深海のスナイパー(三十六)
戦艦大和の艦橋は眺めが良い。波が高ければ揺れも酷いが、今日はベタ凪ぎ。波がない。
双眼鏡を覗き込んで見える敵の駆逐艦は、船首から激しく波飛沫をあげている。津軽海峡は、西から東へと潮目がある。それに逆らって航行しているからだろう。
迎え撃つのに逆方向に航行している大和は、海流に乗ってスイスイ進む。戦況と同じく涼しい顔だ。
石井少佐は、艦長席に座る片桐大佐の隣で、やはり涼しい顔をして立っていた。そんな彼は『作戦参謀』という肩書を持っている。
だから、一応『専用の席』もあるのだが、声が小さいのか、ヒソヒソ話が好きなのか。艦長の隣で直接指示を出していた。
「もう敵は、戦闘に入ったとみて、宜しいのではないでしょうか」
ジグザクに航行を続ける三隻の駆逐艦を見て、艦長が参謀に聞く。これで何度目だろうか。
「まだだ」
何がだ? 本当に『?』しか出て来ない。しかし『作戦参謀の指示に従え』は軍令である。それに従うのみだ。
「作戦参謀殿は、陸軍であらせられますから」
「それは関係ない」
艦長の助言にも石井少佐は揺るがない。バッサリと切って捨てた。
石井少佐は、陸軍・防疫給水部・第七百三十一部隊の部隊長であらせられ、それなりに地位も名誉もある方では、あるのだが。
ここは海の上。カノン砲を撃つのとは、勝手が違うのだ。
「駆逐艦A、B、Cが、魚雷を発射しました」
ほら、言わんこっちゃない。先手を打たれてしまったではないか。こっちはさっきから、主砲の準備をしていたのにも関わらずだ。
そう思った艦長は、渋い顔をする。
「潜水艦の位置は?」
「把握しております。方位2ー7」
「あぁいい! 把握してるならっ」
作戦参謀は艦長の言葉さえも遮る。
石井少佐は、方位を数字で『言うのも』『聞くのも』嫌いだ。
要するに、慣れていないのだ。
「じゃぁ、そっちに魚雷、撃ち込んで。援助で」
「は? イー407に向けて、ですか?」
艦長は『どんな作戦』なんだと思って、聞き直す。
今、目の前で、三隻の駆逐艦から、合計何発の魚雷が、発射されたと思っているんだ? 見ていなかったのか?
石井少佐は、相変わらず『涼しい顔』である。何も答えない。
「本艦に、魚雷はありません」
「そうなの?」
石井少佐は不思議そうな顔をして、首を捻る。
艦長は思う。例えあったとしても、僚艦に撃ち込めるものか!
お前、イー407に『何人』乗っていると思っているんだ?
「はい」
だから、本当に魚雷がない体で頷く。
「あっちは?」
石井少佐は駆逐艦の磯風を指さした。
こちらから、その艦橋の様子までは伺えないが、暇そうに大和のやや後方に控え、指示を待っている。
「駆逐艦には、ございます」
艦長は渋々答えた。すると石井少佐は、満足そうに頷く。
「だよね」
「はい。潜水艦を『駆逐する為の艦』、ですから」
艦長が作戦参謀に説明を加える。念を押すように、だ。
「じゃぁ、そっちに指示して」
「イー407に向けて、で、ありますか?」
再び艦長が聞く。
すると、今まで涼しい顔をしていた石井少佐の顔が、急に険しくなり、今までで一番大きな声を張り上げる。
「軍令順守!」
艦長は副長の山本少佐に、磯風へ連絡するように指示を出した。
そうするしか、なかった。