12.グミの呪いとは……
横に長いコの字型のシステムキッチンで人参を切り、玉葱、ジャガイモを切り、豚肉を炒めながら考えた。
佐々木から依頼された浮気調査についてだ。
コンビニのことはもういい。
俺の知らないところで知らないうちに終わってしまった。
二万千円を振り込まれ、俺は二度とあの自動ドアを潜ることはないだろう。
無職になった俺は、吉田と同じく落ち込もうとした。
けれど気がついたのだ。
幸運なことに、俺は無職ではなかった。
つい二日前から探偵の弟子になっていた。
給料はない。
何故か五千円払っている。
そんなおかしな職場だけど無職ではない。
その事実が俺を支えた。
だとしたら、探偵の仕事について考えてみるべきだ。
そう思えた。
一美はついさっき帰ってきて、リビングの床にじかに座り、マニキュア塗りに勤しんでいる。
床暖房がついているので、ソファーに座るよりも温かくて気持ちがいいのだろう。
俺がコンビニが潰れたことを告げると、「そう」と一言呟き、
「マニキュア塗り直そっと」
誰にともなく宣言し、鼻歌交じりに手を動かしている。
両手を挙げて喜ぶのではないか、そう想像していただけに意外だった。
一美のすぐ隣には、三段式のキャスターが付いたケースがあり、中には世に売り出されているほぼ全種類のグミが詰まっている。
俺と付き合いだした頃には、一美はすでにグミにハマっていた。
コンビニやスーパーに行く度に数種類のグミを買い込み、新商品や地域限定の物等はいち早くネットでお取り寄せまでしている。
病的な程にグミを愛しているのだ。
俺は肉に火が通ったことを確かめ、ジャガイモ、人参、玉葱を炒め、目分量で水を入れた。
沸騰するのを待つ間、タバコに火をつけ、ぼんやりと一美のことを眺めていた。
一美は一番上のプラスチックのケースを引き出し、塗りたてのマニキュアが剥がれないようにそっとグミを一袋取り出す。
両手の指先だけを器用に使い、注意深く封を切り、黄色いグミを一粒取り出すと嬉しそうな笑顔を浮かべ、ぽいっと口の中に放り込んだ。
すっぱいのだろう。
ぎゅっと目を閉じ、小さく震える。
噛み締めるように味わい、飲み込んだようだ。
ふう、と小さな息を吐く。
そして……封を閉じ、一番下のケースに入れた。
ちらり、と一美がこっちを向いた。
目が合うとバツが悪そうに目をそらし、手早く新しいグミの袋を取った。
封を切り、また一口食べ、封を閉じて下のラックにしまう。
「お前さぁ、もったいねーだろ。ちゃんと食えよ、それも」
根元まで吸って燃え尽きそうなタバコの先で、下のケースを指した。
蛇口を開け、流れ出す水でタバコの先端を濡らしてシンクの三角コーナーに捨てる。
「えー、だってー」
一美は甘えたような声を出し、またもや次のグミの袋に手をかける。
「あっ、また」
大股で駆け寄り、今にも封を開けようとしていたグミの袋をひったくった。
「あー」
一美が悲しそうな声を出し、手を伸ばす。
届かないとわかると、今度はケースに手を伸ばしたので三段式のキャスターも足で遠くに転がした。
「返してよー」
両手をいっぱいに伸ばし、お菓子を取り上げられた子供のように訴えてくる。
「なんでちゃんと全部食べないんだよ?」
俺がため息まじりに問いかけると、
「封を開けたら5秒で鮮度が落ちるから」
生意気にもそうぬかした。
果たして、グミに鮮度なんてあるのだろうか?
もし仮にあったとしても、封を開けた一瞬で落ちるとは思えない。
俺は心を鬼にして、ケースの一番下から封が開いたばかりのまだいっぱいにつまったグミを取り出し、ほらよ、と床の上を滑らせた。
「それ全部食うまで、他の食べるの禁止な」
「ぎゃーっ!?」
一美が叫んで倒れこんだ。
そのまま動かないのでそっと近づくと、
「死んだ。あたし死んだ。鮮度のいいグミを食べないと死ぬんだ、あたし」
恨めしそうに見上げてきた。
俺はそんな彼女を無視してキッチンに戻り、カレールーを割って鍋に入れ溶かした。
一美はまだ床に倒れたままだ。
鍋の煮えるグツグツという音にまぎれて、ぶつぶつと一美の呟く声が聞こえる。
耳を澄ますと、
「呪うよー。呪っちゃうよー。グミの呪いは怖いんだよー」
俺はすぐに耳を塞いだ。
数十分後、カレーを前にして、
「ぎゃぁーー!?」
再び、部屋に叫び声が響いた。
「グミがー。あたしのカレーに大量のグミがぁーー!?」
呪いを受けたのは俺ではない。
グミを粗末にした呪いを受けるがいい。




