第3話 山に刻む拳
コズヴィラン襲来から一週間。
街は、まだ傷だらけだった。
崩れた建物には足場が組まれ、重機の音が朝から鳴り続けている。
温泉街の通りには焦げ跡が残り、焼けた匂いが、まだ消えない。
それでも――
人は動いていた。
瓦礫を運ぶ者。
店を立て直す者。
笑顔を作ろうとする者。
日常を、取り戻そうとしている。
その中に、カリンもいた。
黙々と資材を運び、手を動かす。
だが――
ふとした瞬間、脳裏に焼き付く。
炎。
崩れる建物。
自分の拳。
無意識に、手が止まる。
「……っ」
握りしめる。
まだ消えていない。
あの感触が。
⸻
夜明け前の山は静まり返っていた。
アカネザカ温泉の奥――立入禁止区域。
肌にまとわりつく空気が、やけに重い。
だが、胸の奥は騒いでいる。
前を歩く背中を見る。
祖父のジンライ。
いつもとは違う。
無駄のない歩き。
隙のない気配。
戦う者の背中。
(同じ人間……なんだよな)
違和感は、まだ消えない。
優しい祖父の顔。
圧倒的な武人の顔。
その落差に、思考が追いつかない。
だが――
(少しだけ……分かってきた気がする)
あの背中は、どちらも本物だ。
守るために、戦っている。
それだけは、もう疑わない。
拳を握る。
自分の中にある“あの力”。
逃げるのか。
向き合うのか。
答えは、もう決まっている。
⸻
「今日から始める」
ジンライの声は低い。
「何をやる?」
「まずは――暴れろ」
「え?」
一歩。
ジンライが踏み込む。
その瞬間。
空気が、叩きつけられた。
ドンッ!!
見えない圧が、全身を押し潰す。
「……っ!?」
呼吸が止まる。
視界が揺れる。
本能が叫ぶ。
――危険だ。
次の瞬間。
ドクン…。
鼓動とは別の脈が暴れ出す。
血が逆流するように熱を帯びる。
(勝手に……!?)
止める前に、
身体が“応じる”。
血管を熱が走り、視界の端が赤く滲む。
止めろ――!
拳の隙間から熱が溢れ、足元の砂利が震えた。
次の瞬間――
ドンッ!!
地面が砕ける。
「……っ!?」
踏み込んでいた。
意識より先に、身体が動く。
ドクン。
鼓動とは別の脈が、暴れる。
視界が歪む。
熱が、頭まで駆け上がる。
髪が、揺れる。
――色が抜ける。
銀。
瞳が、焼けるように染まる。
赤。
(……やめろ)
思考が、削れる。
遠のく。
薄れる。
目の前にいるのが誰かも分からない。
ただ――
“壊す”。
踏み込む。
速度が跳ね上がる。
地面が砕ける。
拳を振り抜く。
空気が裂ける。
(止まれ――!!)
止まらない。
衝動が、上書きする。
もっと。
壊せ。
潰せ。
その瞬間――
ドンッ!!
衝撃。
鳩尾に拳が突き刺さる。
呼吸が潰れる。
視界が弾ける。
身体が地面に叩きつけられる。
「がっ……!」
肺が空になる。
痙攣する。
意識が、引き戻される。
霞む視界の中。
ジンライが、そこに立っている。
一歩も、動いていない。
「今のが暴走だ」
声は変わらない。
祖父ではない。
戦士の声。
「力を拒むな」
見下ろす視線が鋭い。
「恐れて押さえ込むから暴れる」
一歩近づく。
「お前は力を敵にしている」
言葉が、刺さる。
「力は道具だ」
一拍。
「振り回されるのは未熟だ」
厳しい。
だが――正しい。
「受け入れろ」
「自分のものにできない限り、お前は立てん」
言い返せない。
オレはずっと――
怖がっていた。力そのものを。
⸻
修行は地獄だった。
丸太を担ぎ、山道を駆ける。
転ぶ。
「立て」
立てなければ――蹴られる。
腕立て。懸垂。岩打ち。
拳の皮が裂ける。
その直後。
殺気。
内側が暴れる。
崩れる。
何度も――
何度も。
強くなっている実感はない。
削られていくのは――体力と精神だ。
⸻
三週間後。
空は朝から曇っていた。
足が止まる。
膝が笑う。
ぽつり。
頬に落ちる冷たい滴。
やがて、雨になる。
泥に膝をつく。
思い出す。
崩れた屋台。
燃えた柱。
泣いていた子ども達――リィナ。
オレの拳から漏れた炎。
敵じゃない。
オレが壊した。
守るって言ったのに。
壊した。
「……また、ああなるのか」
雨が顔を打つ。
力があるから壊した。
力があるから――怖い。
「……向いてないんじゃないか」
声が震える。
ジンライは何も言わず、そこに立っている。
雨の中で。
「逃げるなら今だ」
その一言が、胸を刺す。
引き止めないし慰めない。
選ばせる。
拳を握る。
泥が落ちる。
逃げたら――
あの日から、何も変わらない。
「……逃げたら、ずっと逃げる」
立ち上がる。
「オレは逃げない!」
一瞬だけ。
ジンライの目が和らぐ。
祖父の顔。
だが、すぐに消える。
「なら――目を逸らすな」
⸻
殺気が落ちる。
来る。
恐怖も。怒りも。悔しさも。
消さない。
吸う。
吐く。
鼓動と――もう一つの脈を重ねる。
ズレていたリズムが、噛み合う。
熱が集まる。
一点へ。
拳。
握る。
ギリ、と骨が鳴る。
だが――
力は、暴れない。
逃げない。
拳の内側に、収まっている。
足元の砂利が震える。
――だが、爆ぜない。
止まっている。
意志で。
ゆっくりと、腕を振る。
ブンッ――
空気が唸る。
重い。
だが、逸れない。
「……いける」
初めて。
自分の声が、自分のものに聞こえた。
「続けろ」
ジンライの声が、わずかに低くなる。
⸻
修行開始から半年が経った。
O.E.D.O研究所の地下円形ホール。
青白い粒子が渦を巻く。
静寂。
カリンは、中央に立っていた。
拳を握る。
ゆっくりと――構える。
相手を想定する。
距離。
間合い。
呼吸。
ドクン。
鼓動が鳴る。
体の奥で、熱がうねる。
(……いるな)
逃げない。
押さえ込まない。
受け入れて、一歩踏み込む。
ダンッ!!
床が、低く鳴る。
踏み込む。
拳を打つ。
ブンッ――
空気が裂ける。
速い。重い。
――重すぎる。
わずかに、拳がわずかに下がる。
力みすぎだ。
息を吐く。
余分な力を抜く。
もう一度。
踏み込み拳を打つ。
ブンッ――
さっきより、軽い。
軌道が伸びる。
ピタリと止まる。
「……いける」
小さく、吐く。
ジンライが、わずかに目を細める。
「……いいだろう」
一拍。
「――これで終わりだ」
「積み上げたものを見せろ」
その意味は、重い。
次の瞬間――
バチッ。
バチバチッ!!
空間が裂ける。
――顕現。
リザドゥ星人。
あの日と同じ姿。
同じ圧。
同じ、恐怖。
だが――
血の匂いが、ない。
床に影が落ちない。
わずかに、輪郭が揺らぐ。
「実体投影だ」
ジンライの声。
「O.E.D.Oの戦闘訓練用――仮想コズヴィラン」
一拍。
「その中でも、リザドゥ星人の再現個体だ」
「甘く見るな」
リザドゥが咆哮する。
「痛みも、死も、現実と変わらん」
ドクン。
内側が震える。
(怖い…)認める。
だけど逃げない!
ギィン!!
爪が振り下ろされる。
ドォン!!
床が爆ぜる。
破片が舞い、衝撃が頬を裂く。
踏み込む。
ダンッ!!
カリンが拳を打ち出す。
バチィィン!!
爪と拳が激突。
火花が散る。
重い。
腕が痺れる。
――だが崩れない。
あの日は――
熱に呑まれた。爆ぜた。壊した。
今は違う。
爪が横薙ぎに走る。
ヒュンッ!
しゃがむ。
回転。
ドンッ!!
腹部へ叩き込む。
だが――硬い。
弾かれる。
ズザァッ!
後退。
ドクン。
内側が跳ねる。
熱が膨張する。
広がろうとする。
(暴れたいのか?)
違う!
これは――力だ。
吸う。
止める。
吐く。
ドクン。
熱が流れる。
暴れない。
逃げない。
リザドゥが咆哮し踏み込む。
「ギャァァァッ!!」
床が鳴る。
一直線。
速い。
デカい。
逃げない。
カリンは踏み込む。
正面。
拳を打つ。
ドンッ!!
爪と拳がぶつかる。
火花が散る。
腕が止まる。
重い。
押し込まれる。
靴底が床を滑る。
それでも――離さない。
歯を食いしばる。
押し返す。
一歩踏み込む。
体をねじる。
拳を弾く。
リザドゥの腕が外へ流れる。
懐が空く。
入れる!
深く低く!
腹。
ドンッ!!
拳がめり込む。
硬い。
浅い。
弾かれる。
カリンの体が跳ね返る。
ズザァッ!!
床を滑る。
止まる。
「フゥゥゥ……」
カリンが息を整える。
リザドゥが吠える。
「ギャァァァッ!!」
床を蹴る。
重い足音が響く。
突っ込む。
真正面。
来る。
カリンは構える。
腕を上げる。
肘を締める。
ドォォン!!
衝撃。
爪が叩きつけられる。
腕で受ける。
衝撃が肩へ抜ける。
膝が沈む。
床が鳴る。
歯が鳴る。
それでも――
倒れない。
顔を上げる。
「……来いよ」
踏み込む。
一気に距離を詰める。
胸元へ。
拳を叩き込む。
ドンッ!!
止まる。
そのまま――押す。
ミシッ。
外殻が軋む。
さらに踏み込む。
足が床を捉える。
逃がさない。
「オォォォラァァァッ!!」
全身で押し込む。
ミシミシッ!!
外殻が悲鳴を上げる。
「これは――」
拳に力を集める。
「守るための力ァァァッ!!」
腰を回す。
一点。
撃ち抜く。
「オレの――拳だ!!」
ドォンッ!!!
拳が胸部に突き刺さる。
めり込む。
止まる。
一瞬の静止。
次の瞬間――
ピシッ。
ヒビ。
ピシピシッ!!
胸から全身へ亀裂が走る。
内側から弾ける。
バキィィィン!!
リザドゥが崩れる。
粒子となって霧散する。
静寂。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
残るのは――荒い呼吸。
そして。
制御された力。
拳が震えている。
だが、暴れない。
止まっている。
――オレの中で。
⸻
観測室。
ジンライは静かに見ている。
司令官としての戦いを測る目。
だが――
ほんの僅か。
奥に、光が宿る。
⸻
「合格だ」
短い一言。
それだけで十分だった。
膝が折れる。
床に手をつく。
遅れてくる震え。
怖かった。
それでも――
逃げなかった。
抑え込まなかった。
「……できた」
小さく、息を吐く。
⸻
地下通路。
ジンライが歩く。
その背中を、見ている。
「基礎は終わった」
足が止まる。
振り返る。
その視線を、真正面から受ける。
少し前までなら、逸らしていた。
だが今は――違う。
カリンは、拳を握る。
あの日。
壊した記憶。
逃げたくなった夜。
雨の中で立ち上がった瞬間。
そして――
今。
制御した力。
もう、答えは出ている。
「……オレ、行くよ」
ジンライは何も言わない。
ただ、聞いている。
一歩、踏み出す。
「半年って……これのためか」
小さく、呟く。
「アカデミーの入学試験……」
視線を上げる。
ジンライを見る。
「最初から、そこまで連れてく気だったんだろ」
ジンライは、わずかに目を細める。
「……選ぶのはお前だ」
一拍。
「だが――力の使い方。道を間違えた時は、私がお前を終わらせる」
静寂。
その言葉は、脅しじゃない。
事実だった。
カリンは、目を逸らさない。
「O.E.D.Oに入る」
一歩、踏み出す。
「守る側に立つ」
一拍。
ジンライを見る。
「じいちゃん……オレはあなたみたいに、なりたい」
「それに……追いたい背中がある」
小さく、だがはっきりと。
「いつか――追いつく」
数秒。
ジンライは――小さく頷く。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、認める。
それだけでいい。
「準備をしておけ」
短い言葉。
それだけ。
だが意味は重い。
次に進むための言葉だ。
⸻
扉が開く。
光が差し込む。
その先は――戦う者の道。
逃げ場はない。
だが。
カリンは、迷わない。
一歩、踏み出す。
――ここからだ。
だが、その先で待つ場所は。
この時のカリンの力では、まだ通用しない。
それでも――
ようやく、スタートラインに立った。
守るための力を、自分のものとして。
その事実を――
まだ、知らないまま。
⸻
第3話 終
第3話は修行編でした。
カリンの挫折と成長、そしてバトルを書いています。
バトルはかなり力を入れたので、楽しんでもらえたら嬉しいです。
次回からアカデミー編が始まります。
新キャラも出てきます。
引き続き読んでもらえたら嬉しいです。




