48 監禁
人目を避けるようにしてクラプトン伯爵家の馬車に乗せられ、屋敷に着くなり地下室に閉じ込められた。九年前、灰色のローブをかぶった魔法使いによって、火傷痕をつけられた忌まわしい場所。
閉じ込められてから、どのくらいの時間が経っただろう。
天井近くの換気口からわずかに見える空に、すでに太陽の光はない。イザベル王妃の誕生日を祝う夜会はとっくに始まっている時刻だと思われた。
(約束の場所に、行けなかった……)
冷たい床で膝を抱え、ソフィは顔を埋める。
『夕刻、このリンデンの下で待ってる』
ジークベルトはそう言った。約束の時刻はとっくに過ぎている。あの美しい魔法使いは、もう待ってはいないだろう。ソフィが約束の場所に現れないことを「否」の返事と受け取って、ツァウバルに帰ってしまうに違いない。
(運命の相手……ベリンダ様を連れて……)
ジークベルトの運命の相手に選ばれたと、ベリンダはソフィに告げた。信じたくはないが、ベリンダが見栄や妄想でソフィにそんな嘘をつくとも思えない。
ソフィには理解できないことだが、どうやらベリンダには、いやクラプトン家の人々には、他者を惹きつける不思議な魅力があるらしいのだ。夜会やお茶会で、クラプトン家の陰口を言っていた人が、その数日後にはがらりと態度を変えている。給仕をしながら、そんな場面を何度も見てきた。
ベリンダも、頻繁に屋敷でお茶会を開いては、その度に信奉者を増やしていると聞く。イザベル王妃すら例外ではなく、令嬢達の中で格別ベリンダを気に入っていることは傍目にも明らかだ。そしてそれに対して誰からも不満の声が上がらない。
ジークベルトは昨日、クラプトン伯爵邸を訪れ、ベリンダと二人きりで過ごしていたという。ジークベルトもまたベリンダに魅了されたのだとしたら――。
胸元からペンダントを取り出し、手の平に乗せた。暗がりの中、銀と紫が、わずかな光を拾いきらめく。紫の石を指先で撫でながらソフィは願う。
「あの方の香りを……」
途端にふわりと広がりソフィを包み込んだ香りの優しさに、鼻の奥がツンと痛くなった。
(一緒に行きたかった。運命の相手だなんて大それたことは望まない、ただの弟子で構わないから……)
それが叶わないとしても、遠くからでいい、せめて最後に一目ジークベルトに会いたかった。
伯爵邸に連れてこられてから、まだセオドアの姿は見ていない。伯爵家の四人は今頃、王妃殿下の誕生日を祝う夜会に参加しているはずだ。夜会が終わりセオドアが戻ってきた後、自分がどうなってしまうのか、想像しただけで体が震える。
(逃げなきゃ。だけど、どうやって……)
唯一の扉に拳を打ち付け、何度も声を上げる。けれど反応はない。わかりきったことではあった。この屋敷にソフィの味方は一人もいないのだ。
換気口の下から上を見上げる。手が届く高さではない。たとえ届いたとしても、金網のはまった換気口は、ソフィが通り抜けられるような大きさではない。
「誰か……!」
無駄とわかりつつ、ソフィは外に向かい声を張り上げる。
「誰か助けて! アルマさん、ラナさん、クーちゃん……。……ジークベルト殿下……」
だんだんと、声は尻すぼみになっていく。もちろん応える者はいない。ソフィは崩れるように膝をついた。
そのときだった。ソフィの耳が「カァ」というカラスの鳴き声を拾った。弾かれたように顔を上げる。バサバサという羽音とともに、換気口の外に小さな黒い影が舞い降りた。
「クーちゃん!」
ソフィはせいいっぱい背伸びし、クーに向かって手をのばす。
「クーちゃん、助けて……!」
応えるようにクーは何度も金網を嘴で突くが、金網はわずかに歪んだ程度。
「……ごめんね、無理を言って……。せめて……せめてジークベルト殿下にお伝えして。約束の場所に行けなくてごめんなさいって。どうかお元気でって。お願いよ、クーちゃん……」
クーは顔を傾けてじっとソフィを見ていたが、「カァ」と一声鳴いて再び飛び立った。
カラスの羽音が徐々に遠ざかり、すっかり聞こえなくなったとき、扉の鍵がカチャリと小さな音を立てた。
(誰!? まさかもうセオドア様が……!?)
ソフィは急いでペンダントを服の中に隠し、壁際で身を固くする。
重たい扉がゆっくりと開いていき、半開きの扉の隙間から、細身の男が静かに入り込んだ。
「ゴードンさん……?」
現れた執事長ゴードンは、冷ややかな目でソフィを見ながら、人差し指を立てて自身の唇に当てた。
「お静かに。あなたをここから逃がします」
予想外の言葉。けれどソフィは壁際から動かなかった。にわかには信じられない。ゴードンはクラプトン伯爵家に長く仕える忠実な執事。その上、ソフィを忌み嫌っているはずだ。
ゴードンは足音を殺し、ゆっくりとソフィに歩み寄る。
「信用できないという顔ですね。理由を事細かに説明する気はありません。……願わくば、クラプトン伯爵家当主となったモーリス様に……当主のご令嬢としてのあなたにお仕えしたかった。それだけが無念です」
ゴードンは静かにそう言うと、いまだ躊躇うソフィの手を取った。
「さあ、急ぎなさい。今はまだ、あなたがここにいることを旦那様と奥様はご存知ありません。旦那様がお戻りになり明確なご命令を下されたら、私はもうそれに反することはできない」
扉に向かって歩き出すゴードン。手を引かれ、ソフィも歩き出す。
「本当に、助けてくれるのですか……?」
「勘違いしないように。私はこの屋敷からあなたを逃がすだけ。それ以上の援助をするつもりはありません。旦那様達が夜会からお戻りになる前に、少しでも遠くに逃れなさい。誰もあなたを知らない地でおとなし、く――」
扉を出ようとしたところで、ゴードンの言葉がふいに途切れた。背の高い細身の体がふらりとよろめき、その場に崩れ落ちる。引っ張られて尻餅をついたソフィは、床に倒れ込んだゴードンを見て短い悲鳴をあげた。
ゴードンの腹に、深々とナイフが刺さっている。おびただしい量の血が石造りの床に広がっていく。
「ゴードンさん……!」
「な……ぜ……」
苦悶の表情でゴードンが睨み付ける先を見て、ソフィはびくりと体を震わせた。
扉の入り口にセオドアが立ち、ソフィとゴードンを見下ろしている。逆光で暗いセオドアの顔にはうっすらとした笑みが浮かんでいた。




