第54話 桜舞う中庭と激動の日々の記憶。賢者が夢見るスローライフと、実家へ押し寄せる四人の花嫁
厳しかった冬の寒さが次第に和らぎ、王都の街並みに心地よい春の風が吹き始めた頃。
王立魔法学園の巨大な講堂では、僕たち二年生の修了式が厳かに執り行われていた。
高い天井に学園長の長々とした訓示が響き渡り、やがてすべての式次第が終了して解散の号令がかけられる。
その瞬間、講堂を埋め尽くしていた生徒たちから、一斉に解放感に満ちた大歓声が沸き上がった。
「終わった……ついに、過酷すぎた二年目が終わったんだ」
僕が深く、本当に心の底からの安堵の息を吐き出しながら講堂の扉を抜けると、すぐに四人の見慣れた美少女たちが小走りで駆け寄ってきた。
「アレン!修了式、本当にお疲れ様!」
リズが太陽のように明るく屈託のない笑顔で、僕の右腕にギュッと力強く抱きついてくる。
彼女の金糸のような美しい髪が春風に揺れ、ほのかに甘い香りが僕の鼻腔をくすぐった。
「いよいよ明日から春休みですわね。長かったような、あっという間に過ぎ去ってしまったような、とても不思議な気持ちですわ」
シャルロットが僕の左腕にそっと身を寄せ、気品に満ちた王女の微笑みを浮かべる。
「ええ。ですが、まずはこの激動の一年間を誰一人欠けることなく無事に乗り越えられたことを、私たち五人で盛大に祝うべきですわね」
ベアトリスが愛用の扇子をパチンと小気味良い音を立てて閉じ、知的な眼鏡の奥の瞳を優しく和ませる。
「うむ!某はヤマト国からこの学園に来てまだ半年ほどだが、それでも生涯忘れることのない、あまりにも濃密すぎる日々であったぞ!」
サクラも誇らしげに胸を張り、凛とした武人の顔から一人の可憐な乙女の顔へと表情を綻ばせた。
僕たちは賑やかな声が飛び交う学園の廊下を抜け、静かな中庭へと向かった。
中庭の中心には、春の訪れを告げる『魔力桜』の巨大な木が植えられており、淡いピンク色の花びらがまるで雪のように美しく、そして儚く舞い散っていた。
誰もいない中庭の広めのベンチに五人で腰を下ろし、僕たちは舞い散る桜の花びらを見上げながら、この一年間の出来事を静かに、愛おしむように振り返り始めた。
「本当に、色んなことがあったよね。最初の武闘会なんて、もうずっとずっと昔のことみたいに感じるよ」
リズが懐かしそうに目を細め、空を仰ぐ。
前世からの幼馴染である彼女とは、この世界でも数え切れないほどの死線を共に潜り抜けてきた。
「そうですね。あの武闘会で、アレン様が私の望まない政略結婚という鳥籠を完全にぶっ壊してくださったからこそ、今の自由で幸せな私があるのですわ」
シャルロットが僕の肩に頭をこてんと乗せ、甘く愛おしそうに囁く。
彼女の抱えていた王族としての重圧を共に背負い、そして解放できたことは、僕にとっても大きな転機だった。
「夏休みのヤマト国への大遠征も印象深いですわね。あの凶悪な大魔王との死闘は、今思い返してみても背筋が凍るほどの絶望感でしたわ」
ベアトリスの言葉に、サクラが深く、そして力強く頷いた。
「うむ。アレン殿の奇跡の力と、皆の命懸けの助けがなければ、我が祖国は確実に魔界の泥に沈んでおった。本当に、何度頭を下げて感謝しても足りぬほどだ」
サクラが真っ直ぐで誠実な瞳で僕を見つめ、ベンチから立ち上がって深々と頭を下げる。
「頭を上げてよ、サクラ。みんなが自分の持てる力を出し切って頑張ってくれたおかげだよ。それに、二学期の大陸魔法交流戦だって、君たち四人が各国の傲慢な代表たちを完膚なきまでに叩き潰してくれたじゃないか」
僕が苦笑いしながら当時の光景を振り返ると、四人は少しだけ得意げに、そして悪戯っぽく笑った。
「当然の報いですわ!愛するアレン様を雑用係などと愚弄する無礼者たちに、私たちの愛の力と思い知るべき身の程を見せつけてやったのですから!」
「三学期に入ってからもずっとドタバタだったよね。バレンタインの暗黒物質作りとか、旧校舎の恐ろしい幽霊騒動とか」
リズの言葉に、シャルロットとサクラが「うっ……」と図星を突かれたように気まずそうに言葉を詰まらせた。
「雪山での猛吹雪による遭難は、私のこれまでの人生で一番のピンチでしたわ……本当に、色々な意味で」
ベアトリスが頬をほんのりと赤く染めながら、あのエロサスペンスなかまくら密室での暴走を思い出して小さく呟く。
戦い、日常、ラブコメ、そして時々ホラーやサスペンス。
僕の思い描いていた平穏なスローライフ計画は常に斜め上の方向へと吹き飛んでいき、理性を試される過酷なイベントの連続だった。
だが、それでも。
こうして振り返ってみれば、そのどれもが宝石のようにキラキラと輝く、二度とは手に入らないかけがえのない青春の記憶だった。
「今度は、いよいよ僕たちも最上級生だね」
僕が舞い散る桜の花びらを一枚手のひらで受け止めながら言うと、四人の乙女たちは一斉に僕を囲むように身を乗り出してきた。
「アレン。私、アレンとずっと一緒にいられて、今この世界で一番幸せだよ。これからも、来年も再来年も、ずっと私の隣にいてね」
リズが僕の手を両手で優しく包み込み、混じりっけのない真っ直ぐな愛情を伝えてくる。
「私からもお願いですわ。私のたった一人の英雄様。どうか来年も、再来年も、その先もずっと、私をアレン様の隣という特等席に置いてくださいませ」
シャルロットが甘い香りを漂わせながら、僕の顔を下から覗き込むようにして微笑む。
「ビジネスのパートナーとしても、そして一人の女性としても、私の心はすでにあなたという存在で完全に満たされておりますわ。もう決して逃がしませんので、覚悟しておいてくださいね」
ベアトリスが扇子で口元を隠しつつ、妖艶で情熱的な流し目を送ってくる。
「主君よ!某も、誇り高きヤマト撫子として貴殿を一生支え抜く覚悟はとうにできている!貴殿の背中は、某の刀が絶対に守ってみせるぞ!」
サクラが凛々しく、それでいて恋する乙女の恥じらいを含んだ極上の笑顔を見せる。
四人の真っ直ぐで、そしてあまりにも重すぎる愛情表現に、僕の心臓は早鐘のように激しく打ち鳴らされた。
僕は彼女たちの想いに応えるように、一人ひとりの美しい顔を優しく見つめ返した。
「ありがとう、みんな。僕にとっても、君たち四人と一緒に過ごせたこの一年間は、最高に幸せな時間だったよ。三年生になっても、どうかよろしくね」
僕が心からの感謝を込めてとびきりの笑顔で答えると、四人は嬉しさのあまり大粒の涙を瞳に浮かべながら、一斉に僕の胸へと抱きついてきた。
桜舞う学園の中庭で、四人の絶世の美少女たちと熱く抱き合うという、まさに学園ラブコメディの理想形とも言える大団円。
これ以上ないほどに感動的で美しいエンディング。
このまま静かに幕を下ろしていれば、僕の二年生という青春は完璧な思い出として完結していたのだ。
「さて。明日からは待ちに待った春休みだね。僕は実家の辺境領地に帰って、今度こそ絶対に誰にも邪魔されない、のんびりとした農業スローライフを満喫するぞ」
僕が長年の夢である平穏な休日に向けて、拳を握りしめながら固く決意を口にした、まさにその時だった。
「ええ、その予定で完全に分かっておりますわ!私たちもすでに領地へ向かうための荷造りは完璧に終えておりますの!」
シャルロットが満面の笑みを浮かべたまま、とんでもない爆弾発言を投下した。
「……へ?私たち、って?」
僕が間の抜けた声を漏らすと、リズが当然のように胸を張った。
「当然、私たち四人全員でアレンの実家にお泊まりに行くに決まってるじゃない!お義父さんとお義母さんには、手紙でもうしっかりとお泊まりの許可をもらってるんだからね!」
リズが顔の前でピースサインを作りながら、すでに完了している恐るべき根回しの事実を告げた。
「なっ……僕の両親に、いつの間に勝手に連絡したの!?」
「当然の報連相ですわ。これはただの学生の遊びや旅行ではありませんのよ。私たちが将来、アレン様と共に暮らすことになるログレー領の視察……いわば、新婚生活の予行演習なのですから!」
ベアトリスが気合十分に扇子を振り下ろし、恐ろしい名目を口にする。
「うむ!某も、未来の姑殿に気に入ってもらえるよう、ヤマトの家庭料理をこの数週間、死ぬ気で練習してきたのだ!必ずやご両親の胃袋を完全に掴んでみせるぞ!」
サクラが謎の闘志をメラメラと燃やして拳を力強く握りしめている。
「いやいやいや!ちょっと待って!四人全員が辺境の領地にいきなり押しかけたら、スローライフどころか村中がひっくり返るような大騒ぎになるよ!?ただでさえ王族と公爵令嬢と他国の姫が来るなんて、僕の親がプレッシャーで卒倒しちゃうから!」
僕が半狂乱になって引き留めようと必死に説得を試みる。
しかし、すっかり新婚旅行あるいは実家への嫁入り挨拶気分になっている彼女たちの耳には、僕の常識的な言葉など一文字たりとも届いていなかった。
「さあ、そうと決まれば今すぐ王都を出発する準備ですわ!アレン様、馬車の座席は当然私のお隣ですからね!」
「ズルい!私は前世からの正妻幼馴染枠なんだから、私がアレンの隣に決まってるでしょ!」
「いえいえ、ここは長女気質であり正妻候補筆頭である私が……」
「某も絶対に負けぬぞ!アレン殿、移動中は某の膝を枕にしてゆっくり休むがよい!」
キャーキャーと賑やかで容赦のない言い争いを繰り広げながら、四人のヒロインたちは僕の両腕をガッチリとホールドし、文字通り引きずるようにして学園の正門へと向かって歩き始めた。
春のうららかな陽気の中、魔力桜の花びらが僕たちの前途多難な未来を祝福するようにキラキラと舞い散っている。
激動の二年生が終わり、ついに迎えることのできた春休み。
しかし、僕が長年夢見てきた「のんびりとした平穏な農業スローライフ」は、四人の重すぎる愛情を持った花嫁候補たちによる『実家同棲サバイバル』へと、またしても無惨に書き換えられてしまったのである。
「誰か……僕の胃薬を、春休みの間も保つように大量に錬成しておいてくれ……」
僕の悲痛で弱々しい悲鳴は、ヒロインたちの楽しげな笑い声と春の心地よい風に掻き消され、澄み切った王都の青空へと虚しく吸い込まれていった。
最強の裏方賢者と四人の乙女たちが織りなす、波乱とドタバタに満ちた学園生活の二年目。
それは、彼女たちの揺るぎない愛と、僕の絶えない胃痛と共に、美しくも騒がしい大団円の幕を閉じたのだった。




