47 夜会前
翌日の祝賀の夜会当日。白薔薇宮では朝から使用人総出で夜会の準備が行われ、ソフィも手伝いに駆り出されていた。
昼過ぎからはイザベル王妃の化粧の仕事。他の化粧係と協力し、いつもより念入りに王妃の肌を整え、白粉を施していく。一通りの化粧を終えた王妃は、ドレスや宝飾品、髪の準備に移る。夜会直前にもう一度化粧を整える予定だが、しばらくソフィの出番はない。
まもなく夕刻。ジークベルトとの約束の刻限が迫っていた。
(急いでリンデンの下に行かなくちゃ……)
早足で廊下を歩いていたソフィを、顔見知りの女官が呼び止めた。
「ソフィさん、お客様がお待ちですよ。急ぎの用事があるとかで……」
「お客様、ですか……?」
ソフィは首をかしげる。心当たりのない話だった。ソフィが王宮に勤め始めておよそ一年。ソフィを訪ねて来た人は誰もいない。
(もしかして殿下かしら? 予定が変わってこちらに……?)
女官に案内されてやって来たのは、王宮のはずれの小さな応接間。中に入ったソフィは、息をのんで固まった。
ソファにゆったりと腰掛けていたのは、美しい紫色のドレスで着飾ったベリンダだった。
「急に呼び出してごめんなさいね、ソフィ」
非の打ちどころのない美しい微笑みでソフィを出迎えたベリンダは、女官が去って二人きりになるなり表情を消した。
「馬車を待たせてあるわ。すぐに向かいなさい」
意味がわからず、ソフィは立ち尽くす。ベリンダは苛立ったように眉を寄せた。
「聞こえなかったのかしら? 今すぐに馬車に乗って、クラプトン伯爵邸に行くのよ」
「それは、どういう……?」
からからに乾いた口でようやく声を絞り出すと、ベリンダが小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「察しが悪いのねぇ。あなたは今このとき限りで王宮の仕事を辞して、実家であるクラプトン伯爵邸に戻るのよ。理由は、そうね、体調不良とでもしておこうかしら。その旨の辞表を一筆書いておいてもらうわ。紙とペンはそこよ。早くしないと夜会が始まってしまうじゃないの、急ぎなさい」
ベリンダがローテーブルの上を顎で示す。
「なぜ、そんな……」
「なぜって、あなたに邪魔されたくないからよ」
ふいにベリンダが口角を上げた。
「わたくしね、ジークベルト様の運命の相手に選ばれたの。昨日、二人きりのお茶会の別れ際、わたくしの手を取ってあの方はおっしゃったわ。祝賀の夜会で運命の相手に求婚するつもりだと。夜会にはぜひ紫のドレスを着てきてほしいと」
ベリンダはうっとりと、ジークベルトの瞳の色に似たドレスを見下ろす。
「でもね、わたくしは慎重なの。ジークベルト様はどういうわけかあなたを気にかけてる、忌々しいことにね。あなたをこれ以上、一瞬たりともあの方の視界に入れたくないの。入れてはならないと、わたくしの勘が訴えてるのよ」
だからね、とベリンダは口の端を上げた。
「あなたには消えてもらうことにしたの。あら、心配しなくても命までは取らないわよ。もしあなたが死んで、身代わりの魔法が解けるようなことがあっては困るもの。あなたのことはお兄様が引き受けてくださることになっているわ。ほんと、お兄様の趣味の悪さには呆れてしまうけれど、今回ばかりは利害が一致したというわけ」
聞いているうちに血の気が引いていく。先日の、異様な目をしたセオドアを思い出すと足が震えてしまう。
(絶対に嫌……。わたしはあの家には戻らない。殿下についてツァウバルに行くと決めたんだから……!)
ソフィはベリンダの目をまっすぐに見つめた。
「お断りします。わたしは伯爵家には戻りません」
きっぱりと告げると、ベリンダが不愉快そうに眉を寄せた。
「悪いけど、あなたに選択権はないの。言うとおりにしないなら、そうね、あなたのお友達……名前はなんて言ったかしら。床磨きの平民よ。あの子の父親、王都で商売をやってるそうじゃないの。父親の商売が潰れたら、さぞや困ることでしょうねぇ……」
ソフィの出世を我が事のように喜んでくれたラナの笑顔、そして踏みつけにされ壊れた白粉の入れ物が頭をよぎる。
さっと顔色を変えたソフィに、ベリンダがくすりと口の端を上げる。
「それからね、あなた、知ってるかしら? この世には、急な病で死んだとしか見えないように人を殺せる秘薬があるの。あの薬師、もうずいぶんな高齢だもの。急に死んでも、誰も不審には思わないでしょうねぇ……」
ベリンダの笑顔がぐにゃりと歪む。足下が崩れるような感覚がソフィを襲う。震える手で、ソフィはペンに手をのばした。




