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「恐れながら、その点については私からご説明差し上げます!」
じっと機会を窺っていたかのようにタイミングよく、控えていたアンが横から手を挙げた。
「ルシール様が悩んでらしたのはまさに夜会での一件について。アロイス様が何を思ってあの発言をなさったのか、ということです。」
ですよね? と言わんばかりに主人の顔をぐるんと覗き込む。
視線に込めたその思いは無事に届いたようで、ルシールはこくこくと人形のように首を縦に振っている。
更に続くアンの弁明には、演劇のような情感がたっぷり含まれている。
「アロイス様へ直接お話される事をおすすめしましたが、ご心労をかけたくないからと考えてらしたのです……。それはもう思いにふけっていらっしゃいました」
よよよ、と泣き崩れんばかりのアンの言葉に納得すると、アロイスはルシールの顔を覗き込む。
「なるほど。例の『おしゃべり嫌い』という私の発言の真意について知りたかった……と。そういうことかな」
「……は、はい。もしそうなら、これまで大変なご無理を強いていたのかと思って」
「ルシール!」
「ひゃ」
アロイスはルシールの両肩をしっかりと押さえると、ぐっと顔を近付けて優しく諭す。
「無理だなんて、これまでそんな風に感じたことは一度だってないよ。いつもルシールのはつらつとしたおしゃべりと笑顔に癒されていたんだ。素敵な淑女となった今だって、君の存在が私の心をがっちり掴んで離さないんだ」
「は、はい」
離さない、とばかりにがっちり掴まれたルシールは、またしても至近距離でアロイスの美しい顔と対峙した。いいかげん失神してしまいそうなので、彼の長いまつげに視線を集中させることにする。
「君を不安にさせたことは、私の不徳の致すところだ。もう二度と君をそんな気持ちにさせない。……これからも、私の側に居てくれないだろうか」
アロイスの懇願するような謝罪がルシールの胸が締め付ける。
ルシールが一人で騒いだだけで、彼は少しも悪くないのだから。
彼にそんな顔をさせてはならない。ルシールは顔を上げ、彼の眼を正面から捉えた。
「アロイス様は何も悪くありませんわ。謝るのは私の方です、本当に申し訳ありませんでした。アロイス様がよろしければ、これからも、よろしくお願いします……」
「良いに決まっているよ、良かった……」
安堵して脱力したアロイスの声に、ルシールの気持ちもほぐれていく。
秘薬を使う事も無くなったし、おしゃべりが嫌いなアロイスもはじめからいなかったのだ。気持ちにあわせてゆっくりと頬が緩み、口許も緩む。
「私がはじめから秘薬などに頼らずに、きちんとアロイス様にお気持ちを聞いていれば良かったのです。一度考えましたが、私に優しくして下さるアロイス様はきっと本意を隠すだろうと思って……。そこで秘薬に頼ろうと考えたのです」
「秘薬の本は学園の図書室の棚に入っていました。意外だったのが『イバラのトゲ』や『ユニコーンの角』なんていう材料ではなく、普通のクッキーと同じ材料でしたの。そういえば、お菓子研究家の方が著者なんですが、その方も魔女なのかしら……」
「私は……元よりお側を離れるつもりはありませんでした。アンはそんなことないって言ってくれましたが、もしアロイス様がお家の事業のために政略的な愛のない結婚をお望みならばそれでもよかっぱ」
「ルシール様、もうその辺で」
緊張が緩んだおかげで、機関銃の回りも滑らかになる。
ようやく一件落着したかと思えば、一番聞かれたくない言葉が飛び出してきた。アンは咄嗟に主人の口を塞いで強制的におしゃべりを停止させる。
いっこうに動きのないアロイスはというと、口角をにんまりとつり上げた、とてもいい顔で笑っている。
しかし、その瞳の奥に感じるのは喜びでも威圧でもなく、欲望のような、執着のような――――
「愛の……ない?」
感情の見えない平坦な彼の声に、アンは主人の口からゆっくりと手を離す。降参の意思を示すように両手をあげて、じりじりと後退していく。
枷が外れたルシールはふぅっと息を吐き出して、止められていた言葉を吐き出した。
「おそばにいられるなら、事業のための婚姻でも……、あら、アロイス様……そのお顔は……?」
「なるほど……よく、わかった」
アロイスはルシールの肩から手を離す。
少しだけ考え込んだ後で、先程のいい笑顔を見せてルシールへと向き直った。
「ルシール、私はいろいろと間違っていたらしい。君の言う『寡黙で落ち着いた余裕のある男』であろうとしてきたが、それだけではどうも足りないようだ」
「はい?」
「……それどころか、そこが今回の原因のひとつなのかもしれないね。なんにせよ改める必要があるな……」
最後にはブツブツと独り言のように呟くアロイスに、ルシールはなんのことだかさっぱりだ。うーんと首を傾げていると、再び横から懇願の声が上がった。
「アロイス様、ルシール様は無垢なお方です、どうかお手柔らかに!」
「言われずともわかっているよ、アン。 ……君には感謝を伝えなければならないね。どうやら私のルシールは、君にだけ真意をうち明けるほど信頼を寄せているようだ。私のルシールの最大の理解者、ということかな? まったく妬まし…………素晴らしいよ」
妬ましいって言った! 絶対言った!
アンはアロイスのいい笑顔の意味を正しく理解する。
長い間、2人の様子を見てきたアンは全てを知っていた。
アロイスの口数が少ないのは、ルシールの好みの寡黙で落ち着いた余裕のある男を実践した結果だということを。
ルシールへと向けられるアロイスの眼差しは、愛情と独占欲の塊だということを。
なぜルシールは気がつかないのかと声を上げたくなるほど、周りにだだ漏れなのだ。
まさか主に付き従う侍女にまで悋気を起こすとは思わなかったが、それをさらりとかわしてこそデキる侍女というもの。アンはキリッとデキる顔でアロイス達に頭を垂れる。
「感謝など必要ありません、おそばで仕える事こそが私の誇りですから。最大の理解者というお言葉だけありがたくいただきます」
「そう……?」
一言余計だったかもしれない。
ふとよぎる剣呑な気配に、アンは失敗を悟った。
そこに追い討ちをかけるように、アロイスが言葉を繋ぐ。
「では、片時もルシールの側を離れようとしない仕事熱心な君に、私からサプライズプレゼントだよ! 家の中でゆっくり休んで貰えるようお茶とお菓子を用意したよ!」
「い、いえ私は」
「ね、ルシールもそう思うだろう? 私達がお茶をしている間、アンにも休んでもらおう?」
侍女ですから、という呟きをしっかり掻き消すように、アロイスがルシールに話を振った。こんな提案、答えなど聞かずとも決まっているのに。
「はい! とっても素敵なご提案です! 今回もだけど、アンにはいつも私のわがままに付き合わせてしまっているから、今日くらいは私の事は気にしないで、ゆっくりさせてもらったらどうかしら?」
「やっぱり……」
キラキラと目を輝かせながらアンに休憩を促すルシールは、アロイスの隠された思惑など想像もしないだろう。
お嬢様は真っ直ぐすぎる、アンは深く深く息を吐いた。
「もう準備はできている。ヘンリーに案内させるよ。ヘンリー、ルシールの大切な人だ。くれぐれも失礼のないように、きっちりエスコートしてくれ」
「かしこまりました」
アロイスは畳み掛けるようにアンの休憩への地固めをする。
有能そうな黒髪の侍従ヘンリーはモノクルの奥の眼をギラリと光らせて、主に負けないほどの胡散臭い微笑みをアンへと向けた。
ここまでがっちりと策を遂行されては、一介の侍女であるアンにはどうしようもできない。
ルシールの心配はあれど、自分の婚約者がどんな人物なのかをより深く知ってもらうためにもいい機会なのだと思うことにしよう。
諦めの表情でため息を漏らし、ついにアンが頷いた。
「…………、では、お言葉に甘えます。アロイス様、くれぐれもお嬢様の事はお願い致します。後生ですから」
「君は心配性だな。大丈夫、今さら事を急くつもりはないよ」
「はぁ……」
深くため息をつきながらヘンリーに連こ……エスコートされるアンを笑顔で見送ると、アロイスが右手を差し出した。
「さぁルシール、お願いだ。私にそのクッキーを食べさせてはくれないか?」
「ええ!!」
アロイスはさして何でもないことのようにさらりと主張する。
ルシールにとってその提案は思いもよらない事で、面食らって目を見開いた。
「い、いけません! これはただのクッキーではなく、魔女の秘薬で……」
「……わかっているけど……ルシールがはじめて作ってくれたクッキーだから、絶対に食べたい」
「アロイス様……」
「材料は普通のクッキーと変わらないのだろう? ならば大丈夫。それに、例え昏倒しようがミミズになろうがオケラになろうが、君の初めての手作りお菓子を食べられるなら些末な事だよ」
「……私が言うことではありませんが、一応安全は確認しましょうね?」
アロイスはその言葉を否定も肯定もせず、にっこりと微笑む。
秘薬クッキーなんて、と怒るどころか、それを食べたいというアロイスの表情は穏やか……だが、少しだけいつもと違う気がする。
(そんなに甘いものがお好きだったなんて……かわいい……好き……)
その眼差しに執着を感じたルシールは、またしてもこれまで見えなかった彼の一面を知った。感慨深く頷くルシールを見て、アロイスはへにょ、と困り顔になる。
「……ルシールの作ったクッキーが食べられると思うと嬉しくて、ついはしゃいでしまった。……はしゃぐ私は好きじゃない?」
「ち! 違います! まだまだ私の知らないお顔があるのだと、不思議に思っていただけです! どんなアロイス様もまるっと全部大好きです!」
「ふふ、私も同じだ。君の全てが大好きだよ」
不意に頭の中の言葉が全部出てしまい、赤面するルシールを見て、アロイスがボソリと呟いた。
「…………これを口にしたら、これまでに見せたことのない私が現れてしまいそうだ」
「? え?」
「いいやなんでもないよ。さぁ、その美味しそうな包みを解いて、お茶を淹れ直してもらおう。すっかり冷めてしまったからね」
いつも通りの穏やかな表情に戻ったアロイスは、遠くに控える侍女に声を掛けた。
彼の言葉の意味はわからなかったが、ルシールはまだ見ぬアロイスの姿を思い浮かべて、幸せそうに微笑むのだった。
これにて完結となります
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