第2話 女子高生の執念と、異世界初の最強美容液
翌朝。
まだ太陽が昇りきらない薄暗い時間帯。
僕とリズは、忍び足で屋敷の廊下を進んでいた。
目指すは一階の厨房である。
辺境伯家の朝は早く、あと一時間もすればメイドたちが朝食の準備にやってくる。
それまでに、僕たちはシャンプー開発の素材を集めなければならなかった。
「アレン、ストップ」
前を歩いていたリズが、ピタリと足を止めて振り返る。
彼女の碧眼が、暗闇の中で猫のように鋭く光った。
「角の先から足音が近づいてくる。二人。たぶん見回りの兵士だよ」
「了解。こっちの空き部屋に隠れよう」
僕たちは素早く近くの部屋へ滑り込み、息を潜めた。
カチャカチャと鎧の鳴る音が通り過ぎていく。
昨夜の秘密会議で「異常に体力と動体視力がいい」と言っていたリズだが、どうやら聴覚や気配察知能力も人間離れしているらしい。
これも転生特典、あるいは何らかのスキルの恩恵なのだろう。
「よし、行ったよ。行こう、アレン」
リズの先導により、僕たちは誰にも見つかることなく厨房への潜入に成功した。
広々とした厨房には、昨夜の残りの香草や、樽に入った純度の高い植物油、そしてかまどの端には綺麗な木灰が置かれている。
これだけあれば、石鹸の基礎となるアルカリと油、そして香りの成分は揃う。
「さっそく作ってみよう」
僕は左腕の【天界の端末】を起動した。
青白いホログラム画面が宙に浮かぶ。
【物質合成アプリ】を立ち上げ、素材となる油と灰、水をスキャン範囲に収めた。
このアプリの恐ろしいところは、本来なら何日もかかる「鹸化」のプロセスを、魔力というエネルギーを消費することで一瞬で終わらせてしまう点だ。
【素材の分子構造を再配列します】
【pH値を調整……弱酸性に設定】
【香料成分(ローズマリー近縁種)を抽出・添加】
ホログラム画面のプログレスバーが一気に右へと伸びていく。
数秒後、淡い光と共に、僕の手の中にあった木製のボウルには、とろりとした琥珀色の液体が満たされていた。
「できた。異世界初の、髪と肌に優しい弱酸性アミノ酸系シャンプーだ」
「わあ……!すっごくいい香り!お花畑にいるみたい!」
リズが目を輝かせてボウルを覗き込む。
前世の記憶を持つ彼女にとって、この世界のギシギシする木灰の石鹸は、拷問に等しいものだったに違いない。
さっそくこれで髪を洗おうとボウルに手を伸ばしたリズだったが、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「ねえ、アレン。これ、シャンプーだけだよね?」
「え?ああ、そうだよ。これだけでも汚れは綺麗に落ちるし、ギシギシしないはずだぞ」
僕が答えると、リズは信じられないものを見るような目で僕を指差した。
「アレンのバカ!乙女の髪をなんだと思ってるの!」
「な、なんだよ急に」
「シャンプーで汚れを落とすのは当たり前。でもね、洗った直後の髪はキューティクルが開いて無防備な状態なの!そこに蓋をして、栄養を閉じ込める『リンス』か『トリートメント』がないと、完璧なサラツヤ髪にはならないの!」
リズの言葉は、まるで熱血教師のようだった。
「さらに言えばね、お風呂上がりの肌も同じだよ。石鹸で洗っただけの肌は乾燥の危機に瀕してるの。だから『化粧水』でたっぷりと水分を補給して、その後に乳液で蓋をするのが女子高生の常識でしょ!」
「いや、前世の僕は男子高校生だったから、そこまで詳しくないんだけど……」
「とにかく!シャンプーだけじゃダメ。絶対ダメ。リンスと化粧水もセットで作って!」
5歳児の可愛らしい顔で、しかし中身は美容に妥協を許さない女子高生の執念を燃やして、リズが僕に迫る。
なるほど。
確かにスローライフの資金稼ぎとして貴族の女性に売り込むなら、ラインナップは多い方がいい。
「美容3点セット」として売り出せば、利益は何倍にも跳ね上がるはずだ。
「わかった、わかったよ。作ればいいんだろ」
僕は苦笑しながら、再び【物質合成アプリ】の画面に向き直った。
リンスの役割は、髪の表面をコーティングして指通りを良くすることだ。
植物油の成分をさらに細かく分解し、シリコンの代わりとなる天然のコーティング成分を合成する。
さらに化粧水は、純水に植物由来の保湿成分を限界まで溶け込ませて作り上げる。
僕の理系魂が刺激され、アプリのパラメータをいじる指先が自然と速くなった。
ついでに、僕の持っている「魔力」をほんの少しだけ成分に定着させてみる。
細胞の活性化を促す、微弱なヒール魔法のような効果を期待してのことだ。
【合成完了:ボタニカル・トリートメント】
【合成完了:高保湿・魔力付与ローション】
「お待たせ。リズのご要望通り、完璧な美容セットの完成だ」
「やったあ!アレン大好き!ちゅっ!」
「うおっ!?」
歓喜したリズが僕の頬にキスをし、ボウルと陶器の小瓶をひったくるように抱えて、厨房に併設されている使用人用の洗い場へと駆けていった。
取り残された僕は、熱くなった頬を押さえながら立ち尽くす。
(中身は高校生だって分かってるのに、無防備すぎるだろ……)
心臓の音がうるさい。
前世からずっと好きだった相手からの不意打ちは、5歳児の小さな心臓には刺激が強すぎた。
◇
それから三十分後。
朝日が完全に昇り、厨房の外から鳥のさえずりが聞こえ始めた頃。
「アレン、お待たせ!」
洗い場から戻ってきたリズを見て、僕は文字通り息を呑んだ。
「……嘘だろ」
そこには、文字通り「光り輝く」美少女が立っていた。
もともと綺麗だった黄金色の髪は、乱反射するほどに磨き上げられ、頭のてっぺんにはくっきりと「天使の輪」が浮かんでいる。
指がスッと通るようなサラサラの質感は、遠目からでもはっきりと分かった。
そして何より、肌だ。
化粧水によってたっぷり水分を補給された白い肌は、まるで剥きたてのゆで卵のようにつるつるで、内側から発光しているような透明感があった。
ほんの少しだけ混ぜた魔力による活性化効果が、見事に機能しているらしい。
「どうかな?前世の私より、ずっと髪の毛綺麗になった気がするんだけど」
リズが嬉しそうにその場でくるりと回る。
サラリと舞う金髪から、ローズマリーの爽やかな香りが漂ってきた。
「ああ……すごく、綺麗だ。見惚れるくらいに」
僕が正直な感想を漏らすと、リズの顔がまた真っ赤に染まった。
「も、もう!アレンがサラサラじゃないと嫌だって言うから、お願いしたんじゃない!」
照れ隠しのように僕の腕をポカポカと叩くリズ。
その手触りすら、以前よりすべすべになっている気がした。
これなら絶対に売れる。
辺境伯領の特産品どころか、王都の貴族女性たちが血眼になって欲しがるレベルのオーパーツだ。
僕たちが大成功の予感に胸を躍らせていた、その時だった。
「まあ……!あなたたち、こんな朝早くから厨房で何をしているの?」
背後から、優しくも威厳のある声が響いた。
振り返ると、そこには豪華なナイトガウンを羽織った美しい女性が立っていた。
僕の母親であり、この屋敷の女主人である辺境伯夫人、エレノアだ。
朝のお茶を淹れさせるために、直接厨房へやってきたらしい。
「お母様!えっと、これは……」
僕が言い訳を考えようと口を開きかけた瞬間。
エレノア母さんの視線が、僕の隣にいるリズに釘付けになった。
「リズちゃん……?え、嘘、どういうこと?その髪……そのお肌……!」
母さんの目が、これ以上ないほどに見開かれる。
震える手で自分の少し乾燥した頬に触れ、そしてリズの圧倒的な透明感を持つ肌を食い入るように見つめた。
「信じられないわ。昨日まで少し日に焼けていたはずなのに、まるで真珠のように輝いているじゃない!髪なんて、絹糸よりもしなやかだわ!リズちゃん、一体どんな魔法を使ったの!?」
女性としての本能が刺激されたのか、母さんは凄い剣幕でリズに詰め寄った。
リズは助けを求めるように僕を見る。
僕は小さく頷き、これはチャンスだと判断した。
「お母様。実はそれ、僕が作ったんです」
「アレンが?これを?」
「はい。火の精霊さんが教えてくれた『美の秘薬』です。お母様にも、プレゼントしようと思って」
僕が陶器の小瓶を差し出すと、母さんはひったくるようにそれを受け取った。
ふたを開け、手にとった化粧水を頬に押し当てる。
次の瞬間、母さんの口から言葉にならない悲鳴のような歓喜の声が上がった。
それは、辺境伯領に未曾有の「美容革命」が巻き起こる、決定的な合図だった。




