?日目 『良い子遊園地』
完全な支配体制を築き上げた国があるらしい。
従順な『良い子』以外は、国民と認めないらしい。
『良い子』は、教育と手術で作られるらしい。
その国は、他国からこう呼ばれているらしい。
――『良い子遊園地』と。
* * *
「あれから約十年。……そろそろかな」
青年、元少年は、ガラスの檻の中で胡坐をかいていた。
「そろそろ信じるでしょ……全く、疑い深いんだから」
「あはははは、君はいつもそんな調子だね。あの時、少女の後ろで怯えていたのは君じゃなかったかな?」
元少年に答えるのは、少女に嫌われていた支配者。今現在も嫌われているらしいが、元少年にはその話が本当かどうかわからない。
「何回掘り返すの、その話」
「何度でも。残念ながら、私は度重なる改造実験のおかげで、記憶力が悪いんだ」
元少年は手を広げ、首を振る。
「その話、何度も聞いたよ。いいからほら、早く始めてよ。いつも通り、異常なしだろうけどね」
「意地悪だなあ、いつも通りと言われても、覚えているのは君だけじゃないか」
あははは、と笑う支配者の顔は、いつもすこし曇っている。
元少年は、その曇りが苦手だ。
「嫌なら、次回のテストを無しにしたらいい」
「と言うと?」
「そろそろ出してよ、洗脳は完全になったよ。たぶん」
「あははは、いやなことを言うなあ。完璧だったら、そんなこと言わないよ」
元少年は眉を顰める。
「もういいでしょ、何も変わらない。君ができなかったことをやらせてくれよ」
「……その言い方は嫌だなあ。でも、確かに君にしかできない」
「それに、いつまでここにいればいいの? もう、脱出してもいいんだよ?」
元少年は、自らの瞳を指さしてそう言う。
輝く目。その目は外国では普通らしい、と元少年が知ったのは、良い子遊園地に幽閉されてから五年が経ったころ。
『良い子遊園地』では、輝く目を持つのは支配者と子供達、非国民だけ。
元少年が支配者と偽れば、『良い子』は気付けない。
「あ、あははは。それは困るかな。君にすぐに気づけるのは、私くらいだろうから……」
「でしょ?」
支配者はため息をついた。無理に輝きを与えられた濁った目が、元少年をじっと見つめる。
居心地の悪い空間の中で、少年はまた諦めていた。
「わかったよ、まったく」
「はいはい今回もね……え?」
元少年の諦めを裏切る、支配者のため息。
「いいよ。気まぐれだ。はやく帰りな」
「え、ああ、」
困惑。ドアを開けられた子犬のように、元少年は身構えた。
「ほら、行った行った」
「ええ……」
「ちなみに、少女なら下の方にいるよ。って、もう分かってるか」
「……ありがとう、任せてよ。この十年、無駄な自信だけは磨いてきたから」
元少年は堂々と歩いていく。
監視の『良い子』たちに挨拶し、定型文をぶつけられながら、元少年は歩き続ける。
物陰に入るごとに、口元を押さえ、元少年は吐き気を我慢する。
どうして、支配者達はこんな状況で生きていけるのか。訳がわからないと思いながら、元少年は地下に続く階段を下っていく。
「ここだ」
元少年は、そびえ立つ扉を睨みつける。
先に誰かいるかもしれない。いや、確実にいる。
少女がいるのは、少女の父の部屋の向こう側。
あの時とは違う。少女の父が普段生活している部屋である。
「……開けるか。あの時の少女も、こんな気持ちだったのかな」
軽い、しかし重たい扉を引き、元少年は部屋に立ち入った。
目を瞑って、『良い子』の振りをして。
緊張で震えながら、元少年は声を待つ。
「お〜お、な〜んの用事かな〜?」
聞こえてきた声は、少女の父のものではなかった。
十年で声が変わったのか。それにしては若々しく、そして話し方も特徴的だ。
「……部屋の掃除に参りました」
適当な理由をつけて、少年は声を返す。震えた声はどう聞こえただろうか、と不安に陥りながら。
「そ〜れはおかしいな〜、さっき、掃除係が来たばかりだよ〜?」
元少年は汗を吹き出した。
なんとか演技をしなければと、元少年は頭をまわす。頭蓋についた幾十の縫い跡に負担をかけ、どうにか答えを捻り出す。
「あ、あれれ、おかしいですね。先程、えーと」
「変だな〜、君、おかし〜いなあ?」
どうしよう、どうしようと、少年は考える。
静かになってしまうとまずい。『良い子』はマニュアル通りに動くからだ。
分かっていても、言葉は出ない。
空白の後、聞こえてきたのは、笑い声だった。
「あ〜あ〜あ〜、もう良いよ、目、開けな〜?」
バレた。バレたバレたバレた。
元少年は焦燥感の中、目を開いた。
他の支配者と勘違いされることを祈りながら。
元少年の視界の先にいたのは、少女の父ではなかった。
「やっぱり〜、あの時のチケット五枚の少年、だ〜よ〜ね〜?」
「え、どちらさまで……」
「わかんないよな〜、瞳の色も変わっているし。そ〜うだねえ、脱出ゲームに誘ったあの少年だよ、って言ったら〜わ〜かるかなあ〜?」
突然の頭痛と共に、元少年の記憶が浮かび上がってくる。
元少年は手を叩いた。
「あ、あのときの……どうして、ここに?」
少女の父のような敵意は感じられない。
しかし、少女の父がいるはずの場所に優しそうな彼がいるのもおかしい。
少年はまた、身構えた。
「い〜いよいいよ〜、身構えなくて〜。養父と違って、僕は君を追い出すつもり無いから〜」
嘘だ、と断定はできない。元少年は、優しそうな彼を睨みつける。
「そ〜れに、感謝しているんだよ、君にはね。本当に」
「……は?」
感謝されることなどあっただろうか。
元少年は思考を巡らせようとして、止めた。
「だって〜、君のおかげで、いま僕はここにいるからね〜」
「それは、どういう……」
元少年の背中を、ゾワゾワする気味の悪い何かが駆け抜けた。
元少年は知っていた。いや、思い至っていた。
十年の間。知っていくたびに、何度も考えた。
あの少女がなぜ、あの時。無謀なことをしたのか。
その原因に自分がいるのではないか。
その曖昧を確実にされることだけは、やめてほしいと、そう思ってしまうほどに。
「ま、まって……」
「君があの子に無謀な挑戦をさせてくれた。お陰で〜、あの子の代わりに僕が跡継ぎになった」
「……」
「待〜たないよ。君があの子を助けに行くのなら〜、君が背負わなければならない業だからね〜、ね、生来の良い子?」
「……そ、そっか……」
元々、国の方針に疑問を抱いていた少女。
しかし、非国民と捉えられている子供が一人でどうこうできる問題ではない。
少女は、何もできないまま、十歳になってしまった。
最初の従者は、チケットを5枚手に入れた人だと決められている。
『良い子』の塊のような従者は、ある意味監視役でもある。
だから、少女は諦めていた。
そんな中で、初めて会ったその人は、純粋な輝く瞳をしていた。
自由な意思があり、洗脳も脳改造も受けていない、自然な人間。
彼を囮にすれば、自分だけなら国外逃亡できるかもしれない。偽の行方を刷り込んで、少しの間だけ影武者を用意できれば。
少女は、希望を見てしまった。
だから、生まれて初めて、心から喜んだ。
しかし。そこには、大きな誤算があった。
「じゃ、じゃあどうして、少女は僕を囮にしなかったんだ!?」
「こえを荒らげないでほしいな〜、外に聞こえちゃうじゃないか〜。それに、君も既に気付いているんだろう?」
「そ、それは……」
「普通だったら、思い上がるなと言いたいところだけど〜。残念、君の予想通りだ。本人から、聞いたからね〜」
「……」
彼、少年は、少女にとって完璧すぎた。
良い子の振りをする自分と違って、本当に良い子なんだと、少女はすぐに気づいてしまった。
努力をしている。確かにそれもあるだろう。
だがしかし。生まれ持った才能というか、脳の形というものも存在するのだ。
無茶振りをしても、なんの文句も言わずに答えてくれる。
少し意地悪をしても、少し怖がらせても。最後には、自分を信じてくれる。
初めての、対等に話せる人。
だから、少女は……。
「……もう良いでしょ、ねえ、通してくれない?」
「う〜ん、まあまあ、一個だけ聞いてよ。問題出すからさ、答えてほしいな〜」
「どうして?」
話の流れが滅茶苦茶だ。元少年はそう思った。
「僕のほうが、あの子よりも頭がよかった。運動もできた。あの子は2番目だった。……じゃあどうして、跡継ぎは僕じゃなくあの子だったのか。わかる〜?」
「わからない。関係ある? いま、その話」
「一応まだ、お客とキャストなんだからさ〜、立場弁えなよ?」
「その言い方はやめて」
「つれないな〜。答えは、外見さ。内面は、あとからどうとでもなる。洗脳教育と、脳改造で。廃人になったら、学習能力も運動能力も要らないもんね」
「……じゃあ、精一杯の悪口だったわけだ」
「そういうこと〜」
なんだ、それが言いたいだけか。元少年は優しそうな彼を睨みつける。
「で、通してくれる?」
「いいよいいよ〜、ほら、いってらっしゃ~い」
背後に警戒しながら、元少年は優しそうな彼の横を通り抜けた。
元少年の予想と反して、優しそうな彼は元少年に何もしなかった。
階段を降りていく。
悪趣味な部屋を通り抜け、気味の悪い書類の山を崩さないように進み、また階段を降りる。
そしてついに、ひとつの部屋にたどり着いた。
脱出ゲームの時に見た、独房と言うものだ。
床に、女性……元少女が座っていた。
眠っているのだろうか。俯いたままで、元少年に気付いた気配がない。
恐る恐る近づいていくと、声が聞こえた。
「来たのね……貴方。そうでしょう? チケット5枚の、少年」
少し低くなっただろうか。だが確かに、元少女の声だ。
元少年は、飛び上がりそうな体を抑える。
「うん、そうだよ。ほら、一緒に、逃げよう?」
腕を伸ばし、精一杯声をかける。
きっと手を取ってくれると信じて。
少女はまだ、俯いたままだ。
「どうして?」
「え?」
「どうして今更、私の元に来たの?」
「今更って……ようやく、許可が降りて……」
「どうして、どうして、どうして、どうして!」
何かがおかしい。元少年の呼吸が早くなっていく。
信じたくなかった。信じられなかった。どうしても、それだけはないと思いたかった。
十年。時間は、少年を青年にした。
どれだけ良い子でいたとしても、待ってくれなかった。
「いつまでも、来てくれなかった。約束したのに、一緒に逃げようって。でも、私には、守れなかった」
「いま、来たよ。遅くなっちゃったけど」
「どうして今なの!? どうして、どうしてどうしてどうして!」
「ね、ねえ、落ち着いて、大丈夫だから……」
「あの時、私だけで逃げる方法はいくらでもあったのに。貴方がいたから。貴方に惹かれてしまったから。貴方のせいで、私のせいで……」
「大丈夫、大丈夫だから!」
「貴方は私のせいで! 私は貴方のせいで! どうして今更!」
責任転嫁なのか、自己否定なのか。元少年には分からない。
少なくとも、あの時の少女なら絶対にやらないであろう取り乱し方と、悲痛な叫び声。
それら全てが、少年の肺を引きちぎろうとする。
「どうして、どうして、どうして、どうして……どうして!」
「そんな、まさか……」
元少年は、元少女の頭に、一筋の赤い線を見つけた。
手術の跡。残酷な、目に見える現実。
元少年の背後から、足音がした。
「……君、ひと〜つだけ、弁明させておくれよ〜」
「嘘だ、うそ、嘘なんだ……」
「あちゃ〜、聞いてないか〜……まあいいや。少女には、なんの教育も手術もしてないから。僕のせいには、しないでおくれよ〜?」
元少年は振り返らない。
俯いたまま、叫び続ける元少女から、目を離すことはできない。
「じゃ、じゃあ。この、頭の赤い糸はなんだ。この、手術跡は!」
元少年の頭に無数にある、赤い糸。
脳を『良い子』に改造するための手術の跡。
少年が何度も受け、その度に改造は必要ないと判断された、手術の跡。
「……勘違いしないでほしいな〜。人は普通、ずっと緊張し続けることはできない。いつか、緊張はほぐれてしまう」
「……一応聞くよ、だから?」
「そ〜の子は、普通じゃな〜い。腐っても、僕よりも優秀だってことになってる。だから、君のせいで」
「……それ以上はいい。喋らないで、もう」
「お〜っと、その子みたいなこと言わないでほしいな〜」
「うるさい黙って」
「わかったよ〜。忠告はした。じゃあね、ばいば〜い」
足音が遠ざかっていく。
元少年の呼吸は、どんどん早くなっていく。
他人に興味を持てなかった少年は、もういない。
可哀想な少女のために、涙が溢れて止まらない。
「ね、ねえ……約束したよね、一緒に逃げようって……」
返事はない。悲痛な叫びがこだまするだけで、返事は返ってこない。
「ね、ねえ。お友達でしょ、なにか、お話ししようよ……」
返事はない。元少女は俯いたまま。
元少年の言葉が届いているのかすら怪しい。
「ね、ねえ……ねえ。せめて、……笑って、みせてよ……」
声が掠れていく。
一緒に逃げることも、お話しすることも、叶わないのならば。
追いかけ続けた満面の笑みを見ることも叶わないのならば。
この気持ちをどうすれば良いのか。
少年には、分からない。青年になっても、分からない。
涙が床に落ちた。ポタポタと、音をたてる。
少女の声が止まった。
「……どうか、した?」
元少女が、ゆっくりと顔を上げた。
「……あり、がと」
そう言ったのは、どちらだったのか。
口角を上げようとする少女。
目元が真っ赤になった、元少女。
――少女の瞳は、真っ黒に濁っていた。




