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第七話

   7


 なだらかな丘陵を、獣の親子が走っている。先を行く父親の尻尾を子どもが必死で追いかけ、風を切る。凛子はカメラのシャッターを切りながら、風に乗って漂う花のにおいを嗅いだ。


 ホ村での調査を終えたあと、凛子は花研から放棄地帯での長期活動の許可を得た。かつて文明があり、いまは獣に奪われて自然にかえった地域。そこには獣たちを含む独自の生態系が存在する。人間がいる場所で獣について語ろうとすれば、いやでも人間対獣という構図になる。人間が完全にいなくなった土地だからこそ、獣がどういった形で自然に組みこまれているかを客観的に観察できるはずだ。


「いい写真は撮れたか?」


 背後から声をかけられ、驚いて振り返る。西側を探索していたはずの直毘がいつの間にか戻っていた。


「もう、いたならいたって言ってよ」


 悪い、という直毘に凛子は頬を膨らませた。


「大人と子どもの個体が歩いてる。ほら、毛の色と花の位置がまったく同じでしょう。たぶん親子だと思う」

「狩りのやりかたを教えているのかもな」


 直毘は望遠鏡で親子を観察しながらいった。


 結局、直毘は申請書にサインをしてくれた。妹がこの土地を離れたからもう自分がここにいる必要はない、というのが彼が同行を決意した理由だった。むろん、彼やその家族をないがしろにしていた村から離れたいという理由もあったのだろうが、それを最後まで語らない頑なさもまた彼の良さだと思った。


 どうせ調査をするならとことん獣のことを知れる場所がいい。二人でそう話し合って、放棄地帯を調査先に選んだ。凛子としてはときどき人里が恋しくなるが、直毘がそばにいてくれさえすれば寂しくはなかった。


 その夜、拠点にしている洞穴で直毘は地図を広げた。


「明日はもっと東のほうを調査しようと思うんだ」

「あのあたりには熊が出没したんじゃなかったっけ?」


 凛子はコーヒーを一口すする。花研からの定期的な物資補給まであと一週間ある。だからこれは少し薄めに淹れた大事な一杯だ。


「その件だが、今日西側で熊を発見した。大きさや傷痕の位置が情報と一致しているから、同一の個体で間違いないと思う」

「西に移動したのね。なら、東のほうが逆に安全かしら」

「まあ、いずれにしても注意は必要だろうけどな」


 地図にペンで文字を書き加える直毘の姿を、凛子は微笑ましく眺める。焚き火に照らされた横顔は、村にいるときよりもずっと生き生きとしている。一緒に調査に出るようになって三年になるが、直毘はずいぶんと変わった。口数も多くなったし、笑うことだってずっと増えた。ときどきペンダントを眺めながら物思いに耽るときはあるが、そういうところが一つくらいあったほうが、かえって彼らしいと凛子は思う。片付けが苦手なところは直してほしいけれど。


 明日の調査方針の打ち合わせを終えたあと、手持ちぶさたにしていた凛子を直毘が呼んだ。


「なあ、こっちに来て見てみろよ」


 ブランケットを肩にかけて彼のところへ向かった凛子は、頭上に広がる満天の星を見上げて驚きの声をあげた。


「きれいね」

「放棄地帯だからこその景色だな」


 星空をうっとりと眺める直毘の胸元に、青い宝石が揺れていた。


「ねえ」


 私と一緒に来てよかったと思ってる?


 そう訊ねようとしたそのとき、直毘は凛子を見つめて笑った。


「凛子と一緒に来てよかったよ」

「そう……」


 凛子はなぜだか泣きそうになるのをこらえた。


「その言葉が聞けてよかった」


 丘の麓から風が吹き上げ、ブランケットが肩からずり落ちた。直毘はそっと凛子の肩に手を回し、ブランケットをかけ直した。


「寒くないか?」

「大丈夫、と言いたいところだけど、ちょっと寒いかも」


 凛子は直毘にそっともたれかかった。互いの手と手が重なり、薬指の指輪がわずかに触れあう。



      了

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― 新着の感想 ―
獣化は瘴気のせいなのか、生き残るための変化か…… 花を咲かせた妹が、兄の記憶を失くしてなくて良かった。人間との共生の道は難しいだろうけれど、0ではないところに希望がありますね。 孤独ではなくなったおぢ…
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