45 秘められていたもの②
「少し、考えさせていただけないでしょうか。急なお話ですし……」
「もちろん。アルマ殿にも相談しなければならないだろうしね」
ソフィはハッとしてジークベルトの顔を見た。ソフィが気になっていたのは、まさにアルマのことだったからだ。
ソフィを肥溜めから引っ張り上げ、師匠として導いてくれたアルマ。「人に作ってもらう料理は格別だね」と、ソフィの拙い料理を頬張る姿が脳裏をよぎる。アルマがいなければ今のソフィはない。アルマに相談もなしに決めるような不義理な真似はできなかった。
そのアルマはすでに休んでいるのだろう。家の灯りは玄関先のランプを除き、全て消えている。
「私は明後日の祝賀の夜会が終わり次第、ツァウバルに戻る予定にしているんだ。もし私と一緒に来るつもりがあるなら、夜会が始まる前にこのリンデンの木の下に来てくれるかな?」
「……わかりました」
ジークベルトがふわりと微笑んだ。
「良い返事を期待しているよ。私のもとできちんと修行すれば、君はきっと優秀な魔法使いになれる。もっと完璧に火傷痕を隠すこともできるようになるだろう。だけど、もっと根本的に……」
ジークベルトは右手をソフィの左頬にのばし、触れる直前で動きを止めた。
「私が君を気にかける理由のもう一つは、この火傷痕なんだ。……触れてもいい? 確かめたいことがあるんだ」
躊躇いながら小さくうなずくと、大きな手の平がソフィの頬をそっと包み込んだ。
ジークベルトはしばらく無言でソフィを見つめていたが、「これは……」と呟いて形の良い眉をひそめた。
続いて、ジークベルトの口が聞き慣れない言葉を紡ぎ出す。と同時に、頬に触れる手の平がじわりと温かくなった。ベリンダに叩かれた痛みが消える。
「……やはり効かないか」
ジークベルトは小さくため息をつき、ソフィの頬から手を離した。
「ソフィ嬢、この火傷痕はどうやってできた? 君の従姉殿は誤って熱い紅茶を頭からかぶったのだと言っていたが、違うだろう?」
確信めいた口調。ソフィは息をのみ、目を見開いた。唇がわなわなと震える。
「これは、この火傷痕は……っ、あ……ぁ……ぅ……」
突然襲い掛かってきた息苦しさに、ソフィの言葉は途切れた。
(息が……吸えない……この方に、本当のことを伝えたい、のに……)
なんとか声を絞り出そうとすればするほど息苦しさが増していく。ぶるぶると震える手から化粧箱が滑り落ち、地面に転がる。額に脂汗が滲む。
突然様子のおかしくなったソフィに、ジークベルトが顔色を変えた。
「ごめん、首に触るよ」
指先でソフィの首筋に触れたジークベルトは、苦々しい顔で舌打ちをした。
「くそっ……。ソフィ、落ち着いて。喋らなくていい。君の身に起きたことは概ね把握した。だから私に伝えようとしなくていい」
涙の滲む目で見上げると、ジークベルトが深くうなずいた。
安堵とともに呼吸が再開される。ふらりとよろめいたソフィの体をジークベルトが抱きとめた。
「あ……もうしわけ……」
「構わない。このままで」
慌てて離れようとしたソフィの耳元でジークベルトが囁く。さらに力が抜けたソフィは、その身を力強い男の腕に預けた。
ジークベルトは満足そうにうなずいてから、神妙な面持ちになった。
「そのまま聞いていて。返事をする必要も、うなずく必要もない」
ゆっくりとした瞬きで了解した旨を伝えると、ジークベルトは静かな声で続けた。
「君のこの火傷痕は、元は別の人間にあったものだね?」
「……っ!」
ソフィの青の瞳が、大きく見開かれる。
十年前のあの日、熱い紅茶を頭からかぶったのはベリンダだった。祖父母が相次いで急死してまもない頃のことだ。
ソフィが祖母から贈られた青い石のブローチを、生意気だと取り上げようとしたベリンダ。あの家で唯一親切にしてくれた祖母の形見を取られたくなくて、抵抗したら揉み合いになった。二人して、そばで給仕の支度をしていたメイドにぶつかり、取り落したティーポットがベリンダの顔を直撃した。
ベリンダの顔に残った火傷痕は、それから一年後、あの暗い地下室で、そっくりそのままソフィに押し付けられた。灰色のローブをかぶった魔法使いの、恐ろしい魔法で――。
「君の顔からは、化粧をしていないときにも魔力が感じられた。それも、君とは違う人間の魔力が。それに、さきほどこの火傷痕に治癒魔法を試したがまるで効果がなかった。君自身が負った火傷であれば、多少なりとも効果があるはずなんだ。これらの事実を併せれば、この火傷は身代わりの魔法によって他人から君に移されたと考えるのが妥当だ」
ソフィの瞳が大きく揺れた。涙が盛り上がる。
「さらにそのことを口外できないよう、ご丁寧に禁言の魔法まで施されてる。人道にもとる行いだ。どちらの魔法も、我が国では無許可で使用することは禁じられている」
吐き捨てるように言うジークベルトの瞳には、激しい怒りの色が滲んでいる。
ソフィを支える手にぎゅっと力を込め、ジークベルトは労るような眼差しをソフィに向けた。
「辛かったろう、ソフィ。火傷痕を負わされ、誰にも相談できず、ずっと一人で戦ってきたんだね」
ソフィの瞳からついに涙がこぼれ落ちた。
「ソフィ、私は君を助けたい。さっき火傷痕に触れて確信したよ。君にこの残酷な魔法をかけたのは、私が追う犯罪者、『灰色の魔法使い』クヴァルムだと。奴は外道だが力のある魔法使いだ。奴がかけた魔法を解くのは、私の力をもってしても容易いことではない。だけど、たとえ何年かかっても必ず解いてみせる。だからどうか、私を信じて、共にツァウバルに来てほしい」
ジークベルトの紫の瞳が、ソフィをまっすぐに見つめている。
「明後日の夕刻、このリンデンの下で待ってる」
耳元で、ジークベルトが囁く。
涙で頬を濡らしながら、ソフィは静かにうなずいた。




