それは、あるいは始まりか。
「結局、こうなっちゃうんですね……」
王城へと向かう馬車の中、ニコールの侍女として同行しているサーシャが溜息を吐きながら言う。
ちなみに、今回の王妃選定の儀式では伯爵家以上の令嬢のみが招集されているのだが、優秀であるという理由で彼女にも特例として招集がかかりかけた。
だが、流石にそれは父であるラスカルテ子爵も雇用主であるプランテッド侯爵ジョウゼフも固辞。
これに対して占い師チェステも異議を唱えなかったため、サーシャは無事王妃候補から外れることが出来た。
……無事、というあたり、彼女や周囲の人間が王妃を貧乏くじだとしか思っていないのが明白なのは……まあ、プランテッド家基準であれば当たり前なのかもしれない。
なお、優秀さだけで言えばサーシャに引けを取らないエイミーは、流石に男爵家令嬢ということで声はかかっていない。
そのことにニコールが憤慨し、『そこまで評価していただけているだなんて!』と感激したエイミーの忠誠心だとかが急上昇したなんて一幕もありつつ。
プランテッド家関係者では、やはりニコールのみが王妃候補として登城することになっていた。
なんとか避けようとしていた貧乏くじを押し付けられた形なのだが……そんなニコールは、いつもの顔である。
「まあまあサーシャさん、そんな顔をしていたら幸せが逃げてしまいますよ?」
それはもう、ニコニコと。
隣に座るメイドのベルは、相変わらずすぎる主の態度に若干遠い目になっているあたり、幸せが逃げているようにも見える。
もっとも、ニコールの傍に居られたらそれだけでベルは幸せらしいと察してからは、サーシャがベルに同情する機会はかなり減ってしまっているのだが。
なお、そう見えていることを、ベル本人には言っていない。
照れ隠しで腕の一本や二本くらいは折られてしまいそうだからだ。
ニコールと愉快な仲間たちに囲まれて、サーシャの観察眼は日々磨かれてきているらしい。
それが幸せなことかどうかは、サーシャ本人にすらわからないが。
けれど、少なくとも今、ニコールの発言で少しばかり肩の力が抜けたことだけは事実だろう。
「貴族社会の一般的な幸せは、正直どうでもいいんですけども。
こうして皆さんと過ごす日々は守りたいなって、思っちゃいます」
自然と、笑ってしまう。
こちらの世界に転生してからこの方、色々なことがあった。
ニコールと出会ってからも、もちろん。なんなら、それからの日々の方が記憶に残っているくらいに。
そしてそんな日々は……当時はともかく。今となって振り返れば、楽しかった。
もちろん、振り返る余裕が出来たから、でもあるが。
そんなサーシャの笑顔を見て、一瞬だけニコールの表情がいつもよりも柔らかく大人びたものになって。
すぐに、いつものキンキラキンと輝かんばかりの顔に戻る。
「まあまあ、サーシャさんにそこまで思ってもらえるだなんて!
今まで思いっきり厚遇してきた甲斐があったというものです!」
「いやニコール様、そこでいきなり赤裸々に暴露するのはやめませんか!? ……確かに、下にも置かない扱いだとは思ってましたけども」
呆れたように言いながら、サーシャはニコールの発言そのものは否定しない。
それなりにこの世界の常識も見聞きしているサーシャからすれば、今の待遇は大した力もない子爵家の令嬢が受ける扱いとしては破格のもの。
給与面などはもちろんのこと、侯爵家の意思決定に関与することが出来るなど、友人の子爵家や男爵家の令嬢達が聞けば腰を抜かすことだろう。
おまけにラスカルテ子爵家の利益になるような活動も公然と認められているのだから、どこまでお人よし、もとい、懐が広いのかと思ってもしまう。
そして恐ろしいのが、それが巡り巡って、先だっての騒動では起死回生の手が打てたという事実。
そこまで計算していたのかとも思うが、ニコールの顔を見ていればただの偶然だった可能性も否定できない。
こうして掴み切れないからこそ、一層恐ろしくもあり……同時に、畏敬の念を覚えてもしまうのだが。
当のニコールが、そんな畏敬だなんだを示せるような空気をぶち壊しにしてくるのだから、また困りものではある。
もっとも、だからこそ居心地がいい空気になっているところもあるのだが。
「ええ、下に置くつもりなどございません!
サーシャさんにはどこまでも高みを目指していただかないといけませんので!」
「どこまでもって、どこまでですか!? 嫌ですよ私、王妃だとかそんなの嫌ですからね!?」
だから、子爵令嬢でしかないサーシャが遠慮なくツッコミを返せるわけで。
それが、とても心地よいわけだが。
「それはもちろんです! サーシャさんを他所に出すなど、我がプランテッド家の致命的な損失になりかねません!」
油断するとこんなことを当たり前のように、心の底からそう思っているのだとわかる声音で言われてしまうのだから、これはこれで困ってしまう。
「ま、またニコール様は、そんなことを……あたしは、そんな大した人間じゃないですってば」
自分は、そんな評価をされる人間ではない、とサーシャ個人は思っている。
けれど、こうも評価されること自体は、もちろん悪い気はしない。なんなら、これはこれで心地がいい。
しかし同時に、居心地が悪くなってもしまう。
ただ。
この評価を裏切りたくない、という思いが湧いてくるのだけは揺るぎない。
「大した人間じゃないですけど。……それでも……出来るだけのことは、しちゃいます」
強い決意を込めてそう言えば。
「流石サーシャさん! その意気です、また何かぶちかましてくれると信じておりますわ!」
「ぶちかますとかやめてもらえますか!? そういうのはニコール様だけで十分ですってば!!」
互いに貴族令嬢としていかがなものかと言われること間違いなしな語彙での会話が繰り広げられる。
それだけ、サーシャがニコールに対して心を許しているということでもあり。
……ニコールがサーシャをどれだけ受け入れているかは、今更言うまでもないだろう。
そんな二人を窘めるべき立場であるベルが何も言わないのだから、二人の舌戦はヒートアップするばかり。
いや、普段表情の薄い彼女が、なんならいつもよりも僅かばかり柔らかな表情になっているくらいなのだから、止まるわけもない。
こうしていつもの空気のまま、プランテッド家の馬車は王城へと向かう。
そしてたどり着いたそこは。いつもとは違う空気を纏っていた。
「……え?」
馬車止まりに着き、まずは侍女であるサーシャが主であるニコールより先に降りる。
こうして安全を確認してから主を降車させるのも侍女の仕事なのだが。
一瞬その職務を忘れて、サーシャは違和感に意識がいってしまった。
周囲にいる令嬢達の雰囲気が違うのは、王妃選定というイベントの性質を考えれば当然のはず。
だが、違う。
この違和感は、そんなものではない。
サーシャへと、視線が、意識が、向けられてこない。
まるで、彼女がそこにいないかのように。
「サーシャさん?」
違和感に動きを止めていたサーシャへと、ニコールから怪訝そうな声がかかった。
「も、申し訳ございません、ニコール様」
慌てて謝罪の言葉を口にしつつ、ニコールへと手を差し伸べる。
慣れた仕草でニコールが手を重ねたのを確認し、降りやすいよう注意しながらエスコート。
そして。
ニコールが馬車から姿を現したその瞬間。
ザッ! と音がしそうな勢いで一斉に視線が向けられたことに、サーシャの背筋が震えそうになった。
まるで、誰かに全員が操られているかのごとく一糸乱れぬ動き。
何より、視線は向けられているのに意識を向けられていないような感覚。
それでいて、令嬢達は口々にニコールの噂話を始めた。少しばかり棒読みに感じるような口調で。
「これって、まさか……?」
サーシャの頬を、冷や汗が伝う。
『強制力』
そんな言葉が、サーシャの脳裏に浮かぶ。
少なくとも、ここにいる令嬢達の違和感は、その一言で説明できてしまう。
まさか、と横目でニコールやベルの様子を伺えば……彼女達は普段通りの顔をしているが。
いや、ニコールがこのおかしな雰囲気に言及しないのは、おかしい。
まさか。
「サーシャさん、行きますわよ?」
そんな主が歩き出してしまえば、サーシャとて従わないわけにはいかない。
周囲へといつも以上に気を配りながら、堂々と歩むニコールの後ろを歩き。
いつの間にやら王城の中、正面大階段。
登るために見上げれば、サーシャの目は捉えてしまった。
「……リズナ・フォン・サイダウンテン……様……?」
口の中だけで呟いたその名前は、サーシャが知る、前世で読んだ小説のヒロイン。
貴族令嬢としては幾分短い、少し赤みがかったピンクブロンド。
まだ少女らしい幼さを残した整った顔の真ん中で輝くのはアメジストのような紫の瞳。
挿絵そのままの姿で、彼女はそこに立っていた。
一つだけ違うのは。
まるで仇敵でも見つけたかのような、硬く敵意に満ちた表情。
そんな顔で、爵位が下である伯爵令嬢のリズナが、侯爵令嬢であるニコールを見下ろしている。
不遜としか言いようのないその様子に、周囲がざわめく音量が上がっていく。……どこか機械的に。
まずい。
まずいまずいまずい。
何とかこの状況から抜け出さねばならないことだけはわかるのに、どうしたらいいかわからない。
サーシャの頭がフリーズしかけていたところで、ニコールが動いた。
「まあ、なんて顔をしてらっしゃるのかしら!」
思わぬセリフと共に。
『ニコール様!?』
と、言いたかったのに。
何故かサーシャの口は開けども、声が、出てこなかった。
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