第50話 聖なる甘味祭と四つの暗黒物質。賢者の胃袋を巡る甘い暴走と愛の完食
大陸魔法交流戦という大きな嵐が過ぎ去り、王立魔法学園にはようやく落ち着いた日々が戻ってきた。
激動の二学期が終わり、短い冬休みを経て、僕たちはついに三学期へと突入した。
しかし、平穏なスローライフを望む僕の願いとは裏腹に、学園は新年早々から妙に浮き足立った空気に包まれていた。
原因は、この時期に開催される学園の伝統行事、『聖なる甘味祭』である。
「聖なる甘味祭、か」
僕が教室の窓からどんよりとした冬の空を見上げながら呟くと、隣の席のリズが嬉しそうに身を乗り出してきた。
「そうだよ、アレン!女子が意中の男子に、手作りの甘いお菓子を贈って想いを伝える特別な日なんだから!」
リズの碧眼がキラキラと輝いている。
「前世の日本でいうところの、バレンタインデーみたいなものだね」
「うん!前世では結局渡せなかったから、今世では絶対にアレンに一番美味しいお菓子を食べてもらうんだから!」
リズが気合十分にガッツポーズをした直後、僕の前の席に座っていたシャルロットが、優雅に振り返って微笑んだ。
「あら、リズさん。アレン様が一番喜ばれるのは、この私、シャルロットが真心を込めて作った王家秘伝の甘味に決まっておりますわ」
「お言葉ですが、シャルロット殿下。甘味において最も重要なのは、緻密な計算と温度管理ですわ。私の知略をもってすれば、アレン様の舌を完璧に満足させる至高の一品が完成いたしますのよ」
隣のクラスからわざわざやってきたベアトリスが、扇子を広げて知的な笑みを浮かべる。
「うむ!某もヤマト国の誇りにかけて、アレン殿の胃袋を完全に掌握してみせるぞ!」
サクラもいつの間にか僕の席の横に立ち、腕を組んで自信満々に頷いていた。
四人の美少女たちから同時に熱い視線を向けられ、教室中の男子生徒たちから殺意の込められた視線が突き刺さる。
「みんな、気持ちは嬉しいけど、無理して作らなくてもいいんだよ?」
僕が苦笑いしながらフォローしようとすると、四人は一斉に首を横に振った。
「「「「ダメ(ですわ/なのだ)!」」」」
四人の息がぴったりと合いすぎる。
「アレン様は私たちの婚約者なのですから、他の有象無象の女子生徒から贈られる怪しいお菓子など、口にされては困りますわ!」
「そうだよ!アレンの胃袋は、私たちが責任を持って満たすんだから!」
かくして、彼女たちの異常なまでの闘争心と愛情が入り混じった、聖なる甘味祭のチョコレート作りが幕を開けたのである。
放課後。
特別に貸し切られた学園の家庭科室からは、何やら不穏な魔力と物理的な破壊音が響き渡っていた。
僕は廊下で待機させられていたが、中から聞こえてくる会話の端々から、嫌な予感しかしていなかった。
「いきますわよ!王族の誇りを懸けた、極大火力でのカカオ焙煎!紅蓮の炎よ、私の愛の形を焼き尽くしなさい!」
ゴォォォォォォッ!!
シャルロットの高らかな宣言と共に、家庭科室の窓から真っ赤な炎が噴き出した。
「ちょ、シャルロット!火力が強すぎるよ!チョコレートが炭になってるじゃない!」
リズの悲鳴が聞こえる。
「問題ありませんわ!愛は焦がすほどに燃え上がるものですから!」
「全く、非効率な火力ですわね。チョコレートのテンパリングには、コンマ一秒の温度管理が必要ですのよ。絶対零度の氷結魔法で、一気に冷やし固めますわ!」
ピキィィィィンッ!!
今度はベアトリスの冷徹な声と共に、家庭科室の扉の下から分厚い霜が漏れ出してきた。
「あわわわ!ベアトリス殿、ボウルごと完全に凍りついて、もはや鈍器のようになっているぞ!」
サクラがパニックになっている。
「ふふっ、この硬さこそが、アレン様への私の揺るぎない愛の結晶ですわ」
「もう、二人ともどいて!私が剣聖の技で、カカオ豆をペースト状にしてあげるから!音速の微塵切り、はぁぁぁぁっ!!」
シュパパパパパパパッ!!
リズの剣閃が空を裂く音が響き、家庭科室のまな板が真っ二つに割れる音が聞こえた。
「リズさん!まな板ごとカカオの原子を斬り裂いてどうしますの!これではただの黒い粉塵ですわ!」
シャルロットが抗議する。
「えへへ、ちょっとやりすぎちゃった。でも、口溶けは最高だと思うよ!」
「うむ!ならば某が、ヤマト国の秘伝の調味料で味を調えよう!この最高級の醤油と味噌を、隠し味としてたっぷりとな!」
ドバァァァァァッ!!
「きゃあああっ!サクラ、なんてものを入れるの!」
「チョコレートに味噌と醤油!?狂気の沙汰ですわ!」
「いやいや!ヤマト国では甘じょっぱいのが粋とされているのだ!アレン殿も絶対に喜ぶはずだぞ!」
家庭科室の中で繰り広げられる、四人の乙女たちによる料理という名の破壊活動。
僕は廊下の壁に背中を預け、胃の辺りを押さえながら天を仰いだ。
「誰か、僕に胃薬を錬成してくれ……」
数十分後。
家庭科室の扉が開き、顔をススやチョコレートで汚した四人の乙女たちが、誇らしげな表情で出てきた。
彼女たちの手には、それぞれ綺麗にラッピングされた小さな箱が握られている。
「お待たせしました、アレン様!私たちが真心を込めて作った、特製の甘味ですわ!」
シャルロットが満面の笑みで箱を差し出す。
僕たちは空き教室へと移動し、彼女たちが見守る中で、いよいよ試食の時間を迎えた。
机の上に並べられた四つの箱。
僕は覚悟を決め、まずはシャルロットの箱を開けた。
「……これは」
箱の中に入っていたのは、真っ黒に焦げ、まるで消し炭のような物体だった。
「私のアレン様への燃え上がる愛を、極大火力で表現いたしましたの!さあ、召し上がれ!」
僕は無言のまま、その消し炭を口に運んだ。
ガリッ。
強烈な苦味と、焦げた炭の風味が口いっぱいに広がる。
チョコレートの甘みなど微塵も存在せず、ただひたすらに炭素の味がした。
「……すごく、香ばしいね。シャルロットの愛の熱さが、ダイレクトに伝わってくるよ」
僕が涙目で微笑むと、シャルロットは嬉しそうに胸の前で両手を組んだ。
「良かったですわ!次はぜひ、ウェディングケーキも私が焼かせていただきますね!」
いや、それは全力で阻止しなければならない。
次に、ベアトリスの箱を開ける。
そこには、青白く冷気を放つ、鈍器のような氷塊が入っていた。
「絶対零度で愛の形を永遠に封じ込めましたわ。アレン様、私の知の結晶をご堪能くださいませ」
僕は震える手でその氷塊を掴み、奥歯で思い切り噛み砕こうとした。
カキィィンッ!
僕の歯が欠けそうになるほどの、尋常ではない硬さだった。
「……ベアトリス。これは、舐めて溶かすものかな?」
「あら、アレン様の強靭な顎なら噛み砕けると思いましたのに。でも、ゆっくりと時間をかけて私を溶かしてくださるのも、また一興ですわね」
ベアトリスが扇子で口元を隠し、妖艶に微笑む。
僕は氷塊を口の中に放り込み、舌先で転がしながら、冷たすぎて味覚が麻痺していくのを感じていた。
続いて、リズの箱。
中には、黒い粉塵のようなものが、サラサラと敷き詰められていた。
「剣聖の技で、カカオの原子まで斬り刻んでみたの!口溶けには自信があるよ!」
僕はスプーンですくい、その粉を口に含んだ。
パサァッ。
口の中の水分がすべて奪われ、むせ返りそうになる。
味はカカオそのものだが、あまりにも細かすぎて、息をするだけで鼻腔に入り込んでくる危険な粉末だった。
「……ゴホッ。すごいね、リズ。まるで砂漠の砂を食べているような、新しい食感だよ」
「本当!?よかった!来年はもっと細かく斬ってみるね!」
リズが純真な笑顔を見せるので、僕は咳き込むのを必死に堪えて頷いた。
最後は、サクラの箱である。
開けた瞬間、強烈な醤油と味噌の香りが教室に充満した。
箱の中には、茶色くドロドロとした、スライムのような物体が蠢いているように見えた。
「ヤマト国の誇る発酵調味料を、惜しげもなく投入したぞ!甘さと塩気の絶妙な調和を楽しんでくれ!」
サクラが目を輝かせて僕を見つめる。
僕はスプーンでそのドロドロの物体をすくい、決死の覚悟で口に入れた。
「……っ!!」
強烈な塩分と、味噌の強烈なコク、そして後からやってくる中途半端なチョコレートの甘さ。
それらが口の中で大喧嘩を始め、僕の味覚神経を完全に破壊しにかかった。
「ど、どうだアレン殿!?美味であろう!」
「……うん。ヤマトの風を感じるよ。サクラの故郷への愛と、僕への想いが、見事に調和しているね」
僕はもはや、味覚という概念を放棄して、ただひたすらに笑顔を取り繕うことしかできなかった。
四つの『暗黒物質』。
それは、四人の乙女たちの暴走した愛情と、魔法や剣技の無駄遣いが生み出した、兵器と呼ぶべき代物だった。
しかし、彼女たちが僕のために、一生懸命に作ってくれたことだけは事実だ。
その真心を無下にするわけにはいかない。
「みんな、本当にありがとう。全部、僕が責任を持って食べるよ」
僕は左腕の【天界の端末】をこっそりと起動し、【成分再構築アプリ】を胃袋の内部でフル稼働させた。
これを使えば、いかなる毒物や異物であっても、胃の中で安全な栄養素へと強制的に変換することができる。
僕の科学チートの、最も無駄で、最も切実な使い道だった。
「アレン様、全部食べてくださるなんて……!」
「アレン……私、感動しちゃった!」
四人の乙女たちが、僕の完食する姿を見て、嬉し涙を浮かべている。
僕はガリガリと炭を噛み砕き、氷塊を飲み込み、粉塵にむせ、味噌チョコの塩分に耐えながら、四つの暗黒物質を見事に完食してみせた。
「ごちそうさま。みんなの愛、ちゃんとお腹の底まで届いたよ」
僕が胃薬を生成しながら微笑むと、四人はたまらなくなったように僕に抱きついてきた。
「アレン様!来月のホワイトデーのお返し、楽しみにしておりますわね!」
シャルロットの無邪気な言葉に、僕の胃が別の意味でキリキリと痛み始めた。
聖なる甘味祭。
それは、彼女たちの重すぎる愛情と、僕の科学チートによる胃袋防衛戦という、波乱の三学期の幕開けにふさわしいドタバタラブコメディの始まりだった。
僕の平穏なスローライフは、まだまだ遠い未来の話のようである。




