ただしイケメンに限る! 8
渋谷駅から京王線に乗り換え、トゥーリオ・ニューロランドへ向かう。
ニューロランドとは、寂れたテーマパーク跡地を第三セクター企業「オーシーイー・アソシエーションズネットワークス社」が買い取り、脳科学をテーマとしたアトラクションと最先端の展示が楽しめる施設として復活させた、この手の施設にしては割と成功した部類の遊園地である。よくあるキャラクターショーや真面目な研究成果をエンタテインメント仕立てに設えた展示の数々。ジンも子供の頃、キモさ半分、好奇心半分で割と楽しみにして遊びに来ていたことを思い出す。
始発駅から雑然と混雑している車内だったが、休日出勤だろうか、徐々にサラリーマンの姿が消えてゆき、買い物客も消えてゆく。ようやく座れる席が空いてきたのはいいが、同じくニューロランドを目指す家族連れの姿が目立つようになり、まだ到着まで一時間もあるというのに早々の場違い感がひどい。たかしはなにを考えてあんなところに呼びつけたんだろうか。そういえばラップに乗せて出身は多摩市ベイベと言っていたような気もする。あのあたりに住んでいるんだろうか。
さらに人が減り、優先座席の端っこに移って松葉杖を壁にたてかける。こんなとき、自由にならない膝が妙にもどかしい。先月まではそういうものだとして、特になんとも思っていなかったのに。B/rのゲーム内で松葉杖なく歩き回れることに馴れすぎたせいだろうか。少し、気持ち悪い。
車両間を繋ぐ目の前の扉が開き、電車が揺れる。松葉杖の先が床を滑り、扉から出てきた人の行く手を遮ってしまう。すいません、と小声でつぶやくジンに、その人物は軽く足で松葉杖を止め、取り上げて元通りに立てかけると、明るい声をあげた。
「あっれー? 紳士じゃん!」
「佐波さん?」
珍しく学校外で見る佐波アミは、秋らしい薄手の長袖丸首オレンジセーターにデニムの短パン黒い厚手のタイツ、ショートブーツといった装いで、その女子力にジンは少々気圧される。社交ダンスでさんざん女子と触れあってきただろうというなかれ、それとこれとは大いに違うものなのだ。
「どーしたの? ひとり? 大丈夫? ご家族は?」
「あー、妹は習い事だったかな。両親は仕事です。土日はスクールの方が忙しいですから」
「あーそうだよね、そういや前に聞いたかな」
そういうと、アミはぽすっと隣に腰を下ろして足を組む。ジンは思わずきゅっと体を縮め、壁に寄る。クラスの女子に急に隣に座られるダイエットということばが脳裏に浮かんでは消えた。
「ていうかよそよそしいなー。私ら友達でしょー? 紳士はトモをツレっていう派? ダチっていう派?」
「え、いや、そうでもないのでは。しかし友達っていつのまに……」
「えー? 逆にいつの間に友達じゃなくなってたのかってことですよ。私は友達だと思ってたのになー。どこで壊れたのオーフレンドシーッ、ふふーふーふふー」
唐突に謎の鼻歌が始まったので「公共の場ですよ」と釘をさす。うへへ、と軽い笑いを返すアミ。
「佐波さんは?」
「ん? わたし? さんぽ。」
「散歩? 電車で?」
「そ。さっきまで歩いてたでしょ? 歩いて駅へ、電車に乗って、乗って歩いて。そして電車の進行方向に歩くことで私は電車の速度を超えた存在となる……」
「あーはいはいそれ小学生のときによくやりますよね」
「えっそんな言い方ってひどい。つっこみはもっと乱暴にしてほしいんですけど! お前脳味噌小学生かーい、プルンみたいな!」
はは、と軽い笑いを返すジン。なるほど、確かにこれはトモダチだ。家族でもなく、好敵手でもない。他人でもなく、パートナーでもない。この四分類のどれにも当てはまらない存在。といってもそう深く関わっているわけでもないというところが。
むらけーは友達だろうか? 考えてみれば紳士的に接することが多く、あまりつっこんだ話はしていないようにも思う。ネレイアはどうだろうか。レディもしくは弟子として扱うことが多く、友達という感じではない。
ではバーニンたかしはどうか。全力でぶつかり合った、という意味では好敵手のようにも思う。そういう相手は社交ダンスの大会でもたくさんいた。だが、たかしはそれとはすこし違う。ぶつかり合ったが、分かりあえた。まったく知らないダンスを分かろうとした。自分のダンスに没頭するだけではなく、相手のダンスにのめり込んでゆく。タンゴのステップのように、相手に向かって踏み込むことを恐れず。そういう自分に変わっていきたい。そう念じると、ジンはすこし息を整え、クイックステップ。
「佐波さんって、変わってますよね」
「へっ?」
アミは、鳩が失われた聖豆櫃を発見したとおもったら突然坂の上から巨大な豆が転がり落ちてきた、というような顔をした。
「失敬だなーキミは! うちのクラス最強の変人にいわれたくないし。わたしはいたって真面目で普通なんですけど!」
「天然ほど自分は普通だと主張する……」
「天然じゃありませんし! いっしょけんめー生きてます!」
「いや、だから真の天然ほど自分は天然じゃないよというものですよと」
「天然じゃありませんです! そっちのほうが天然っぽいよ! 放っといたらタキシードで学校来そう!」
「馬鹿な。社交ダンサーほどTPOに気を使う生き物はいないというのに。そもそも僕だってタキシードだけではなくラテン用のラメたっぷり、サンバっぽい衣装だって着るんですから」
「えっ! それってみたことある! すごいVネックのやつ!」
「Vネックというか、へそまで切れ込んでますが」
「へそまで! とととだとすると、その小太りボディはどこにご格納なされるんで……?」
「そのときはやせてたんですよ!」
ふぉぉ、グランドキャニオン・ザ・ネック……。VネックのVはデス・バレーのVだったとは……。
◇ ◇ ◇ ◇
ジンが裏で小太りペンギン略してコペンさまと呼ばれていること、ジンの昔の大会の写真をネットで拾ってきて笑っていたクラスメイトがいて、それを見たことがあるということ(アミ自身は決して笑っていないよ! 紳士界の神に誓って! と強調した)。最近足を痛めた陸上部のクラスメイトが、以前ジンのことをおちょくって悪かったなと思っているらしいということ。あとアミは決して天然ではないし周囲の友人誰一人としてアミを天然呼ばわりするものなどいないということ、以上一辺両端角相等より即ちアミは天然ではないということが証明されるということ。
電車はゆるゆると目的地に近づき、それまでの間にジンはそれまで風の噂にも届かなかったクラスのいろんな話を聞いた。どれだけ自分が周りを見ていなかったのか知り、なにも知らなかったことを知った。
「紳士はさー。足を痛めてヤケ喰いして太ったわけだけど」
「失敬な。もうその体型いじりパターンはやめてもらえますか」
「こっちのセリフだ! 真面目なはなしだよ!」
なぜ僕が。鼻白むジン。
「やっぱりさー、そのときって、足が動かなくなったよ、っていうときって、絶望なんかしちゃったりしたのかな」
「まあ、それはね。軽く絶望なんかしちゃったりしましたよ。でも歩けないってほどじゃないですから、それほど生活に苦労は」
「んー、そうじゃなくて」
眉間に皺を寄せ、学校ではみたこともない、神妙な表情。いいかけて、口ごもり、言い直そうとして、また眉をひそめて、そっと口を開く。
「社交ダンスのプロには、もうなれないの?」
肺がぎゅうっと締め付けられて、ジンははぁっと息を吐いた。
「いや、まあ、一概にはそうとも……」
「わたしは、とても興味がある。社交ダンスが嫌いにならなかったの? あきらめてたんじゃなかったの? どうして一度あきらめたものに、また取り組もうと思えたの? 一度はプロに手が届きそうだったのに、いまからどれだけ努力しても二度とそこに戻れないかもしれないのに、どうして?」
「は、はは。いやいやレディ、しょう、しょう、それは、個人的な事情に、踏み込みすぎ、では……うっ……ぐっ……」
踏み込もうと決めたのはジン自身だ。だから、こんな人前でこうして、みっともなく、涙を流すことになったのもジンの責任だ。紳士にはあるまじき振る舞い。なによりTPOに気を配り、他人にどう見られるか気にするダンサーとしてあるまじき行い。
でも、だからこそ、紳士的に振る舞い続けて、この問題をひらりひらりと避けていたのではなかったか。精神だけでも社交ダンサーでいたくて。核心に迫られることを恐れて。紳士として振る舞い、距離を取り続けていたのだ。自分はもう本当は、社交ダンサーではないかもしれないのに。
「……ごめんね、ジンくん」
「なにが……ですか」
「うれしかったんだ。ジンくんの、紳士じゃないところを見せようとしてくれてるのかな、とおもって。なんとなく」
「……ええ」
俯いて、スラックスの膝に涙がぽたりぽたりと流れ落ちる。みっともない、みっともない。慌てて目をこすり、ズボンをこする。でも、一度濡れたシミはすぐには乾かない。赤く染まっているであろう両の目も、閉じればまた涙がこぼれてしまうだろう。
斜め上、向かいの壁面電車広告を見上げてただまぶたを開く。なにがハッピーウェディングだ。なにが霊園墓石だ。なにが一度の人生、悔いのないようにチャレンジしよう、だ。
「ごめんね、こんなところで」
アミが簡素な小花柄のポーチから取り出した真っ白なハンカチが、ジンの目元にそっと触れ、水分を吸い取ってゆく。
「だから、本当に不思議で、本当にすごいと思ってるんだ」
電車は、目的地に近づく。




