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「クラスのギャル、放課後は喫茶店で不器用マスターやってます。」  作者: 路地裏の猫


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22/22

二十杯目:白河奏の場合②

 クラス全体に広がる、肌を刺すような不安を纏った空気。

 この教室は今、決定的な危機を迎えている。

 いくら鈍感な私であっても、この空気の「まずさ」だけは本能で理解できた。


「で? 神崎、あんたがなんでそこまで怒ってるのか、説明してくれる?」


 莉愛が、ふざける気配の一切ない真面目な瞳を神崎くんに向ける。

 その問いに呼応するように、神崎くんは再びガツンと机を叩いて立ち上がった。


「怒るとか、そういう問題じゃねぇ……! 俺は、怜のやり方がどうしても許せないんだ!」


 拳を白くなるまで握りしめ、悔しそうに俯く神崎くん。

 そんな彼を、座ったままの九条くんが不思議そうに下から覗き込む。


「『許せない』というのは、具体的に僕のどの行動を指して言っているのかな?」


 九条くんに煽るつもりなんてないのは、ずっと近くにいた私にはわかっている。

 けれど、彼のそのあまりに純粋で無機質な正論は、今のこの場では最悪の「火に油」でしかなかった。


「っ! この……てめぇ……っ!」


「おい! 蓮、やめろ! 莉愛も言ってただろ、落ち着けって!」


 今にも殴りかからんばかりに頭に血が上った神崎くんを、山波くんが必死に背後から抑え込む。

 

 私は、まだ状況の核心が見えない。

 蓮くんと怜くんが、致命的なまでに揉めているのはわかる。

 けれど、どうしてそこに「白河くん」が関わってくるの?

 あいつは今日だって風邪で休んでいるはずで、この二人の喧嘩には関係なんてないはずなのに。


「蓮くん……さっき、白河って言ってたよね? なんでそこに白河が関係してるの?」


 知らないのなら、聞けばいい。

 わからないのなら、知ればいい。

 これまでの経験上、私は「人に聞く」という行動がどれほど大切かを知っているつもりだった。

 けれど、私はすぐに後悔することになる。

 この時の私は、これが軽はずみに触れていい話題ではなかったのだと、まだ気づいていなかった。

 

「怜……こいつは、こいつはな! 白河を……白河の心を、めちゃくちゃに傷つけたんだよ!」


「傷つけた……? 怪我とか、そういうこと?」


「琥珀。……たぶん、そうじゃない。心の話だよ」


 戸惑う私の目を真っ直ぐに見つめて、莉愛が教えてくれる。

 目に見える怪我じゃない。

 心に負った、深い傷。


 私は、事態が想像していたよりもずっと深刻で、取り返しのつかないところまで来ていることに気づかされた。


「心の傷って……。何があったの? 怜くん、一体何をしたの?」


 私は動揺を抑えきれず、座り込んだままの怜くんに詰め寄った。


 私は、白河のことをよく知っている。

 学校では決して見せない、あいつの本当の姿を。

 不器用な私に、根気強く言葉を尽くして教えてくれる優しさを。

 私が失敗しても、決して馬鹿にせず、二人で顔を見合わせて笑ってくれる……あの穏やかな時間を。

 あんなに優しい人を傷つけるなんて、そんなの、絶対にあってはならないことだ。

 

 でも、それは「本当の白河」ではなかったんだ。

 私が知っている彼は白河奏であって、同時に、私の知らない白河奏でもあった。

 その矛盾する事実が、私の頭を激しい混乱へと陥れる。


「言ってやれよ、怜! 隠さずに言えよ! お前があの放課後、あいつに何をしたのかをさ!」


 いつもの眩しい笑顔を消し、誰も見たことがないような形相で叫ぶ蓮君。

 彼は彼なりに、友人の尊厳を守るために、己の怒りを燃やし尽くそうとしている。


「……ただ、彼に真っ当な疑問を投げかけただけだよ。どうしてそんな風に、自分に嘘を吐き続けるの? ってね」


「……嘘?」

 

 理解が追いつかなかった。

 白河くんが嘘をついている?

 なんで? 

 何のために? 

 どうして、あんなに優しい彼が……。

 

 次から次へと溢れ出す疑問が、濁流のように私に襲いかかる。


「……九条。あんたも気づいてたんだ。……実は、うちもなんとなくは感づいてたよ」


 莉愛は、どこか諦めたような、納得したような表情で呟いた。


 ……莉愛は、わかっていたんだ。

 けれど、一体何の話なの?

 核心を共有しているのは、今この場では二人だけ。

 私を含めたクラスの誰もが、その「嘘」の正体に辿り着けずに、ただ取り残されていた。


「佐伯さんも知ってたんだね。だったら話は早い。彼にとって、あのままの状態でいることは――」


「でも、それを知ってても、無理にこじ開けるのはどうかと思うよ」


 淡々と喋り続けようとする九条くんを遮って、莉愛が言葉を重ねた。


「人には人のペースがある。誰にだって、墓場まで持っていきたい嫌な記憶も、死んでも知られたくない秘密もある。やりたくないことを、無理にやらせる権利なんて誰にもない。……だから、あいつの心を無理やりこじ開けるのは、絶対にやってはいけないことだった。それは人としても、友達としてもね」


 こんな莉愛、見たことがない。

 ただ真っ直ぐに九条くんを見据え、氷のような鋭い視線を向ける彼女からは、いつもの「適当」な雰囲気は消え失せ、痛いほどの覚悟と大人びた空気を感じた。


「佐伯さん。君の意見は至極真っ当だ。だけど、僕は違う考えを持っている。彼の場合、放っておけばいつか内側から爆発する。それくらい、彼が抱えているものは重すぎるんだ。……嘘を吐き続けるのは、自分を削るのと同じだ。誰にも相談できず、自分を嫌いになりながら、偽りの自分を演じ続ける。そんな彼を、可哀想だとは思わないかい?」


 二人の会話はあまりに高度で、私には彼らが何の話をしているのかさえ、本当のところはわからない。


 でも、私は……私は――。


「ッ……!」


 気づいた時には、椅子を蹴るような音を立てて立ち上がり、教室を飛び出していた。

 背後で誰かが私の名前を呼んだ気がしたけれど、振り返る余裕なんてなかった。


(白河。白河くん。何があったのか、私にはまだ何もわからない。でも、でも……っ)


 胸が苦しい。

 あんなに優しい彼が、自分を嫌いになるほどの「嘘」を吐いていたなんて。

 白河くんのこと、何も知らない。

 白河くんのこと、何もわからない。

 あんなに近くにいたのに。

 二人で笑い合っていたはずなのに、私は何も気づけなかった。

 どうして、あんなに一生懸命に私の勉強を手伝ってくれたの?

 どうして、私なんかに何かを教えようと思ってくれたの?

 白河くん。

 私は――嘘を吐いているあなたじゃなくて、本当のあなたのことが知りたい。

 心臓の音が耳元でうるさく鳴り響く中、私はがむしゃらに廊下を走る。

 途中、すれ違った先生たちに何か怒鳴られたような気がしたけれど、今の私にはどうでもいい。


 私が今、この世界で知りたいことは、たった一つだけ。


「花ちゃん!!」


 私はさっき飛び出したばかりの職員室の扉を、壊れんばかりの勢いで蹴り開けた。

 息を切らし、肩で呼吸をしながら、デスクに座る浅野先生を真っ直ぐに指さす。



―――――――――――――――――――――――――



「琥珀、どうしたんだ……?」


 俺は、一ノ瀬が弾かれたように教室を飛び出していった理由が分からず、ただその背中を呆然と見送ることしかできなかった。

 

「神崎。琥珀にだって、色々あるんだよ」


 そう言った佐伯は、どこか遠くを見るような、酷く優しい目をしていた。


「色々あるって言っても、今じゃねーだろ。こんな時に……」


「今以外ないよ。今しかない。……それよりもうちは、あんたたちの方が心配だよ。放って

おいたら本当に殴り合いでも始めるんじゃないかってね」


 佐伯の冷めた声を聞いているうちに、さっきまで脳を焼いていた怒りが、少しずつ形を変えていくのを感じた。

 怒りが消えたわけじゃない。

 ただ、あまりに現実離れした状況に、感情が追いつかなくなっているだけだ。


「……ああ。そこは心配しなくていい。今は、落ち着いてる」


「それはよかった。僕はてっきり、本当に殴られるものだと思っていたからね」


「……いくらイラついてても、友達を殴りはしねぇよ、怜。……っていうか、いい加減説明してくれ。隠さずに、全部だ」


 俺は、こうなってしまった「きっかけ」は知っている。

 でも、その全てを理解しているわけじゃない。

 なぜ怜がこんな真似をしたのか。

 なぜ白河があんなに自分を偽らなきゃならなかったのか。

 そして――なぜ、琥珀があんな顔をして飛び出していったのか。


「確かに、これ以上説明を拒むのは不義理だね。わかった、話すよ。……僕が最初に違和感を抱いたのは、文化委員が決まった時だ」


「意外と最近なんだな」


「それまで僕は、彼と深く関わったことがなかったからね。みんなも知っての通り、僕の趣味は人間観察だ」


 九条は淡々と、優雅に足を組み直す。

 その超然とした態度に一瞬またムッとしたが、俺はそれを無理やり飲み込んだ。

 今は、こいつの言葉を聞くのが先だ。


「知ってるよ。あんたがジロジロ人を見てるのなんて、今に始まったことじゃないし」


 佐伯は気だるそうに、けれど射抜くような視線を九条に向けたまま答える。


「だろうね。……そこで僕は、彼の『異変』に気づいた」


 俺は、そんなものを感じたことは一度もなかった。

 何度か白河と話したことはある。

 けれど、九条が言うような「異変」なんて、微塵も感じ取れなかった。


「異変って……さっき言ってた『嘘』のことか?」


 俺と同じように、何も気づいていなかった山波が、困惑を隠せない様子で聞き返す。


「そう、嘘だよ。佐伯さんがいつ気づいたのかは知らないけれど、僕の中では確信に変わっていた」


「……うちが気づいたのは、それよりちょっと前だね。たまたま一緒に帰った日に、確信した」


 佐伯の言葉に、教室の空気がまた一段と冷えた。

 俺たちの知らないところで、白河奏という人間のメッキは、とうの昔に剥がれ始めていたらしい。


「蓮と大河。白河には、具体的にどういうイメージを持ってる?」


 九条に問いかけられ、俺は腕を組んで考えた。

 俺が口を開くより先に、山波が正直な感想を漏らす。


「イメージか……。そうだな、良くも悪くも『普通』で、大人しめな奴、って感じだな」


 中身のない回答に聞こえるかもしれないが、実際、それが核心を突いている。

 クラスの大多数が抱いている共通認識だろう。

 俺も概ねその意見に同意だ。

 そこに付け加えるとするならば――。



「大河のイメージプラス、一人でいることが多い奴、って感じだな。少なくとも、俺たちの輪の中に自分から入ってくるタイプじゃなかった」


「うん。大体の人がそう答えるだろうね。実際、彼はそうやって過ごしていた。僕らのイメージ通りの自分を『演じて』ね」


 怜の言葉に、背筋が少し寒くなった。

 イメージ通りならば、それは嘘とは関係ないはずだ。

 一体、怜は何を疑い、何を見抜いたというのか。

 

「『大人しめ』という単語が出たけれど、それは『喋るのが苦手』ということかな?」


「そ、そうじゃねぇよ! 別に悪口で言ったんじゃねぇぞ! 穏やかで落ち着いてるって、いい意味でだ!」


 山波は、自分が白河を下げたように取られたと思ったのか、焦りながら手を振る。


「ははっ。わかっているよ。ただ、彼――白河くんは、僕たちが思っているよりもずっと

『喋れる』人間なんだ」


「……?」


 ますます意味がわからない。怜は、一体何を言いたいんだ。


「白河は、時々目を伏せるよね」


 怜の焦らすような言い回しに痺れを切らしたのか、佐伯が横から種を明かした。


「それまで普通に目を合わせて話していても、ふとした瞬間に、逃げるように視線を逸らす。まるで、本当の自分を覗き込まれるのを病的に嫌がっているみたいに」


「佐伯さんの言う通りだ。彼は、自分の価値を自分自身で、意図的に下げているんだよ」


 九条は、呆れたように、あるいは同情するように首を振った。


「……ただの恥ずかしがり屋、って可能性もあるだろ?」


「それもあるね。でも、彼は時折、絶妙なタイミングで冗談を言うし、鋭いツッコミを入れることだってある。それを『恥ずかしがり屋』が無意識に、堂々とできると思うかい? そもそも、あの一ノ瀬さんと対等にやり取りができている時点で矛盾している。彼女はこのクラスの太陽だ。……残酷な言い方をすれば、本物の『陰キャラ』なら、彼女の光に当てられてまともに会話すら成立しないはずなんだ」


 怜の言葉は棘があるが、その分、説得力が重くのしかかってくる。

 白河は確かに一人でいる。

 けれど、決して「喋れない」わけじゃない。

 話しかければ理知的な返信が返ってくるし、人当たりだって悪くない。

 一人でいるようなタイプではない人間が、ずっと一人でいる。

 ということは――。


「……自分から、あえて一人になろうとしてる、ってことか?」


「蓮の言う通り。だから僕は、あの放課後に彼に聞いたんだ。『何故、自分を殺してまで嘘を吐き続けるの?』ってね」


 繋がった。

 バラバラだったピースが、最悪な形で組み合わさっていく。

 

 なぜ、あんなにスペックの高い男が、壁際で息を潜めるように生きてきたのか。

 それは白河奏という人間が、過去のどこかで、自分の人生で――「自分を出すこと」を、自分自身に禁じてしまったからなんだ。


「喧嘩するほど仲がいい」

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