第3話 5歳児の悪徳商法と、辺境から始まる美容革命
「こ、これは……何という事なの……!」
エレノア母さんの震える声が、早朝の厨房に響き渡った。
僕が手渡した陶器の小瓶。
その中に入っていた『高保湿・魔力付与ローション』を数滴、母さんは自分の頬に馴染ませたのだ。
結果は劇的だった。
三十代半ばを迎え、辺境の乾燥した気候による肌荒れと小じわに悩み始めていた辺境伯夫人の肌が、文字通り一瞬で水を弾くような弾力を取り戻したのである。
僕が微量に付与した魔力が細胞を活性化させ、植物由来の保湿成分が肌の奥深くまで浸透した証拠だ。
「信じられないわ。まるで十代の頃に戻ったみたい。お肌が、お肌が内側から発光しているわ!」
母さんは何度も自分の頬を触り、その吸い付くような感触に涙ぐんですらいた。
女性の美への執念は、異世界でも現代でも変わらないらしい。
隣にいるリズも「でしょでしょ!」と自分のツヤツヤの金髪を揺らして得意げになっている。
「アレン。これを火の精霊が教えてくれたと言ったわね」
「うん、そうだよ」
「作り方は、あなたしか知らないのね?」
「僕が精霊さんにお祈りしないと作れないんだ」
母さんの目の色が完全に「領主の妻」のそれに変わった。
彼女は僕の両肩をガシッと掴むと、有無を言わさぬ迫力で言い放った。
「すぐに応接室にいらっしゃい。お父様も呼ぶわ。これは辺境伯家を揺るがす、特大の案件よ」
母さんの行動は早かった。
朝食の時間を待たずして、僕とリズは屋敷で最も豪華な応接室のソファに座らされていた。
向かいには、寝巻き姿のまま叩き起こされたダグラス父さんと、すっかり若返った肌を輝かせるエレノア母さんが並んでいる。
「……なるほど。アレンが精霊の啓示を受けて生み出した『美の秘薬』か」
父さんは腕を組み、テーブルの上に置かれたシャンプーと化粧水のセットを真剣な顔で見つめていた。
昨日、僕がレッドベアを瞬殺した(と勘違いしている)一件があるため、父さんは「精霊の啓示」という言葉を完全に信じ切っている。
「あなた。これは我が領地の特産品どころか、王国の歴史を変える代物ですわ。どんな宝石よりも、貴族の女性たちはこれを欲しがります」
「うむ。だが、アレンにしか作れないとなると、量産は厳しいのではないか?」
父さんの懸念はもっともだ。
僕がいくら【物質合成アプリ】を使えるとはいえ、毎日毎日シャンプーを作り続ける工場長になるつもりは毛頭ない。
僕の目的はあくまで、リズとの自由なスローライフなのだから。
僕は5歳児の無邪気な顔を作り、用意していた提案を口にした。
「お父様、お母様。僕が精霊さんにお願いして『もとになるお水』を作るよ。それをお水や油で薄めたら、いっぱい作れるんじゃないかな?」
僕の提案は、要するに「原液」の提供である。
僕の魔力を込めた超濃縮の美容原液を月に数回合成し、あとは領地の工房で一般の職人たちに調合・瓶詰めさせればいい。
それなら僕の負担はほとんどなく、大量生産が可能になる。
「なんと……!それなら領内の工房をフル稼働させられるぞ!」
「素晴らしいわアレン!あなた、本当に天才ね!」
両親が手を取り合って喜んでいる。
よし、ここからが本題だ。
僕はソファからぴょんと飛び降りると、両親の前に立って可愛らしく首を傾げた。
「あのね、僕からお願いがあるの。この秘薬を売ったお金の半分を、僕の専用の口座に入れてほしいんだ」
「アレンの口座に?お小遣いにしては、莫大すぎる額になるぞ」
父さんが驚いたように目を丸くする。
そこで僕は、とっておきの「泣き落とし」を発動した。
前世で妹にケーキを強請る時に使っていた、上目遣いの応用技だ。
「僕、三男だから……大きくなったら、お兄ちゃんたちの邪魔にならないように家を出なきゃいけないでしょ?その時に、リズと一緒に生きていくためのお金が欲しいの」
僕の健気すぎる言葉に、応接室の空気が一瞬で凍りついた。
次の瞬間。
「おおお、アレン!なんという優しい子だ!兄たちのことまで考えて……!」
「うっ、ううっ……アレン、不憫な子!あなたを追い出したりなんて絶対にしないわ!」
ダグラス父さんは号泣し、エレノア母さんは僕を抱きしめて泣き崩れた。
(よし、完璧な交渉成立だ)
僕の背後で、リズが「この悪徳商人め」と言わんばかりのジト目を向けていたが、僕は気にせず心の中でガッツポーズを取った。
こうして、僕とリズは「領地の一角にある専用の実験室」と「莫大な不労所得」という、スローライフにおける最強の初期装備を手に入れたのである。
◇
それから一ヶ月後。
エレノア母さん主催のお茶会が、辺境伯家の庭園で盛大に開かれた。
招待されたのは、領内や近隣の有力貴族の夫人たちだ。
お茶会の名目は「新作の美容品のお披露目」だったが、結果は僕の予想を遥かに超える大騒動となった。
「エレノア様!あなた、一体どんな魔法を使われたの!?お肌が二十代の頃のようにピカピカじゃないの!」
「それに、あちらにいらっしゃる騎士団長のお嬢様……リズ様でしたか?あの神々しいまでの髪の艶は異常ですわ!」
夫人たちは、母さんとリズの圧倒的な美貌を前に発狂寸前だった。
中には興奮しすぎて扇子をへし折るご婦人もいたほどだ。
そこで母さんが満を持して『天使の雫』と名付けられたシャンプーと化粧水のセットを発表した。
「これは我が辺境伯家が精霊の加護を得て開発した、特別な美容液ですの。月に十セットしか販売できませんが……」
「言い値で買いますわ!金貨百枚でも二百枚でも出します!」
「ず、ずるいわ!私だってそれくらい出せます!我が伯爵家の名にかけて、一番の予約を!」
お茶会はもはやオークション会場と化していた。
僕とリズは庭の茂みの陰からその光景を眺めながら、二人でハイタッチを交わした。
これで僕たちの将来の資金は完全に安泰だ。
そして、この熱狂は辺境伯領だけに留まらなかった。
行商人や貴族のネットワークを通じて、噂は風のように王国中に広がっていった。
『アーゼル辺境伯領に、若返りの秘薬があるらしい』
『それを生み出したのは、精霊に愛された神童だそうだ』
『神童の傍らには、天使のように美しく、恐るべき力を持つ令嬢が控えているらしい』
尾鰭に背鰭までついた噂話は、やがて王都の奥深く、王城の姫君や公爵家の令嬢たちの耳にまで届くことになる。
美を求める権力者たちが、辺境の神童に興味を抱かないはずがなかった。
しかし、当時の僕とリズは、そんな王都の不穏な動きなど知る由もなかった。
僕たちは手に入れた莫大な資金と自由な時間を使い、スローライフを満喫することに全力を注いでいたのだ。
【天界の端末】のアプリ機能を検証し、領地の農業の土壌を【成分解析】で劇的に改善させたり。
魔力コントロールの訓練と称して、リズと一緒に領地周辺の森へ入り、AランクやSランクの魔獣をただの「素材」として蹂躙したり。
リズの異常な身体能力は日を追うごとに人間離れしていき、僕の科学魔法もアプリのアップデート(謎の機能拡張)によって凶悪さを増していった。
僕たちは最強の相棒として、そして誰よりもお互いを理解するパートナーとして、かけがえのない時間を重ねていった。
◇
そして。
平和で甘い準備期間は、あっという間に過ぎ去った。
僕とリズは、12歳の誕生日を迎えていた。
「アレン、準備できた?今日は教会に行く日だよ」
僕の部屋の扉を開けて、リズが顔を出した。
12歳になった彼女は、幼さを残しつつも息を呑むほど美しい少女へと成長していた。
黄金色の髪は相変わらずサラサラで、騎士団の訓練着を着ていても隠しきれない女性らしい曲線が育ち始めている。
「ああ、今行くよ」
僕は鏡の前で自分の襟元を正した。
今日は、この世界のすべての子供が受けなければならない「ステータス判定(成人の儀)」の日だ。
教会の水晶玉に触れ、自分の魔力量や適性職業を神に判定してもらうという、ファンタジーの王道イベントである。
「リズ、打ち合わせ通りにいこう。僕たちは絶対に『普通の村人』か『下級剣士』あたりのステータスでごまかすんだ」
「わかってるって。アレンの【偽装アプリ】で、水晶玉の表示を書き換えるんでしょ?」
「その通り。目立ったら王都の学園に強制入学させられるからな。僕たちのスローライフを守るための、最大の正念場だ」
僕は左腕のスマートウォッチを軽く叩き、気合を入れた。
僕たちの実力が世間にバレるわけにはいかない。
しかし、僕はこの時、異世界の「神」というシステムを少しだけ甘く見ていた。
この数時間後、僕とリズが教会の水晶玉を木っ端微塵に粉砕し、王国中を震撼させる称号を授与されてしまうことなど、この時の僕は想像もしていなかったのである。




