44 秘められていたもの①
「――ょう。ソフィ嬢」
自分を呼ぶ声に、ソフィはハッと我に返った。うつむけていた顔を上げ、声がした方に目をやり息をのむ。
リンデンの木にもたれかかり、「やあ」と片手を上げたのは、ジークベルトだった。いつも付き従っている護衛騎士の姿は見えない。
「ああ、そんなに畏まらないで」
慌てて腰を落とすソフィに、ジークベルトが朗らかに声をかける。声音と同じく朗らかだった表情は、ソフィの顔を見るなり険しくなった。
「君と話したいことがあって待っていたんだけど――何かあったようだね」
化粧の崩れた無残な顔を見られてしまった。羞恥で頬が熱くなる。
すでに素顔を見せたことがあるとはいえ、覚悟して見せるのと不意を突かれるのとでは訳が違う。
「……お見苦しいものをお見せしました。どうかご容赦ください」
さらに深く頭を下げるソフィに、ジークベルトが足音もなく近づいてくる。磨き上げられた靴が視界に入り、立ち止まった。
「顔を上げてくれないかな。私は君の顔を見苦しいなどとは思わない」
「ですが……」
「顔を見せて」
静かな、けれどきっぱりとした口調。
おずおずと顔を上げれば、ラベンダー色の瞳がソフィを見つめていた。手をのばせば届く距離。形の良い眉は心配そうにわずかに寄っている。
「化粧が……それに頬が腫れている。何があったか、聞いても?」
ソフィは目を伏せ、小さく首を横に振った。
「……殿下に気にかけていただくような身分ではございませんので……」
「私が誰を気にかけるかは、私自身が決めることだよ。そして私はソフィ嬢、君のことがとても気にかかっている」
真剣な声音に、ソフィは青の瞳を揺らした。
「なぜ、ですか……?」
ジークベルトの表情にも声にも、冗談を言うような様子ははない。けれどソフィには、ジークベルトに気にかけてもらうような価値が自分にあるとはどうしても思えないのだ。身分も美しい容姿も、何も持たないというのに。
「理由はいくつかあるのだけど……一つは、君が魔法使いだからだ」
「えっ?」
突拍子もない話に、ソフィは目を瞬いた。
「……魔法使い……わたしが……?」
「やっぱり自覚はなかったんだね」
何のことかわからず、ソフィは訝しげに眉を寄せた。
「初めてここで会ったとき、君の顔にわずかながら魔力を感じて驚いたんだ。お茶会でイザベル王妃殿下の顔を見たときにもね。一昨日、実際に見せてもらって確信したよ。君は化粧をするときに魔法を使っている」
「え……?」
「おそらく無意識なんだろうね。訓練を受けたわけではないから効果もそれほど強いものでない。だけど確かに君の化粧には魔法の力が込められている。そうでなければ、君がいかに優秀な化粧師であっても、この火傷痕をあれほど見事に隠してしまうことはできないよ」
「そんな、まさか。だってわたしは……」
魔力の有無を左右するのは血筋だと言われている。ツァウバル人以外で魔力を持つ例はほとんどない。
にわかには信じられない話に、ソフィは呆然とする。
「君の近い血縁に、ツァウバル人がいるのだろうね。お父上はカナル人で間違いないようだから、おそらくお母上がそうなのではないかな」
「母がツァウバル人だなんて、そんな……」
そんなはずはないと言いかけて、ソフィは口を噤んだ。一つ、思い出したことがあったからだ。
父も母も、ソフィの前で母の生まれ故郷のことを話題にしたことはなかった。
けれど母が一度だけ、寝物語に魔法使いが出てくる話をしてくれたときに、「お母さんの生まれた国にはね、本物の魔法使いがいるのよ」と教えてくれたことがあった。「誰にも内緒ね」と微笑みながら。
「実を言うとね、君のお母上に心当たりがあるんだ」
「それは本当ですか?」
ソフィは思わず声を上擦らせる。
「今、ギードに調べさせているところだから、はっきりしたら君にも伝えるよ。いずれにせよ、君に魔法の才能があることは間違いない。それも、誰に教わったわけでもないのに無意識で魔法を使えてしまうほどの、ずば抜けた才能だ」
ジークベルトによれば、ソフィが作る化粧水にも、薬草の効果を高める魔法が微弱ながら込められているのだという。
(アルマさんが作っても同じようにならなかったのは、それが理由だったということ……?)
ジークベルトの説明がじわじわとソフィの胸に沁みこんでいく。
魔力があると言われても、いまだその実感は全くない。けれどジークベルトが言うならそうなのだと、なぜか自然と思えた。
「魔法……だったのですね。わたし、お化粧の技術が上がったのだとばかり……」
確認するように呟くと、ジークベルトがなぜか眉を下げた。
「その……もし気を悪くしたのなら謝りたいんだけど……魔法を抜きにしても、君の化粧の技術は優れている、と思う。……たぶん」
小さな声で言い添え、気まずそうに視線を逸らす。
「すまない、実を言うと化粧のことはよくわからなくて……」
情けない顔でそう告げるジークベルトを、ソフィは意外な思いで見つめる。多くの女性と浮き名を流してきた人とは思えない率直さだった。
「だけど、これだけは間違いなく言える。君が魔法の力に目覚めたのは、君の思いの強さと、薬草や化粧に対する真摯な姿勢ゆえだ。君が薬草や化粧にかけた時間も熱意も、身につけた技術も、魔法のことは関係なく、それ自体に価値のあるものだと思う」
ジークベルトは真剣な顔で言い募る。
彼の言いたいことをようやく理解し、ソフィは小さく微笑んだ。
「……ありがとうございます。これまでのわたしを認めてくださって」
正直に言えば、純粋な技術でなかったのは少しだけ悔しい気もしないではない。けれど、真剣に取り組んだおかげで魔法の力に目覚めたのだとすれば、胸を張ってもいいのではないだろうか。
良い魔法使いは来てくれない。自分を助けられるのは自分だけ。そう思って努力した結果、自分自身が魔法使いになるだなんて、皮肉な話ではあるけれど。
ジークベルトはホッと頬を緩ませ、「ようやく笑顔を見せてくれたね」と目を細めた。
「それでね、私としてはぜひ君に、ツァウバルで本格的に魔法を学んでほしいと思っている。君が嫌でなければ、君を私の弟子にしたいんだけど、どうかな?」
「わ、わたしが殿下の弟子ですか!?」
「……嫌?」
ギョッとして聞き返すと、ジークベルトが悲しげに眉を下げた。
ソフィは慌てて首を横に振る。
「嫌だなんて、そんなこと……!」
嫌ではないが、平民の身分で王族に弟子入りだなんて、畏れ多くて眩暈がしそうだ。
「ちなみに、私はツァウバルの王立魔法研究所の所長をしているからね、適任だと思うんだ。あ、もちろん住む場所や必要な物は全て私の方で準備するから、そこも心配しないで」
ジークベルトは上機嫌でそう言うが、ソフィにしてみれば畏れ多い情報が追加されただけである。
「……まだ何か不安がある? 遠慮せずに君の気持ちを聞かせて?」
ソフィの浮かない表情に気付いたのだろう。ジークベルトがソフィの目をのぞきこんだ。
その紫色の瞳を見つめ返したまま、ソフィはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あの、もし……もしも本当にわたしに魔法の力があるのなら、叔父達がわたしを自由にはしないと思うのです……」
もし未熟ながらも魔法が使えるとなれば、あの叔父家族はソフィを簡単に手放しはしないだろう。あれこれと理由をつけて留め置き、ソフィを利用しようとするはずだ。
そうなればイザベル王妃も叔父達に味方するに違いない。ツァウバル以外の国では、魔法使いは非常に貴重な存在なのだ。
「その点については私に考えがある。どんな手を使ってでも、君をツァウバルに連れて行くよ。君がそれを望んでくれさえすれば」
ジークベルトの力強い言葉に、ソフィの気持ちが大きく揺らぐ。それでもソフィはうなずかなかった。気がかりなことがもう一つある。




