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28 化粧

 鏡に映るソフィの顔。

 ラナが自ら選び、丁寧に塗ってくれた白粉は、ソフィの肌によく馴染んでいる。

 けれど、顔の左半分に刻まれた赤い火傷痕は、わずかに赤みがぼやけた程度で、あいかわらず禍々しいほどの存在感を主張していた。


(白粉を使っても、駄目なんだ……)


 かすかに抱いていた希望は、あっさりと砕け散った。ずしりと胸が重たくなる。

 ラナもまたがっくりと肩を落とし、うめくようなため息を漏らした。


「あぁぁ……粉白粉じゃなくて練白粉にすればよかったのかなぁ……。ごめん、ソフィ。今度別のを買い直してくるから、これは――」

「いいえ」


 白粉を引っ込めようとしたラナの手を、ソフィは両手でぎゅっと握って止めた。静かに首を振り、小さく微笑んで見せる。


「わたし、これがいいです」

「でも、これじゃ……」

「少しは目立たなくなりますし、ラナさんがわたしのために選んでくれた宝物なので……」


 改めて白粉の入れ物を受け取り、その蓋に描かれたスズランの絵をそっと撫でる。

 火傷痕のあるソフィのためを思い、ラナが選んでくれた白粉。何よりもその気持ちが嬉しかった。

 それに、ソフィは白粉の値段を知らないが、綺麗な装飾の施された入れ物に入っているところからして、安い物でないことは容易に想像がつく。これ以上ラナに甘えることはできなかった。


「ソフィ……。そう言ってくれるのはすごく嬉しいけど、でもやっぱり練白粉を――」

「やめときな、嬢ちゃん」


 それまで静観していたアルマが口を挟んだ。ラナが不満げな顔でアルマを振り返る。


「なんで――」

「それ以上は施しになっちまう。嬢ちゃんと対等な友達同士じゃいられなくなる。そんなこと、ソフィは望んじゃいないだろうよ」


 ラナがハッとした顔でソフィに視線を戻す。ソフィが小さくうなずいて見せると、ラナは口をへの字に曲げ、目を潤ませて「うん……」とうなずいた。


「ま、そこへいくと師匠のアタシは、はなから対等じゃあないんでね」


 突如、ヒッヒッと奇妙な笑い声を立て始めたアルマに、ソフィとラナはそろって目を瞬いた。

 アルマはそんな二人の戸惑いにも構わず、先ほどブラシを取り出した箱を再び引き寄せ、その蓋を開けた。箱をのぞきこんだラナが「えっ」と声をあげる。


「これって……もしかして練白粉!? すごい、薄いのから濃いのまで五種類も! あっ、色粉もこんなにたくさん!」

 目を輝かせて箱の中身を物色するラナに肩をすくめてから、アルマはソフィに向き直った。


「使いな。お前さんのために取り寄せたんだ」

「え……!?」

「おっと、勘違いしてもらっちゃ困るよ。アタシのこれはプレゼントなんかじゃない。お前さんのものになるわけじゃないんだ。嬢ちゃんのとは違うんだからね」

「あの、それではどういう……?」


 アルマの意図がわからず首をかしげると、アルマは箱の中の化粧品を取り出し、作業台の上にずらりと並べた。


「もちろん、仕事さ。宮廷薬師の弟子としてのね」

「仕事……?」

「ソフィ。お前さん、この化粧品を使って、その顔の火傷痕を消すんだ。アタシの弟子として、誰の前にだろうと堂々と出て行けるようにね」


 ソフィは小さく息をのむ。


「アタシは白粉には詳しくないんでね。どれが合うかわからないからあれこれまとめて取り寄せたけど、他にも必要なものがあれば言いな」

「おばあちゃん、すごい! 良かったね、ソフィ!」


 ラナが目を輝かせ、ソフィの両手を握ってピョンピョン跳ねた。


「アルマさん……」


 声を詰まらせ、アルマを見つめると、アルマは決まり悪そうに視線を逸らした。


「言っておくけど、火傷痕の治療をあきらめたわけじゃないよ。ただ、弟子が人前に出られずに引きこもってたんじゃアタシも困るからね。それだけのことさ」


 ぶっきらぼうな物言い。それが照れ隠しであることは、この半年の付き合いでわかっている。

 ソフィが引きこもっていたところで、アルマが困ることなど何一つない。ソフィが堂々と人前に出られるように、そして可能性を広げられるように。そのための化粧品であることは明らかだった。


「……ありがとうございます、アルマさん。わたし、やってみます」


 決意を込めて見つめると、アルマが満足そうにうなずいた。


「あっ、あたしの白粉も使ってよね!」

「もちろんです、ラナさん」


 化粧のことはよくわからない。本当にこの禍々しい火傷痕が化粧で隠せるのかどうかも自信はない。


(それでもやってみたい。お二人の気持ちに応えたい……!)


 そう心に誓うソフィなのだった。





 その日から、宮廷薬師の弟子であるソフィの「仕事」に化粧の練習が加わった。

 ちょうど季節は真冬。この時季に育つ薬草はごくわずかな種類しかないため、薬草園にはほとんど手がかからない。

 乾燥させた薬草の加工や常備薬の調合はアルマに任せ、ソフィは目覚めている時間の大半を、化粧の練習にあてることになった。


 ただし、王妃殿下のための化粧品を作る作業は、引き続きソフィが担当した。

 アルマがソフィのレシピをもとに作ろうとしたのだが、どうも使用感が違ったのだ。


「うーん……。レシピどおりだし、色も香りも同じように思うんだがね……。作り方に何か微妙な違いがあるのか……?」


 アルマは不思議そうに首を捻りながら繰り返し調合を試みたが、結果は変わらず、その理由もわからないままだった。


 一方、ソフィの化粧の練習も、容易にはいかなかった。

 練白粉ならばと期待して塗ってみたが、確かに粉白粉よりは目立たなくなるものの、火傷痕は全く隠れてはくれない。淡いものから濃いものまで、どの色で試しても、多少の違いはあれど結果は同じだった。


(色を混ぜてみたらどうだろう……?)


 そう思いついたのは、化粧筆を見て、絵筆を握る父の姿を思い出したからだった。

 休日の昼下がり、ハーブの世話をする母娘のそばで、キャンバスを広げていた父。

 パレットに並ぶいくつもの色。絵筆の先がそのいくつかを掬い取る。筆の先で鮮やかに色を変える絵の具を見て「魔法みたい!」とはしゃぐと、「ソフィもやってみるかい?」と父は穏やかに微笑んだ。


(……そういえば、お父さんはいくつかの色を重ねて塗ったりもしてた。そうすることで少しずつ色を変えられるからって。お化粧でやってみたらどうなるだろう……)


 練白粉、粉白粉、色粉。

 ブラシで、海綿で、指で。

 塗る組み合わせ、その順番……。


(火傷痕が隠れますように……。きれいな肌になりますように……)


 毎日、毎日。幾度も、幾度も繰り返す。

 そうして冷たい冬が過ぎ、庭のリンデンの木に新しい葉が芽吹く頃、ソフィの姿は王妃イザベルの私室にあった。

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