五十一杯目:「あっ。後白河君もメンバー入りさせよう」
「シードも決まった事だ。早速ルール説明と行こうか」
先ほどの熾烈なリフティングサバイバルの熱気がまだ微かに漂う第三会議室。
見事にシード権をもぎ取った俺たちは、部屋の最前列で絶対的な支配者——如月会長の演説じみた説明に耳を傾けていた。
無機質なマイクを通した声は部屋の隅々にまで反響し、ピリッとした心地よい緊張感を与えてくれる。
とは言っても、今のところ語られている内容はどれも一般的なサッカーのルールの範疇を出ないものばかりだった。
今更こんな基本的なルールの説明など野暮ではないか、と一瞬頭をよぎったが、この場には純粋なサッカー部員以外の生徒も混ざっている。
万が一、オフサイドやファウルの基準を勘違いしている者がいては競技の進行に支障をきたす。
完璧主義の会長のことだ、どんな小さなほころびも許さないため、念には念を入れてこの確認作業を行っているのだろう。
「——とまぁ、ここまでがよくあるルールだ。重要なのはここからである」
「まぁ知ってたけどね」
ふと、会長の語気が一段階低く、そして鋭く変化した。
九条が隣で小さく息を吐きながら呟いた通りだ。
あの合理性を極めた会長が、わざわざ各クラスの代表者を呼びつけておいて、どこにでも書いてあるような通常のルール説明だけで終わらせるはずがない。
この場に集まった誰もが、薄々その裏にある「何か」を察知し、身構えていたはずだ。
「サッカーにおいて最も重要なのは何だと思う?」
まさかの質問系!?
このまま淡々と事務的な伝達事項が読み上げられるだけだと思っていた俺は、不意を突かれて思わず背筋を伸ばした。
「得点力? 組織力? 統率力? サッカーはスポーツだ。そしてそれと同時に頭脳を使う。それぞれのチームに色があり、そのチームに合った作戦で戦う。いわば将棋やチェスだ。まぁ流石にそこまでとは言わないがな」
静まり返った会議室をゆっくりと見渡しながら、会長は言葉を紡ぐ。
正直、素人目線である俺からすれば、球技において一番大事なのは「点」を取ることだと思ってしまう。
実際、相手より多くの点を奪った方が勝者となり、得点力の高いチームが強者として君臨するのだから。
しかし、どうやら会長の言う「サッカー」という競技は、ただボールを蹴って点を取り合うだけの単純なものではないらしい。
広大な緑のコートを盤面に見立て、二十二人の選手を駒として動かす高度な知能戦。
奥深い戦術の駆け引きがそこにはあるのだ。
「そこで私はさらに選択肢を与える」
その言葉が落ちた瞬間、室内にいる代表者全員の頭上に大きなハテナマークが浮かび上がるのが見えた。
「選択肢」という言葉が持つ意味と、それがこの後の試合にどう結びつくのか、誰一人として即座に理解できなかったからだ。
「言い換えるならばルールを加える」
静寂を破り、ザワザワとどよめきの波が会議室に響き渡った。
ルールを追加するだと?
体育祭の、それも一介のクラス対抗戦において、生徒会が独自にルールを改変するというのか。
「試合中特殊なルールを選択できる。一つ目は選手を一名選んで十分間強制退場、二つ目は五分間得点二倍。この二つをいつでも一回発動できることにする」
「まじか……」
「これは正直参ったね」
どよめきが悲鳴に近い驚嘆へと変わる中、俺の隣で神崎と九条が同時に頭を抱えた。
それもそのはずだった。
たった十分間、たった五分間と思うかもしれないが、限られた試合時間の中でこの二つのルールのどちらかを行使されるというのは、戦況を根底から覆すほどの劇薬となる。
そして何より、俺たち二年四組の絶対的な主力は神崎だ。
神崎という圧倒的な個の力さえいれば、どんな窮地でもどうにでもなる。
——そう、どうにでもなるはずだったのだ。
会長が追加した「強制退場」という理不尽極まりないルールによって、その前提が完全に崩れ去る。
他のクラスからすれば「お互い様」の同じ条件だと思うだろう。
だが、悲しいかな俺たち四組の事情は全く訳が違う。
神崎がフィールドに存在している状態と、エースを引き抜かれて不在になった状態とでは、戦力に雲泥の差が生まれてしまうのだ。
神崎への依存度が高すぎる我がクラスにとって、これはまさに死活問題だった。
「——問題はどれくらいのクラスが蓮を退場させるか……だね」
「あぁ。退場も強いが、二倍もシンプルに強い。場面によっては意味なくなるぞ」
「俺がいなくても大河や怜がいる。その点は心配ないな」
九条が冷静に各クラスの動向を分析し、神崎自身が戦術の損得を計算する。
だが、当の神崎の口元には不敵な笑みが張り付いていた。
もう自分が真っ先にターゲットにされ、退場させられる気でいるのは、彼の実力と自負からくる流石の自信と言ったところだろう。エースとしてのプライドが、彼を全く怯ませていなかった。
「この二つのルールは試合開始からいつでも使用可能だ。それともう一つ。試合中いつでもタイムを取ることが出来る。勿論プレーが切れたタイミングでだが」
「これは大きいね」
「あぁ。試合中はどうしても流れや勢いってもんがある。それを無理矢理切れるのはデケェな」
神崎の言う通り、スポーツというものは時として目に見えない「流れ」や「勢い」という魔物に支配される。
こちらが押されている絶望的な時間帯に、たった一度のタイムアウトでその熱狂に冷や水を浴びせ、強制的に盤面をリセットできるというのは、戦術上この上なく大きな武器になる。
二人の専門的な意見に加えて、素人の俺から見ても、相手の出方によって臨機応変に作戦を変える時間が確保できるのは非常に大きな点だと感じた。
だが、その恩恵にあずかれるのは俺たちだけではない。
当然、それは相手も同じ条件なのだ。
つまり——。
追加された二つの特殊ルール。
これをどう使うかが、試合の戦局を左右する最大の鍵となる。
盤面をひっくり返すほどの劇薬だからこそ、使うタイミングを間違えれば自滅を招く。
「先に動いた方が強いね」
「あぁ。いうならば相手にカードを切らさせるのが一番強い」
俺と九条の視線が交差する。
互いの頭の中に描かれた戦術の盤面が、ピタリと一致した瞬間だった。
「は? 二人で難しい話すんなよ!」
眉間を寄せて首を傾げ、考えることを早々に放棄している神崎は置いておいて、俺は心底安堵していた。
この場に九条がいる事のアドバンテージは計り知れない。
各クラスを代表する猛者たちがひしめくこの空間で、彼のような冷徹なまでに計算高い頭脳が味方にいるのはデカい。
大きすぎるくらいだ。
頼もしすぎる幼馴染の横顔を見つめながら、俺はこの知将が敵に回らなくて本当に良かったと胸を撫で下ろしていた。
「最初から退場させるもよし。得点を倍にするもよし。やり方は自由だ。勝ったクラスが一番強い。シンプルだろ?」
スピーカー越しの会長の声に、フッと不敵な笑みが混じったのが分かった。
それは明らかに俺たちを煽るような、強烈で挑戦的な響きを持っていた。
その挑発に釣られるように、室内に集まった代表者たちの目つきが露骨に変わる。
空気がジリジリと焼け焦げるような感覚。
先ほどの張り詰めた静寂が嘘のように、闘争心という名の業火が部屋全体を包み込んでいた。
こういうところだ。
一見すると氷のように冷たく、近寄りがたい風貌からは到底察せられない。
けれど、彼の奥底には誰よりも熱く、激しい情熱がマグマのように煮えたぎっている。
人の心を掌握し、本能を揺さぶる圧倒的なカリスマ性。
これが、如月会長が全校生徒から絶対的な支持を集める理由なのだろう。
悪いが、この偉大すぎる生徒会長の後を継ごうとしている次期候補の奴は、心底気の毒でしょうがない。
なんせ、如月会長という人間の残す強烈なイメージと熱狂が、この学校にはあまりにも深く刻み込まれすぎているからだ。
「……さてと。どうする?」
熱を帯びた説明会が終わり、代表者たちがそれぞれの思惑を胸に足早に会議室を後にしていく。
パイプ椅子を片付ける乾いた音が響く中、その場に残った俺達三人は、自然と円陣を組むように身を寄せ合い、来るべき決戦へ向けた作戦会議へと意気込んでいた。
「俺はさっぱり分かんねぇ。その辺は任せるわ」
戦術という小難しい話には早々に白旗を上げ、神崎はあっけらかんと両手を後頭部で組んだ。
「でも神崎を抑えられる可能性が高いだろ?」
神崎の脳天気な態度とは裏腹に、俺の脳内では最悪のシミュレーションが展開されていた。
実際、対戦相手のほとんどのクラスが開幕と同時に『十分間強制退場』のカードを切り、神崎をフィールドから消し飛ばしに来るだろう。
それが俺達四組にとって最も致命的な痛手となることは、全校生徒の周知の事実なのだから。
「いや? 意外と分かんないよ?」
「分かんない?」
深刻に考え込む俺に対して、九条は長いまつ毛を揺らし、面白そうに目を細めた。
「うん。蓮を退場させなくても点が二倍になる可能性もあるんだから」
「メリットとデメリットの差が大きくないか?」
退場ルールのエグさに引っ張られている俺には、どうしてもその思考回路が飲み込めない。
「んー。蓮が居たとしても流石に一人で全部止めるのは無理だし、点が取れるチームならわざわざ蓮を抑えないと思うんだ」
「つまり怜が言いたいのは一点取られても二点取り返せばいい精神ってことか!?」
「うん」
九条の言葉に、神崎が目を輝かせて身を乗り出してくる。
攻撃は最大の防御、とでも言うべきだろうか。
得点力に自信のあるクラスならば、守りに入るよりも『五分間得点二倍』のブーストをかけて一気に点差を突き放しに来るという読みだ。
本当にそんなものなのだろうか。
素人である俺の目線からすれば、敵チームに神崎がいるというだけで絶望しかない。
迷うことなく退場させた方が勝機は上がると思う。
だって、こいつの運動神経は常軌を逸しているのだ。
ホイッスルが鳴り、キックオフのボールが転がった数秒後には、単独でゴールネットを揺らすことすら可能な化け物なのだから。
「ところで怜。俺達はどうするんだ?」
神崎の言葉で俺は思考を切り替えた。
相手の出方ばかりを警戒していても始まらない。
手札をどう切るか、俺達自身の作戦も固めておく必要がある。
「僕達は取り敢えずは待ちで行こう」
「相手が動くのを待つんだな」
「うん」
九条の透き通るような声に、俺は深く頷いた。
相手がどのタイミングで、どちらの特殊ルールを使ってくるのか。
そのカードを先に切らせてから、残された時間でカウンターとなるルールを発動させる。
心理戦において、状況を見極めてから後に回った方が戦術としては圧倒的に強いのだ。
さっきも思ったが、こういう土壇場での盤面の見方というか、俺と九条の思考回路はどこか少し似ているのかもしれないな。
「それまでは蓮に任せる」
九条は優しく微笑むと、ポンッと神崎の広い背中を叩いた。
「痛っ。俺だけじゃねぇよ。皆で勝つんだ」
少しだけ照れ隠しのように顔をしかめながらも、神崎は力強く拳を握りしめた。
会議室の窓の外では、秋の高く澄んだ空がどこまでも青く広がっていた。
俺は頼もしい二人を見つめながら、相変わらず真っ直ぐで熱い奴らだなと、口元に微かな笑みをこぼしていた。
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「おっかえりー!」
第三会議室でのピリッとした緊張感から解放され、午後の柔らかい日差しが差し込む我がクラスのテントへと戻ってきた俺たち三人。
そんな俺たちを真っ先に迎えてくれたのは、太陽のように弾ける笑顔を向けた一ノ瀬だった。
「ただいま……って! ほとんど飯残ってねぇじゃねぇか!」
トレイの上を見やった神崎が、目玉を飛び出さんばかりに見開いて驚くのも無理はない。
俺たちが出かけていく直前まで、テーブル狭しと並んでいたはずの大量のフランクフルトや焼きそばのパックは、見事なまでにきれいサッパリ姿を消していた。
香ばしいソースの匂いだけが微かに残るテーブルの隅には、丁寧に小さくまとめられたゴミ袋がポツンと置かれているだけだった。
「ごめん。うちも琥珀を止めたんだけど無理だった」
額の手汗を拭いながら、佐伯が心底疲れ切ったような表情で肩を落とす。
そのげっそりとした顔つきを見るだけで、彼女が暴走する大食い姫を必死に抑え込もうとしては撃沈していった凄惨な現場の光景が、手に取るように想像できた。
「私だけじゃないじゃん! 珊瑚だって食べてたし!」
「どっちでも関係ねぇよ! はぁー。まぁいい。会長に言われたことを共有しとく」
言い逃れをしようとする一ノ瀬の叫びを豪快にため息で吹き飛ばし、神崎は気を取り直してパイプ椅子に腰掛けた。
神崎主導——で説明が始まりかけたのだが、案の定、熱意ばかりが先走って要領を得なかったため、見かねた九条と俺が途中から助け船を出す形で補足を行った。
案の定、内容をまったく理解できていなさそうな顔で頭の上に大量のハテナを浮かべている奴(特に口元にソースをつけたままの一ノ瀬)も居たが、佐伯と水野の二人は俺たちが言葉を尽くすまでもなく、即座にルール改変の本質とその意図を理解していた。
真剣な眼差しで頷く二人を見て、これが本物の頭の良さというやつかと痛感させられた。
「それ最初に使うのは弱いね」
「あぁ。それは俺と九条も考えた事だ」
「先に使わせるのが強いと僕も白河君も最終的に思ってね」
この二年四組というクラスは、思い返せば実に分かりやすく役割分担がハッキリしている。
恵まれた運動神経と直感でとにかく身体を動かす前線役目が、神崎、一ノ瀬、山波。
明晰な頭脳と冷静な分析力で戦況をコントロールする頭脳役目が、九条、水野、佐伯。
そして、自ら目立った主張はせず、言われた指示を文句も言わずに淡々とこなす受動的な役目が、宮本と俺。
宮本に関しては、その独特なマイペースさがいかにも彼女らしくてしっくり来るが……俺は果たしてこれでいいのだろうか。
何もしてなさすぎる気がしないでもないが……。
「会長とはいつあたるの?」
「幸いシードのもう一チームは会長のクラスだったんだ」
「じゃあ決勝なんだ」
「あぁ」
幸か不幸か、あの化け物じみた三年一組と激突するのは一番最後だ。
つまり、自分たちのブロックを勝ち上がりさえすれば、最悪でも二位(準優勝)までのポイントを確実に手にできる可能性が大いにある。
グラウンドの中央で眩しく輝く電光掲示板に目をやると、総合優勝の二文字が少しだけ現実味を帯びて見えた。
上位のポイントを手に入れられれば、その分目標へと大きく近づく。
俺たちにとって、これは願ってもない大チャンス、まさにラッキーな展開だった。
「メンバーは誰でいくの?」
先程まで自分の食べ逃した分のポテトのことでも考えているのかと思っていた一ノ瀬が、ふいに身を乗り出して、驚くほど現実味のある質問を投げかけてきた。
普段は天然そのもののくせに、こいつは時折こういう鋭いタイミングで核心を突いてくるから油断ならない。
「その辺は怜に任せてる! だから俺は知らん」
「蓮……初耳なんだけど」
堂々と胸を張って言い切った神崎に対し、九条は整った眉を寄せ、「はぁー」と深いため息を吐きながら細い指先を額にあてた。
秋風に長い髪を揺らしながら、少しだけ時間をおいて思考の海に潜っていた九条が、意を決したように静かに口を開く。
「トップは蓮に任せる。それ以外は一列で行こう」
「は?」
サッカーに関する知識が皆無に等しい俺のような素人であっても、九条が口にしたその常識外れすぎる布陣がおかしいことくらいには即座に気がつく。
前線に神崎を一人置き、残りのメンバーを横一列に並べるなど、戦術としてあまりにも破綻している。
当然、周りからも反論が出るに決まっている。
「九条。流石に……」
「あっ。後白河君もメンバー入りさせよう」
……こいつは一体何を言っているんだ?
いや、待て。
俺の耳がおかしくなったのかもしれない。
秋風の音で声が乱れて、聞き間違いをしただけに違いない。
うん。
絶対にそうだ。
そうに決まっている。
だって俺は、ボールの蹴り方すら怪しい完全なる素人なのだから。




