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第19話 臆病者の告白

 暁は、鳴海の家から少し走らせた先にあるコンビニで車を停めると、車内で温かいココアを飲んでいた。


 終わった。

 そう思うと、胸にぽっかりと穴が空いたように何も考えられなくなる。


 こんなに、本気になった恋は久しぶりかも知れない。

 いやもしかしたら、こんな喪失感を感じるほど愛した相手は、初めてだろうか。


 鳴海のことを考えると、胸が苦しくなる。

 いつか忘れる日が来るのか、今はまだ少し不安だった。

 そんな未来を、想像することができない。


 それでも少しずつ、ゆっくりと忘れていこう。

 そしていつか再び共演したとき、平気な顔をして笑えるようになろう。

 それも、鳴海から共演NGを出されなければの話だが。

 そう思うと、暁は苦笑する。


 好きだ。なんて、伝えるんじゃなかった。

 変に欲を出さず、ただの共演者として終わればよかった。


 そんな感傷に浸っていると、不意に暁のスマホが震えた。

 反射的に、通知画面を見る。電話のようだ。

 相手の名前を見て、暁は大きく目を見開いた。


 鳴海から、着信だ。


 いまさっき忘れることを決意した相手からの連絡に、暁は驚いて車内を見渡す。

 忘れ物だろうか。いや、車内には何も忘れていないようだ。


 ――では、いったいどうして。


 暁は、恐る恐るスマホの通話ボタンを押す。

 するとスマホを耳へ当てる前に、車内に響き渡るほどの大きな声が聞こえてきた。


「暁さん!?」

「……な、鳴海? えっ……どうしたんだ?」

「今どこですか!?」


 鳴海は走っているのか、少し息を切らしているのがわかる。

 それに、風を切るようなノイズも聞こえていた。


 暁は、訳が分からず無意味に周囲を窺ってしまう。

 そして自分がコンビニにいることを思い出すと、慌ててそのことを口にする。


「こ、コンビニ?」

「どこの!?」

「……え、もしかして俺の後を追ってるのか?」


 自分のことを追いかけているのだと、暁はようやく察しがついた。

 しかし追いつくことなどできるはずがない。こちらは車だ。

 暁は冷静に、電話越しの鳴海へ言い聞かせる。


「俺が鳴海を迎えに行くよ。今どこにいる?」

「だ……だめです! いつも暁さんに来てもらってるから、だめです! 今日は俺から会いに行かないと、だめなんです!!」


 鳴海は珍しく切羽詰まった様子で、我儘を言っている。暁はそれで、尚更訳が分からなくなった。

 いったい、どうしてしまったのだろう。

 鳴海はいつも冷静で、理性的で、どこか冷めているようにすら感じていたのに。


 それなのに、今の鳴海はまるで、暴走しているように思える。

 暁の忠告など耳にも入らない様子だ。


 それならばと、暁はこう提案した。


「じゃあ、待ち合わせしよう。海が見える公園……覚えているか?」

「……はいっ!」

「そこで、待ってる」

「……っわかりました!」


 鳴海はそう言うと、通話を切った。

 あの公園なら、鳴海の家から走れば10分ほどで着くだろう。

 暁もここから車を戻せば、5分くらいで着くはずだ。


 暁は、静かになったスマホを見つめて、固まってしまう。

 何故だろう、心臓がうるさい。

 ドキドキする感覚に、苦笑する。まるで若い頃の恋愛のように、期待していた。


 もうこれでお終いだと思っていたのに、鳴海が――追ってきてくれた。

 いったいどんなつもりなのかはまだ分からないけれど、その事実だけで嬉しくなる。


 暁は飲んでいたココアをカップホルダーへ置くと、再び車を走らせた。

 鳴海に会える。そう思うだけで、暁は胸が弾むのを抑えきれないのだった。







 俺は息を切らして、公園にたどり着いた。

 舞台の稽古期間でかなり体力をつけたつもりだったけれど、それでもここまで走ってくるだけで相当体力を使ったらしい。


 広い公園の中を歩いて、暁さんを探す。

 車が停められるスペースを探して歩いていると、俺はようやく暁さんの車を見つけた。


 冬の夜の公園は、人の姿がほとんど見えない。

 澄み切った空は雲ひとつ無く、星の光はよく見えた。


 真っ黒な海から聞こえる波の音が、穏やかに鼓膜を揺らしていて、俺はそのリズムに合わせるようにゆっくりと歩きながら暁さんを探す。

 すると、海を臨むベンチに一人、暁さんが座っていた。


 俺が音を立てないようにそっと近づくと、気配に気がついたのか、暁さんは一瞥もせずに立ち上がる。

 一度瞼を閉じてから、ゆっくりと瞳を開き、俺を振り返った。


 優しい瞳。愛おしむ視線。


 それらを受けながら、俺は息を吸い込む。

 この視線から、逃げてはいけない。

 何故なら俺が、演技とはいえ、最初にこの視線を望んだのだから。


 俺は心を決めると、暁さんへ向けて口を開いた。


「すみません、呼び戻して」

「いいよ。どうした?」


 その声が優しくて、俺は続きがなかなか口にできない。

 それでもどうにか勇気を振り絞って、俺は思っていることを口にした。


「俺の話を、聞いて欲しいんです。今までほとんど、暁さんには俺の話を、してこなかったから」

「……? そうだっけ?」


 暁さんは、不思議そうに首を傾げている。

 この人は全然わかっていない。俺がどんな人間なのか、全てをぶちまける気持ちで俺は気持ちを言葉に乗せた。


「俺、甘いものが苦手です! 本当は、ドーナツ一個だって自分じゃ進んで食べないし、むしろ辛い物の方が好きです!」

「……へえ?」

「あと、本当の俺は全然可愛くなんてないです。暁さんがどんな俺を好きになったのか知らないけど、俺はルカを演じていたから誘惑したり、可愛い仕草をしていただけで、普段はどうやって暁さんに接したら可愛いって思ってもらえるのか……全然分からないような男です!」

「……もう、それが可愛いけど?」


 暁さんの反撃に、俺は一瞬怯む。

 しかし負けじと、言葉を続けた。


「そ、それから俺は……可愛いって言われるの、好きじゃないです! 男だし、暁さんみたいなカッコいい俳優でいたいからです!」

「……いま、俺に可愛いと思われたいって言ってなかった?」

「それは、でも……暁さんに言われる『可愛い』だけは、ちょっと嬉しいからです!」


 俺の言葉に、暁さんは少し驚いたような表情で固まっている。

 そんな暁さんに向けて、俺は追い討ちをかけるように続けた。


「あと、タバコの煙は好きじゃないです! でも暁さんと二人きりになれるなら、暁さんが吸うとき……文句言わないようにしてました!」

「……ごめんね」

「ちが……、そうじゃなくて俺は、『いい人』になりたかっただけです。自分の気持ちを全部我慢するのが、いい人だと思ってたからです。でもそれはただ、臆病なだけでした」

「……」

「自分の気持ちを表に出さなければ、いい人でいられると思ったんです。でもそれって、『俺にとっていい人』であって、暁さんにとっては全然いい人じゃなかったかも知れないって、気づいたんです。俺はただ自己満足に浸る、偽善者でした」

「そこまで言わなくても……」

「でも本当にそうなんです!」


 俺は少し、頭がパニックになり始める。

 思っていることを全部言わなくては。そう思ってきたはずなのに、順序立てて話せなくなると、何を言っているのか自分でもよく分からなくなる。

 あとは、何を伝えなくてはいけなかっただろうか。

 俺は、思いつくままに言葉を並べた。


「最初は俺、ルカの気持ちが全然わかりませんでした。自業自得でヴァルドを死なせておいて、最後に泣いてるルカの気持ちが、本当に意味不明でした。でも、自分がルカを演じて……俺がルカになって、ルカの気持ちがようやく理解できた気がします」

「へえ……?」

「ルカは、悲しいから泣くんじゃなくて、嬉しくて泣くんです。ヴァルドが自分のことを愛してくれたことが、幸せだったから、泣くんです。ヴァルドを喪う結末はルカにとって幸せではなかったけど、愛した人(ヴァルド)にとっては幸せな結末だったから、それが嬉しくて泣くんです」


 俺は、自分の言っていることが伝わっているのか、不安になる。

 不安になりながらも、どうにか自分の気持ちを伝え続けた。


「俺は、暁さんには幸せになって欲しいです。そうすれば俺も幸せになれると思ったんです――ルカみたいに。でも暁さんが俺を見て寂しそうに笑う度に、俺が選んだ未来って、本当に暁さんにとって幸せなのか分からなくなって…――っ!」

「……鳴海」

「それに俺、想像したら全然幸せじゃないんです! 暁さんが誰かと結婚して、子供が産まれてもたぶん……ルカみたいに泣けないんです! 俺は幸せだって、胸を張って泣くことなんてできないんです。だから…――っ!」


 俺は精一杯叫び続ける。

 もう涙が滲んで、前がよく見えない。

 暁さんがどんな顔をして俺を見ているのか、分からない。


 それでも俺は、全てを吐き出すように続けた。


「俺はいまから、傲慢なことを言ってもいいですか? 暁さんの幸せな未来に、俺がいないと嫌なんです。そうじゃないと、俺は幸せになれないんです。我儘だってわかってるし、めちゃくちゃなことを言ってるのも分かってます、でも言わせてください」

「……」

「暁さんにとって一番の幸せではない未来を、選んでくれませんか? 今更遅いって言われても仕方がないし、暁さんがもしも……もしもまだ、俺のことが好きだったらでいいんです…――」


 俺は、頭を下げる。

 可愛くなんてできない。カッコよくなんてできない。

 みっともなくて、それでも必死に、俺は自分の出した――答えを叫んだ。




「俺と、恋人になってください!!」




 ロマンチックな音楽なんて、流れない。

 照明は、街灯と月の光だけ。

 何故ならここは舞台上ではなく、現実だから。


 ただ、静かな時間が流れる。

 風の音だけが聞こえて、俺の視界には地面しか映らない。


 そんな俺の耳に、足音がひとつ、響いた。



「鳴海のことが好きかって? 好きじゃないよ」



 その言葉に、俺は胸がズキっと痛む。

 予想していたはずの答えなのに、いざ耳にすると苦しくて、顔があげられなかった。


 そんな俺の頬を撫でるように、暁さんの手が掴む。

 そして、勢いよく顔を持ち上げられた。


 俺の潤んだ視界に、暁さんの顔が映る。

 暁さんは俺の見たことがないような、今にも泣き出しそうな顔で、嬉しそうに笑っていた。





「好きなんかじゃない。『愛してる』……っ」





 その言葉と共に暁さんは、俺の唇に噛み付くようなキスをした。


 深く、深く求められる口付け。

 そのキスだけで、暁さんの感情が全て伝わってくるようだった。


 役とは違う、舞台上では決して味わうことが出来ない、特別なキス。

 ――これは演技のキスじゃない、恋人のキスだ。


 唇を離して見つめ合えば、俺たちは互いに泣きながら笑った。

 すれ違っていた気持ちが、ようやく一本の線で繋がるように。

 パズルのピースが、音を立てて嵌るように。


 俺はみっともなく、泣きじゃくりながら暁さんの胸に縋る。


「ごめんなさい、ごめんなさい……たくさん遠回りした結果、結局こんな結論で、本当にすみません」

「言いたいことは沢山あるけど、いまはいいよ。本当に……俺を選んでくれて、ありがとう」


 暁さんは、自分の胸に縋って泣く俺を、優しく抱きしめてくれる。

 まるで、何かを埋めるように。優しく優しく抱きしめる。




 この結論が、正しかったのか、今の俺たちにはまだ分からない。

 それでもいまは、これが俺たちにとって、一番の幸せだった。


 この選択を、いつか後悔する日が来たとしても、俺は胸を張って泣けると思う――ルカのように。

 俺たちがこの先互いを一番に愛している限り、どんな結末でも、胸を張って幸せだと言える気がした。





 翌日。

 俺は自分のSNSに、初めて自撮り写真を投稿する。

 『ブルスカ舞台、昨日大千穐楽でした。見届けてくれてありがとうざいます。』と書いて、写真を載せる。


 俺と暁さんが顔を寄せ合って笑顔で撮った自撮りツーショットは、俺のSNS史上見たことのない反応数を叩き出すのだった。

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