


「くそっ……!」

アギは顔をしかめた。

——関係ねぇ。

そう思ったはずなのに……。


「兄ちゃん!機材が——!」

お土産屋の店主の声。止まった機械。逃げ遅れた人影。


「ちくしょう……!」

アギは周囲を見渡す。

電線。配管。配置。

頭の中で、流れが組み上がる。


すぐに店主の元へ駆けつける。

機材に手をかけ、応急処置を施す。

動きを止めながら、状況を見極める。


「……あいつ、ただ吸ってるだけじゃねぇ」

動き。吸収のタイミング。


「循環させてる……!」


「おいO.E.D.O隊員!」

アギが叫ぶ。


「そいつ、電力回してる!流れがある!」


O.E.D.O隊員が振り向く。

「循環パターンか、了解!」


「だったら——」

言いかけるが、アギは躊躇する。


視線の先には、三人のO.E.D.O隊員がバウデン星人を囲んでいる。

「コイツを逃がすな!」


だが——バウデン星人は電力を吸い上げながら暴れ回る。


「ぐっ……!出力が上がってる!」

隊員たちが押される。



アギは一歩、後ろに下がった。

——今なら、逃げられる。視線を逸らす。

関係ない。オレには、関係ない。

そのはずなのに……。


「兄ちゃん!」

今度は惣菜屋の店主が叫ぶ。

振り向くと店の奥で、機材が激しく揺れている。

「やべぇ!止まんねぇ!危ねぇ!」


「おい!触るな!」

アギは一気に距離を詰める。

機材を一瞥。

「……今触ってたら、巻き込まれてたぞ」


工具を差し込み、強引に制御を落とす。


火花。

機材が沈黙する。


「……っ、止まった……!」

店主がその場にへたり込む。


「下がってろ。巻き込まれるぞ」

アギが短く言い捨てる。


そのまま視線を上げる。逃げ遅れた人影。

止まった店。消えた明かり。

人々が逃げ惑い、商店街は一気に混乱に包まれた。


——今なら、ここから離れられる。

足が、後ろへ動く。


「……なんでだよ」

足が止まる。

さっきの声が、よぎる。


(助かったよ)


「……くそっ!」

拳を握る。


「……放っとけるかよ!」

踵を返す。逃げるのは今じゃない。


向かう先は、逆だ。

混乱の中心。


壊れた消火栓に全力で走り駆け寄る。

水が漏れ出している。


「……これ使えるか」

アギはしゃがみ込み、工具を取り出す。


配管の状態を確認する。

「くそ、こんなんじゃ圧が足りねぇ……」

一瞬で構造を把握する。


「だったら——」

工具を叩き込み、内部を調整する。

流れを変える。圧を集中させる。


「……よし!いけるぞ」

アギは勢い良く立ち上がる。


「おい隊員!そいつ、足止めしろ!」

アギが叫ぶ。


突然の指示に、O.E.D.O隊員の一人が振り向く。

「何だ!?」


見知らぬ少年。

だが、その目は真剣だった。


「いいから動き止めろ!今しかねぇ!」

アギは焦りをにじませる。


一瞬の逡巡。


「……乗るぞ!」

隊員が踏み込む。他の二人も合わせる。

「左右から挟め!」

「動き止めるぞ!」


バウデン星人に食らいつくように距離を詰める。


O.E.D.O隊員達は無理やり動きを押さえ込む。

「くっ……持たねぇぞ!」


「今だ!!」

アギがバルブを開く。


水が一気に収束する。

噴き上がるのではなく、一直線に放たれる。


「なっ——!?」


水の“ビーム”が、一直線にバウデン星人へ叩きつけられる。


その身体が、大きく痙攣した。

「ガァァアアアッ!?」


内部のエネルギーが乱れる。

吸い上げていた電力が逆流し、制御を失う。


前線の隊員が目を見開く。

「効いてるぞ!」


バウデン星人の動きが崩れる。

電力の流れが狂い、身体の各所で火花が散る。


別の隊員が叫ぶ。

「出力が落ちてる!今なら押し切れる!」


だが——

次の瞬間、バウデン星人が無理やり姿勢を立て直す。

「グゥゥ……ッ!」

まだ止まらない。


後方で見ていたアギが舌打ちする。

「……足りねぇ」


アギは一瞬で判断する。

「もっと流せばいい!」


アギは配管へ駆け寄り、工具を叩き込む。

バルブをこじ開け、内部構造を強引に切り替える。

「圧、全部こっちに回す……!」


水圧が一気に上がる。


次の瞬間——水流が収束する。

拡散していた流れが、一本の“線”になる。


「うわっ……!?」

隊員が思わず声を漏らす。


さっきとは比べものにならない水圧が、バウデン星人の全身を貫く。

「ガァァアアアアアアッ!!」


内部のエネルギーが完全に暴走する。

破裂寸前の振動。

全身が制御を失い、激しく揺れる。


前線の隊員が即座に判断する。

「今だ!一気に畳みかける!」


三人が同時に踏み込む。

「叩け!!」

連携した攻撃が、一斉に叩き込まれる。


衝撃。光が弾ける。


バウデン星人の動きが、止まる。

全身に異常な振動だけが残る。


そして——なんとか制圧する事が出来た。


アギはゆっくりと息を吐く。

「……やっとかよ」



沈黙しかけた、その時。

バウデン星人の目が、ギラリと光る。


「……っ!?」

アギが息を呑む。


バウデン星人は、崩壊しかけた体内エネルギーを、無理やり一点に収束させる。


周囲の空気が震える。


前線の隊員が叫ぶ。

「まずい、まだ動ける!」


「来るぞ!!」

別の隊員が警告する。


バウデン星人の収束したエネルギーが、解き放たれる。


一直線にアギのいる方向へ。


——間に合わない。


その瞬間。


「遅い」

その声は、すぐ背後からだった。


一閃。


横から叩き込まれた一撃が、バウデン星人の身体を吹き飛ばす。

「ガァッ——!?」


衝撃音。


ゆっくりと、煙の向こうに影が立つ。


それを見て、隊員の一人が息を吐く。

「……特務隊員」


そこに立っていたのは——


ハニー・デューンだった。


ハニーは視線を逸らさず、淡々と言う。

「あなた達、詰めが甘いわね♡」


ゆっくりと歩み寄り、倒れたバウデン星人を見下ろす。


「そんなんじゃ、仕留めきれない」

「早く拘束しなさい」

ハニーが淡々と言い放つ。


その一言で、空気が引き締まる。


「は、はい!」

隊員たちが慌てて動き出す。

「拘束具、急げ!」

「まだ反応あるぞ、気を抜くな!」


一斉に取り押さえ、専用の拘束具を打ち込む。


ハニーはアギに笑顔で手を振る。


一撃。


反撃の余地すら与えず、完全に沈黙させる。

動きは無駄がなく、速い。

静かに、終わった。


アギは肩の力を抜いた。

「……終わった…」



商店街の騒ぎは、ようやく落ち着き始めていた。拘束されたバウデン星人は運び出され、隊員たちは慌ただしく後処理に追われている。


その中で、アギはその場に座ったまま、小さく息を吐いた。

「……はぁ」


緊張が抜けていく、その瞬間——


「逃げてたわりには、よく動いてたじゃない」

背後から、ハニー先生の落ち着いた声がした。


アギはゆっくりと振り向いた。


いつの間にか、ハニー先生がすぐ後ろに立っている。腕を組み、こちらを見下ろしていた。


「……見てたんですか」

ぼそりとアギが呟くと、ハニーは興味なさそうに「一応ね」とだけ返す。


それ以上は何も言わない。


短い沈黙のあと、ハニーは視線を外さないまま口を開いた。

「それで?戻るの、戻らないの」


問いかけというより、確認だった。感情は乗っていない。ただ選択だけを突きつけてくる声音。


アギは答えない。視線を落とす。


さっきの光景が、頭から離れない。笑った顔。「助かったよ」という声。


アギは拳を握るも、言葉が出ない。

「……」


ハニー先生はアギに対し、余計なことは言わない。

「ワタシは迎えにきたわけじゃないわ」

「辞めるなら、ちゃんと退校手続き取りなさい」


淡々とした声。一切の感情がない。

事務的で、冷たいほどに現実的な言葉。


「ここで逃げるなら、それまでの人間よ。地球は、守れない」

その言葉は、静かに、だが確実に重く響いた。


「でもね……」


わずかに間を置いて、

「さっきのあなた、悪くなかったわよ♡」

その一言に、アギの目がわずかに揺れる。


ゆっくりと視線を上げると、ハニーは変わらず淡々と立っていた。


「……分かりました。帰ります」

アギは静かに言った。


ハニーは小さく頷く。

「そう♡それでいいわ」


そう言って踵を返し、「ついてきなさい」とだけ告げて歩き出す。


アギは一瞬だけ立ち尽くした。


視線の先には、少しずつ日常を取り戻し始めた商店街。


ほんのわずかに息を吸い——

何も言わず、その後を歩き出した。

その背中は、もう逃げていなかった。



火曜日の夜。


アギは、何事もなかったかのように戻ってきた。


「アギ君、心配したんだよ!?」

ナナハが詰め寄る。


アギはうつむいている。


「ふざけんなよお前——!」

「どこ行ってたんだよ!どんだけ心配させてんだ!」

ハルカが詰め寄る。怒りを隠さない声。


「……外」

アギがぶっきらぼうに返す。


「外じゃねぇよ!!」

一歩踏み出すハルカ。


空気が張り詰める。 


「戻ってきたんだね」

マーシュが間に入る。

穏やかな声で、流れを切る。


ハルカが舌打ちしながらも止まる。

張り詰めていた空気が、わずかに緩む。


その中で、カリンが一歩前に出た。

申し訳なさそうにしているアギを見る。


そして、ふっと笑った。

「おかえり。美味いもん食えたか?」

それだけだった。


だが、その一言に余計な感情は乗っていない。

——アギは戻ってくるって、分かってた。

その確信だけがあった。


アギは一瞬だけ目を逸らす。

目元が、わずかに滲む。

「……ああ」


ナナハが小さく呟く。

「……無事でよかった……」


場の空気が、少しずつ緩んでいく。


アギは視線を下げる。

少しだけ間を置いて、頭を下げた。

「……心配かけて悪かった。ごめん」


少しだけ間を置く。


ハルカが顔をしかめる。

「……ったく、ほんとだよ」


吐き捨てるように言いながらも、どこか力が抜けている。


マーシュが軽く笑う。

「まあ、無事で何よりだよ」


ナナハも小さく頷く。


誰も責め続けようとはしなかった。


アギはもう一度、小さく息を吐く。

その場に、ようやく“いつもの空気”が戻ってきていた。



深夜。寮の一室。

明かりは落とされ、窓から差し込む夜の光だけが部屋を照らしている。


ノートは、ベッドの端に腰掛けていた。

ポケットから小型の通信端末を取り出す。

静かに起動し、耳元へと寄せる。


「……定期報告」


わずかな間。


「カリン・ナナツキ」

「爆発的な攻撃力あり」

「ただし制御に難あり。現状の評価は中の下」


淡々と告げる。


「……もう一件」


「有望な人材を確認しました」


短い言葉。

脳裏に浮かぶのは——ダリアン・ナイトレイ。


通信の向こう。

ノイズ混じりの低い声が返る。


「……引き続き観察を続けろ」


一拍。


「そして」

わずかに音が歪む。

「アカデミーのどこかに眠る“あれ”を見つけろ」


ノートの目が、わずかに細くなる。

「了解」


通信が切れる。


ノートはゆっくりと立ち上がり、窓の外に視線を向ける。


わずかに口元が歪む。

「順調だ」


小さく、呟く。

「理解しているよ」

その声は、誰にも届かない。



第7話 終

ここまで読んでいただきありがとうございます!

第7話はアギの回でした。

逃げるか、残るか。誰かに言われるんじゃなくて、自分で選ぶ話にしました。

そして後半では、ノートやダリアンの動きも少しずつ進み始めました。


良かったら引き続き読んでいただけると嬉しいです!

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