第80話 五人目の家族と騒がしい朝。添い寝の論理的ローテーションと正妻戦争の再点火
王都の地下水路で発生した未知の魔力エラー、すなわち漆黒のバグとの決死の防衛戦から一夜が明けた。
シャルロットが手配してくれた豪華な王都別邸の寝室で、僕は柔らかな朝の光を浴びながら目を覚ました。
「ふぁ……よく眠れたな」
ベッドの上で大きく背伸びをすると、体中を巡る魔力回路の気怠さは完全に消失していた。
左腕の天界の端末を確認すると、王都の魔力バランスは完全に正常値を示しており、あの不気味なノイズの残滓はどこにも残っていない。
僕たちの完全なる勝利であり、何よりも、あの地下深くでマシロが初めて見せてくれた心からの笑顔が、僕の胸を今でも温かく満たしていた。
僕はパジャマから制服へと着替え、寝癖を簡単に手櫛で整えてからリビングへと向かった。
重厚な木製の扉を開けた瞬間、そこからは朝の爽やかな空気とは明らかに質の異なる、異様なまでの熱気と賑やかな声が溢れ出してきた。
「まぁ!マシロちゃん、この純白のフリルドレスも息を呑むほどに似合いますわよ!」
シャルロットの興奮した声がリビングに響き渡る。
「いえ、シャルロット殿下。マシロの高潔な美しさを引き立てるには、こちらのシックな黒を基調とした令嬢服こそが最適の計算式ですわ」
ベアトリスが負けじと、仕立ての良いドレスをマシロの体に宛てがっている。
「二人とも、ヤマトの伝統を忘れてもらっては困るぞ!この白い髪には、桜色の着物こそが最も映えるに決まっておる!」
サクラが両手に色鮮やかな反物を抱え、鼻息を荒くして主張していた。
「もうみんな、朝からマシロちゃんをオモチャにしちゃダメだってば。……あ、でも、この淡いピンクのエプロンドレスを着たマシロちゃん、天使みたいに可愛いかも……!」
結局、リズまでもが自分の持ってきた衣装を絶賛し、マシロの周囲を取り囲んでいた。
リビングの中央では、当のマシロが完全に着せ替え人形状態になりながらも、微動だにせず直立不動で立っていた。
彼女のプラチナブロンドの髪は綺麗に結い上げられ、リズたちの手によって次々と異なる服を着せ替えられている。
「管理者様、おはようございます」
僕の姿を認識したマシロが、無表情ながらも青い瞳をパチパチと瞬かせて挨拶をしてきた。
「お姉様方の魔力波長から、極めて高い好意的なシグナルを検知しています。衣服の着脱を通じて『可愛い』という概念の学習を継続中ですが、私のシステムが許容できるクローゼットの容量を間もなく超過します」
「みんな、おはよう。朝からマシロをいじめるのはそれくらいにしてあげてよ」
僕は苦笑いしながら、彼女たちの輪の中に割って入った。
「おはよ、アレン!いじめてなんかいないよ。マシロちゃんがあまりにも可愛くて、みんなでお姉ちゃんとしての義務を果たしているだけなんだから!」
リズが腰に手を当て、ドヤ顔で胸を張る。
「そうですわよ、アレン様。昨日、私たちの可愛い妹分となったマシロちゃんに、最高の装いを提供するのは正妻たるわたくしの当然の務めですわ」
シャルロットが優雅に髪をかき上げ、当然のように正妻を名乗る。
「私の計算によれば、マシロの衣服のコーディネートを私が統括することで、ヴァンルージュ商会の新作ドレスの最高の宣伝にもなりますわね」
ベアトリスが眼鏡をクイッと押し上げ、知的な笑みを浮かべる。
「主君、某もマシロ殿の髪を結い直す技術を習得したぞ!いつでも任せてくれ!」
サクラが嬉しそうに自慢してくる。
昨日までの、世界を裏側から管理する冷徹なシステムAIとしての姿はどこへやら。
マシロは四人の花嫁候補たちから、文字通り『溺愛される末っ子妹』として完全に受け入れられ、別邸の家族の一員となっていた。
その温かい光景に、僕は胸の奥がじんわりと解けていくような、至高の幸せを感じずにはいられなかった。
「さあ、朝食の用意ができていますわ。冷めないうちに召し上がってくださいませ」
シャルロットの案内で、僕たちは大きなダイニングテーブルへと席を移した。
今日の朝食は、リズとサクラが腕を振るったふわふわのオムレツと、シャルロットとベアトリスが用意した王都最高の紅茶、そして炊きたての白いご飯だ。
「マシロちゃん、オムレツの味はどう?」
リズが期待に満ちた目で、マシロの食事の様子を見守る。
マシロはスプーンで綺麗にオムレツを切り分け、小さな口へと運んだ。
咀嚼の動作の後、彼女の青い瞳が微かに輝きを増した。
「肯定。卵の滑らかな食感と、絶妙な塩味が味覚センサーを通じて脳内の幸福プログラムを刺激しています。一言で表現するならば、大変美味しいです」
マシロが無表情のまま、淡々と、しかし確かな熱を込めて答えた。
「やったわ!マシロちゃんに美味しいって言ってもらえた!」
リズとサクラが手を取り合って大喜びし、シャルロットとベアトリスも「次は私たちの紅茶をどうぞ」「この果実も最高ですわよ」と、次から次へとマシロのお皿に料理を運んでいく。
マシロはそれらを拒むことなく、嬉しそうに、そして大切そうに味わっていた。
昨日まで孤独にシステムを管理していた彼女が、こうして誰かと食事を分け合い、美味しいと感じている。
その奇跡のような日常が、何よりも愛おしかった。
朝食が終わり、皆で淹れたての紅茶を飲みながら一息ついている時のことだった。
マシロが不意に、コップを置いて真顔で手を挙げた。
「アレン様、およびお姉様方。システム管理者であるアレン様との絆、そして家族としての親睦をより強固なものにするための、論理的な提案があります」
「論理的な提案?何かしら、マシロちゃん」
シャルロットが小首を傾げ、紅茶を傾ける。
「はい。私は昨日、家族の温かさと感情の基礎を学習しました。しかし、より深い領域の感情、すなわち『愛』や『信頼』を効率的にデータ蓄積するためには、夜間の防衛およびスキンシップの最適化が必要です」
マシロは淡々と説明しながら、左腕の回路から空中にホログラムのスケジュール表を展開した。
そこに書かれていた複雑なシフト表を見て、ベアトリスが眉をひそめる。
「夜間のスキンシップの最適化……具体的には、どういうことですの?」
「本日より、お姉様方と私を含めた五人による、アレン様への『夜の添い寝ローテーション制』を導入することを提案します」
マシロが表情一つ変えずに、あまりにも爆弾すぎる発言を投下した。
ブッ!!
リズが口に含んでいた紅茶を盛大に吹き出しそうになり、顔を真っ赤にして激しく咳き込んだ。
シャルロットは持っていたスプーンをカランと床に落とし、ベアトリスは眼鏡を限界まで見開いた。
サクラにいたっては、顔から火が出るのではないかというほど赤くなり、完全にフリーズしている。
「と、添い寝ローテーション!?マシロちゃん、急に何を言い出すの!」
リズが机を叩いて立ち上がり、湯気を立てながら抗議の声を上げる。
「な、なんですって……!しかし、このスケジュール表をよく見ると、わたくしの順番が週に二回も組み込まれていますわ!論理的、非常に論理的ですわね!」
シャルロットは即座にスケジュールを凝視し、自分の名前が多いことに気づいて態度を急変させた。
「待ち決定ですわ、シャルロット殿下。なぜあなたが週に二回なのですか。私の計算によれば、商会としての貢献度とアレン様への精神的サポートの質を考慮すれば、私がアレン様の隣で毎晩の財務報告を兼ねた添い寝を行うのが最適ですわ」
ベアトリスが素直に手帳を取り出し、独自の添い寝スケジュールを猛烈な速度で計算し始めた。
「そ、添い寝……!ヤマトの女として、主君と同じ布団に入るのは生涯の誉れであるな!某、何番目であっても文句は言わぬぞ!全力で主君を温めてみせる!」
サクラが恥じらいながらも、完全にやる気満々で刀を握り直している。
「ちょっとみんな!流されないでよ!アレンの部屋に毎晩誰かが泊まるなんて、そんなのいくらなんでも刺激が強すぎるってば!」
リズが一人で必死に防衛線を張ろうとするが、三人の火に油を注ぐ結果にしかなっていなかった。
「誤解があります、リズお姉様」
マシロが首を傾げ、補足を加えた。
「このローテーションは、アレン様への添い寝だけでなく、私がお姉様方の部屋に順番に泊まり、お姉様方の柔らかさや温もりを学習するスケジュールも含まれています」
「えっ?私とも一緒に寝てくれるの?」
リズが拍子抜けしたように瞬きをする。
「はい。昨夜、お姉様方の胸の柔らかさに触れた際、大変優れたリラクゼーション効果と安心シグナルを確認しました。私はすべての家族と等しく密着し、愛を学習する必要があります」
マシロのその無垢でポンコツな解説を聞いて、ヒロインたちの視線は再び別の方向へとシフトしてしまった。
「マシロちゃんのその提案、別邸の新しいルールとして正式に採用いたしますわ!アレン様の部屋の順番については、今から厳正なる話し合い(バトル)で決めましょう!」
シャルロットが杖を構え、火花を散らす。
「抜け駆けを防ぐためにも、ローテーションの監査役は私が務めます。まずは私の木曜日からスタートですわ」
ベアトリスが冷気を漂わせる。
「某も一歩も引かぬぞ!主君との夜の修行、望むところだ!」
サクラが気合を入れる。
「もう!結局アレンの奪い合いになっちゃうじゃない!」
リズが頭を抱えて叫ぶ中、四人の花嫁候補たちによる仁義なき夜の陣取り合戦が、リビングで再び激しく点火されてしまった。
僕は胃の辺りをそっと押さえながら、真っ白な天井を見上げた。
世界を裏側から管理する力を手に入れ、運命の強制力という最悪の危機を乗り越えて勝ち取った未来。
しかし、僕を待っていたのは、五人の愛すべき少女たちによる、これまで以上に騒がしく、そして甘く危険な日常だった。
これから始まる終わりのない正妻戦争の予感に、僕は深い溜息を吐き出す。
「……まあ、みんながこうして笑っているなら、これでいいのかな」
僕の口元から、自然と優しい笑みがこぼれ落ちた。
どんなに胃が痛くても、どんなに振り回されても、彼女たちが僕の隣で生きていてくれること以上の幸せなんて、この世界のどこにも存在しないのだから。
学生生活最後の年、三年生の本格的な日常がここから始まる。
新しい家族であるマシロを迎え、僕たちの絆はさらに深く、より強固なものへと進化していく。
平穏な農業スローライフへの道のりは相変わらず遠そうだが、希望に満ち溢れた僕たちの未来は、朝の陽射しを浴びてどこまでも眩しく輝いていたのだった。




