深海のスナイパー(三十五)
静かになったイー407に、魚雷の推進音だけが響いている。
艦長は読んでいた。
四発の魚雷が扇形に撃ち込まれた中、一発だけが少し角度がついていることを、見逃さなかった。
一番左の一発、それは標的を探しながら進む音響魚雷だったのだ。だから近所にいた蒼鯨参番に、ちょっと寄り道をした。
しかし蒼鯨参番が他の魚雷で轟沈したので、再びイー407に向かったのだ。
そんな風に頭の中で立体戦闘図を描いていた艦長は、ソーナー係が報告した『魚雷、四、そ、それ以上です』についても、聞き漏らさなかった。
その後報告された魚雷の位置が四発分であっても、そちらから、まだ何発かが来ることは十分予想できた、という訳だ。
そしてそれが、音響魚雷であることも、十分予想できた。
「魚雷音、弐、距離五百、方位、1ー2ー0」
だから、ソーナー係がそんな報告をしても冷静でいた。予想通りの方向から魚雷が来ただけだ。
既にそちらには、こちらからも魚雷を撃っている。
「魚雷同士、衝突、爆破」
ソーナー係がそう言って、一瞬ヘッドセットを耳から離した。渋い顔だ。よっぽど煩かったのだろう。
しかし、直ぐにヘッドセットを装着する。
「魚雷音なし」
まだ魚雷が爆発した影響で、海水が攪拌されているのだろうが、それでも魚雷音がないのは判るようだ。
指令所に、安堵の空気が漂い始める。
そうだ。潜水艦だって海水さえなければ、割りと過ごし易い場所なのだ。
ちょっと淀んだ空気が独特の匂いを醸し出しているが、それも一興。慣れてしまえばどうということもない。
これで非番の時は仲間とトランプでもやって、楽しく過ごそうじゃないか。
「爆発音、多数」
「何の音だ?」
ソーナー係からの突然の報告に、艦長が思わず聞き直す。ソーナー係は首を傾げ、その爆発音が何なのか考えている。
「方位、0ー3ー0、0ー7ー0、1ー2ー0から。
海上からのようですが」
そう言って黙る。指令所が、再び静かになった。
頭の中で立体戦闘図を描いていた艦長には、その爆発音が何なのか、判った。
「駆逐艦A、B、Cに、着弾したのか?」
「大和の主砲ですか? ミサイルですか?」
限りなく正解に近い事実を言いながら、首を捻る艦長に副長が聞いた。艦長はまだ考えている。
現代戦に於いて艦船同士の戦いは、普通、対艦ミサイルの撃ち合いだろう。
まぁ、駆逐艦なら魚雷もある。
主砲? そんなものをぶっ放しても、いきなりは当たらない。
それが、三隻同時に命中した、だと?
「敵駆逐艦、全て沈みます」
ソーナー係も不思議そうに振り返り、艦長を見た。
「あぁ、判った」
そう言って艦長は、不思議に思いながらも、立体戦闘図から駆逐艦A、B、Cを抹消した。
しかし、とにかく、まぁ、戦闘は終わったのだ。
艦長と副長は笑顔で頷いた。
「魚雷音、距離千五百、方位1ー8ー0」
「有線魚雷装填、壱番、急げ!」
マイクを持った艦長が、思わず叫んだ。
『有線魚雷装填、壱番了解』
報告はいつも通りだ。
「距離、千三百、千二百、千百、真っ直ぐこちらに来ます」
ソーナー係からの報告は続く。
「装填次第、発射せよ!」
『有線魚雷装填、壱番装填完了、発射します』
「メインタンクブロー。浮上! 前進最大戦速!」
「壱番、発射確認」
艦長の指示する声が、いつもより大きい。
しかし、そんなことは些事に過ぎない。指示だって、まだ許容範囲だし、乗組員は艦長の指示を、淡々とこなしている。
乗組員が『聞きたくない指示』というものがある。
それは、原子力潜水艦なら『原子炉閉鎖』であろうが、ディーゼルエンジンの通常型潜水艦であるイー407の場合、それは『全員、対ショック態勢を取れ』かもしれない。
イー407の艦長・上条中佐は、物凄い形相になって方位1ー8ー0の方を睨み付ける。
乗組員が今までに聞いたことのない大声で叫んだ。
「いぃ・そぉ・かぁ・ぜぇぇぇぇっ!」
それが『指示』ではないことに、指令所の全員が気が付く。
そしてそれが、何故か味方の駆逐艦の艦名『磯風』であることも、指令所の全員が理解していた。