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僕が生まれる前のこと。
2025年、日本の社会は大きく変わってしまった。
まず、国会でベーシックインカム、つまり働かなくても生活に困らない程度の収入を全国民に一律支給する事になった。
就職氷河期に就職できずに派遣やバイトで糊口を拭っていた人たちは安堵を覚えた。
自分のやりたい事があるにも拘わらず、収入を得るために空虚に時間を仕事に費やして、本当にやりたい事に時間が割けなかった人たちも安堵を覚えた。
次に、国民皆保険制度はなくなり、保険料を納めなくてもよくなったが、医療費の実費を個人で支払わなくてはならなくなり、とある外国人映画監督がドキュメンタリー調の映画で描いてみせた様な米国における民間医療保険地獄が日本でも始まった。つまり、貧乏人は治療も受けずに死ねということだ。もしくは民間企業の保険料を支払っていても何らかの難癖をつけられて、保険金が下りず、治療の途中でも支払いが滞ったら病院から強制的に追い出されてしまう様な地獄だ。
上記の様な保険については日本の企業よりも米国の企業の方が一日之長があり、大手米国保険会社が大挙して日本で事業展開をし、日本の民間保険会社を凌駕した。
米国の保険会社が主となったあたりから、保険適用医薬品が国内の製薬会社の製品より海外の製薬会社の製品の方が主流となり、漢方薬などは姿を消した。
ベーシックインカムを実現させるにあたって大きな役割を果たしたのは、AIの飛躍的な発展であり、ネット社会が年寄りに至るまで広がった事が挙げられる。制度開始当時にネット社会に順応できない年寄り等は、行政が手厚い対応をするということで見切り発車的に開始した制度だったが、必要性にかられ年寄りたちも次第にAIの対応を受け入れた生活を営む様になった。
通常であれば新しい事を始めるのを躊躇するのが日本政府だ。しかし、上から圧力を掛けてきたアメリカ合衆国の意向に沿う様に、カナダやフィンランドに倣ってベーシックインカム制度を実施する事が決まったのだ。
アメリカ合衆国の上層部や、世界各地に点在する経済的に恐るべき力を持っている者や、古くから権力を保持していた家に生まれた者たちの間で、日本を実験場にすることが決められた。
中国も、日本を実験場にすることに賛同しているらしく、その意向が中国からお金を貰っていた日本人政治家や二重国籍を持っている日本の政治家たちがいつもの如く中国の意向に沿った案に投票し、ベーシックインカム法を採択したのだ。
それが日本にとっては幸いなのか、不幸なのか、そんな事すら考えない政治家しかいない日本という国に生まれてしまった日本人は、世界経済を動かす見えない手の上で踊らされる事になった。
『不動産をお持ちの方は、国が定めた適正価格で買い上げますので2025年6月30日までに、お近くの市役所でお手続き下さい。』
そんな公報が4月1日に一斉に出回った。
今回は、めずらしく金に糸目を付けずにTVやネット、ラジオ、新聞などで繰り返し周知する様報道された。
「国が決めた価格って、滅茶苦茶安くない?」
「そうなんですよ。家1軒買うのに、どれだけ苦労したと思ってるのかしら」等と、スーパーで買い物をしている主婦二人が話しているが、その横で牛乳パックの日にちを確認するために腰をかがめていた別の主婦は、『家を買わなくても良い世界になるのね~。良かった。ベーシックインカム、いいわね~。家なんて持ってる奴はバカを見ろ!』なんて心の中で呟いていた。
同年7月1日、築数、面積、リフォームの有無等で画一的に決められた金額で家屋を国が買い上げはじめた。
6月30日までに買い上げ申請手続きをした資産家はほんの僅かだったが、9月1日から国民はアパートやマンションの賃料を一人当たり月5千円支払えば良いという事になった。一律の金額、つまり定額とする法律が通ってしまった。
この法律によって、あまりに低い賃料収入しか見込めなくなった大家が、一斉に自分たちの所有する賃貸用家屋を国に売りに出したが、第二期以降の買い取りは二束三文な金額での買取となった。
苦労して手に入れた家屋をただに近い値段で買いたたかれた所有者は、泣くに泣けなくなった。
大家たちは、国に家屋を売るか、大人数の家族に貸し出すかで悩みに悩んだ。
老人でも、赤ちゃんでも一人あたり月5000円の賃料しか取れないのだ。
一つの物件に大家族が住めば、月25000円にも50000円にもなるケースがあるのだ。
ただ、日本は少子化が進み、老人や若者が1人でアパートを借りるというのが普通で、5人も10人もいる家族というのは、国が用意した広めのアパートを同じ値段で借りられるので、一般家屋所有者からわざわざ借りる必要はなくなったのだ。
そして、日本はAIが人間に変わり働き、一部の優秀な人間や、力を持った家の人間のみが働く、働く事が特権となった国に代わってしまった。
2030年7月2日、広島県、織田みのりは生まれた。
この頃になると、日本だけでなく、世界の殆どの国は日本を手本にベーシックインカム制度を取り入れていた。
両親はベーシックインカムだけの収入しかなく、国が用意した住宅を借りている。
働く事がなく、やる事は房事が殆どとなった多くの国民と同じく、子だくさんである。
みのりにも兄弟が5人いる。
この調子なら将来はもっと弟妹が増えて、大家族になるだろう。
家族が増えると、たとえそれが赤ちゃんでも、一人分のベーシックインカムの金額が収入として増えるので、両親は子供を作る事を仕事の様に考えている様だった。
家の両親が考える事なんぞ、他の家でも考える様で、人口が爆発的に増えた。