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拝啓、クソガキのママになりました。~自称美人な運び屋と少し壊れてる少女の星間逃避行~  作者: パッタリ


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2話 作られた存在

 「ねえ、これ本当に人間の食べ物? なんか壁の断熱材みたいな感じというか……絶対断熱材でしょ。児童虐待で訴えるよ?」


 宇宙船エリンジウム号の居住区画に、イリスの不満げな声が響き渡った。

 彼女の細い指がつまんでいるのは、栄養素だけを極限まで圧縮したブロック状の携行食料、通称は栄養ブロック。

 操縦席から居住区画へとやってきたサンドラは、コーヒー代わりの合成カフェイン飲料をマグカップで飲みながら、大きくため息をついた。


 「文句を言うなら食べるな。宇宙の果てまで高級フレンチのデリバリーでも頼む気? それに、私の船の断熱材はそんなに安っぽくない」

 「えー、でもママ、これパサパサしてて喉通らないよー」

 「だったら水で流し込みなさい。……だいたいね、あんたが突然依頼なんかしてくるから、十分な物資を積む暇もなかったのよ」


 サンドラは周囲を見渡す。

 エリンジウム号の船内は、外観のひどさからは想像もつかないほど綺麗に整頓されている。

 それは単にサンドラが綺麗好きというわけではなく、この船が彼女の家であり命綱だからだ。


 「輸送しかできなさそうな船なのに」

 「外観は中古の船だけど、装甲の内側に隠された中身は別物なの」


 軍用規格のシールドシステム、最新鋭のジェネレーター、そして正規のルートでは絶対に手に入らない違法改造のメインスラスター。

 武装は、デブリを破壊するためのビーム砲が一つのみ。

 このアンバランスさこそ、非合法な運び屋として生き残るための生存戦略だった。

 貧弱な船と侮って近づいてきた海賊や、賄賂という鼻薬を嗅がせたはずの役人が急に気まぐれを起こした時、一瞬で振り切るための力だ。


 「……まあ、その代償としてエリンジウム号は金食い虫だけども」


 最新パーツへの定期的な更新、特殊な規格に合わせたメンテナンス費用、そして安全を確保するための各所への賄賂。

 これらがサンドラの稼ぎを湯水のように飲み込んでいくため、あまり生活には余裕がなかった。


 「でもさ、わたし、かなりの額を振り込んだはずだけど? もっと美味しいもの買ってよ」

 「あんたが振り込んだ大量のクレジットは、今はまだ口座の奥底で眠ってるただのデータ。どこかのステーションとかに寄って、それを現物の資金や物資にしない限り、私たちはお金持ちの餓死者になるだけ。……だから、それまでは栄養ブロックで我慢しなさい」

 「ちぇっ。ケチ。甲斐性なし」

 「甲斐性なしって言うな!」


 ひとしきり言い争ったあと、イリスは「そろそろシャワー浴びる」と言って、船室の奥にあるシャワー室へと向かった。

 宇宙船の限られた水資源を使うため簡素なものだが、何もないよりはマシだ。

 サンドラは航路の微調整を行いながら、ふと、イリスが着替えを持っていなかったことを思い出した。


 「あの子の服……やれやれ」


 仕方なく、サンドラは自分のキャビネットから、一番サイズが小さく、かつ乾燥機で縮んでしまった古い服を引っ張り出した。


 「おいクソガキ、着替え持ってきたわよ。私のお古だけど我慢しなさい」


 シャワー室の扉を無造作に開けたサンドラは、そこで言葉を失った。


 「あ、ちょうどよかった。ありがとう、ママ」


 濡れた金髪をタオルで拭きながら振り向いたイリスは、上半身裸だった。まだ成長途中の人形のように白く細い身体。

 だが、サンドラの目を釘付けにしたのは、その背中に刻まれた“異常な痕跡”だった。

 首の後ろ、うなじのすぐ下あたり。

 そこには真っ黒なバーコードが深く刺青として刻み込まれていた。

 そして、その下。

 背骨のラインに沿うように、いくつも無機質な金属の端子が、直接肉と骨に埋め込まれていた。

 皮膚と金属の境界は痛々しい痕になっており、それが医療目的ではなく、無理やり人体を機械に接続するためのものであることは一目でわかった。


 「……それ……」


 サンドラが落としそうになった着替えを慌てて掴み直し、声を震わせると、イリスは自分の背中越しに視線をやり、あっけらかんと笑った。


 「あー、これ? バーコードはわたしの個体識別番号。失敗作として廃棄する時に、管理しやすいようにね。下の端子は、脳の神経系に直接データを流し込んだり、逆にわたしの能力を外部の機械に接続して拡張するためのプラグみたいなもの」

 「……痛く、なかったの?」

 「さあ? 物心ついた時からこうだったし、痛覚も必要に応じてカットされてたから。まあ、たまにショートして脳が焼け焦げるかと思ったことはあったけどね」


 まるで、天気を語るような軽い口調だった。

 それがサンドラの胸をひどく締めつけた。

 作られた実験体。非合法な研究。

 言葉で聞くのと、実際にこの目で証拠を見せつけられるのとでは、天と地ほどの差があった。

 サンドラは無言でイリスに歩み寄り、上からシャツを被せた。


 「……っ、ちょ、ちょっと? 乱暴なんだけど」

 「早く着なさい。風邪引くわよ」

 「……宇宙船の温度管理は完璧でしょ?」

 「いいから!」


 少しだけ声を荒げたサンドラは、無理やりイリスの頭にタオルを乗せ、乱暴に、けれどどこか優しく髪を拭き始めた。


 「自分の身体を、モノみたいに言うんじゃないわよ。……あんたは今、私の船に乗ってる乗客なんだから、無事に逃げ切るまでは、あんたの命もその身体も、全部私が面倒見る必要があるの。わかった?」


 タオル越しに伝わってくるサンドラの手の温もりに、イリスは一瞬だけ目を丸くし、それから嬉しそうに目を細めた。


 「……うん。わかったよ」


 船内が標準時刻の夜を迎え、照明が淡いブルーのナイトモードに切り替わった頃。

 サンドラは操縦席の近くにある狭いベッドで、深い眠りに落ちていた。

 ここ数日の緊張と脱出劇の疲労が、彼女を泥のような睡眠へと引きずり込んでいたのだ。


 「すぅ……すぅ……」


 規則正しい寝息が響く静寂の中、暗闇に青い瞳が妖しく光った。

 イリスだ。彼女は音もなくベッドから抜け出すと、サンドラの寝顔のすぐそばまで歩み寄った。


 「……あはっ。無防備」


 イリスはベッドの縁に膝をつき、サンドラの顔を覗き込む。

 長いまつ毛、少しだけ開いた唇、そして、かすかに漂う石鹸と機械油の混じったような彼女の匂い。

 イリスは陶酔したように深く息を吸い込み、自分の身体を抱きしめた。

 あの無菌室の冷たい空気とは違う。血の匂いと消毒液の悪臭に満ちた実験棟とも違う。

 綺麗に整頓されたこの狭い宇宙船は、サンドラという人間が必死に生きてきた証の結晶だった。


 (あぁ……どうしよう。好き。この匂い、この温度。全部、わたしのもの)


 イリスの冷酷な精神の奥底で、狂気にも似た愛情がドス黒く膨れ上がっていく。

 最初は、自分を造り出した世界をめちゃくちゃに壊して、自分も壊れて死ぬ。

 それだけの計画だった。

 だが、この運び屋は、自分をモノではなく庇護すべき子どもとして見ている。

 その不器用な優しさが、執着という新たな怪物を強くしていく。


 (わたしだけのママ。わたしの絶対的なゆりかご。これを壊そうとする奴は……誰であろうと潰す)


 ねっとりとした視線をサンドラに絡ませていたその時、イリスの脳裏に鋭い警告音が響いた。

 物理的な音ではない。背骨に埋め込まれた端子が、エリンジウム号のセンサーネットワークと微弱に同調し、宇宙空間の異常を感知したのだ。

 イリスは目を細め、意識を船外へと飛ばした。

 超能力。それは単なる念動力などではなく、電子と脳波の境界線を越える力。

 イリスの意識は不可視のデータリンクを通じ、エリンジウム号の背後、数千キロ付近に忍び寄る影を捉えた。

 企業が放った、無人偵察機。

 おそらく、軌道エレベーターでのわずかな痕跡から航路を予測し、送ってきたのだろう。武装こそ貧弱だが、もし座標を送信されれば、すぐに企業の私設艦隊が急行してくる。


 「……ちっ。目障りな羽虫が」


 イリスは舌打ちをすると、眠るサンドラを起こさないよう、ベッドの横に座り込んだまま仕事を始めた。

 背骨の端子を通じて、彼女の脳から莫大な処理能力を持つハッキングコードが不可視の波となって宇宙空間へ放たれる。

 偵察機程度にあるファイアウォールなど、イリスにとっては薄い紙も同然だった。


 (せっかく寝顔を見ているのに邪魔をするな)


 イリスの意識が、偵察機のメインシステムに侵入する。警報システムを書き換え、通信モジュールを強制シャットダウン。

 そして、機体の姿勢制御用スラスターを暴走させ、内蔵された小型ジェネレーターの安全装置をすべて解除する。

 一連の作業時間、わずか数秒。

 数千キロ後方の暗黒の宇宙で、無人偵察機が誰にも知られることなく音を立てずに自爆し、小さな閃光となって消滅した。


 「ふふっ……これでよし」


 何事もなかったかのように、イリスは再びサンドラの寝顔に視線を戻した。

 サンドラは何も知らない。自分の愛機が追跡されていたことも、それを隣にいる少女が瞬きする間に破壊したことも。

 それでいい、とイリスは思う。


 (ママは前だけ見て、わたしの手を引いてくれたらいい。後ろから来る汚いものは、わたしが全部、気づかないうちに掃除してあげるから)


 イリスはそっと手を伸ばし、サンドラの黒く長い髪を撫でた。


 (ずっと……一緒にいようね)


 暗闇の中、作られた少女は狂おしいほどの愛情を込めて、ひっそりと微笑んだ。


 ***


 翌朝。より正確には、船内時間での翌日のサイクル。


 「うーん……首が痛い……」


 サンドラは操縦席のコンソール前で伸びをしながら、軽く関節を鳴らした。


 「おはよう、ママ! よく眠れた? わたしはお腹空いた!」


 補助席には、すでに起きていたイリスが、足をバタバタさせながら無邪気な笑顔を向けていた。

 昨夜、宇宙空間で偵察機を消し飛ばした怪物と同じ存在だとは、微塵も感じさせない完璧な演技だ。


 「ああもう、朝はもう少し静かにして」


 呆れながらコンソールの数値をチェックし始めたサンドラは、画面に表示された警告アイコンに眉をひそめた。


 「……スラスターのパーツがいくつか焼け焦げてる。推進剤の残量も心許ない」

 「えー、どうするの? まさかここで宇宙の塵になるわけ?」

 「縁起でもないこと言わないで。……お金はあるんだし、少し予定を変更するわ」


 サンドラは星系図を呼び出し、正規の航路から外れた暗礁宙域にある、一つの座標を指し示した。


 「セレスト星系外縁部、非合法な採掘コロニー。政府の目も企業の目も届きにくい、吹き溜まりみたいな場所よ。あそこで船の修理と補給をする」

 「おっ、不良の溜まり場? なんかワクワクするね!」

 「遊びに行くんじゃないのよ。あそこは一歩間違えれば身ぐるみ剥がされる場所なんだから、絶対に私のそばを離れないこと。わかった?」

 「はーい、ママ!」


 母と娘、二人の星間逃避行。

 その裏で蠢く巨大な執着と狂気はまだ静かに身を潜めたまま、エリンジウム号は次なる目的地、無法者たちのコロニーへと向かう。

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