深海のスナイパー(三十三)
無音の指令所で、艦長の指示を待つ。艦長が『動くな』と言ったからか、誰も動く者はいない。
いや、そう言う意味ではないはずだ。
機関室では『機関始動』の合図を、今か今かと待っている。
出力八千馬力のディーゼルエンジンは使えないが、おやしお型と同じ七千七百馬力、バッテリーはそうりゅう型と同じリチウムイオン蓄電池を搭載。
葉巻型のようにススイとは行かないまでも、力で押して行けば水中で十五ノットも可能。改装前の倍以上だ。
「プラグ分離しました」
「了解」
オペレータからの報告に、艦長が短く応答する。発射管室への通信に使うマイクは、握ったままだ。
初弾の攻撃後、海が静まるのを待っている。
「蒼鯨の方に、魚雷が逸れました」
海上に浮かび上がるように指示された蒼鯨の七番が、イー407から離れて行く。そのモーター音を追って、イー407に向かっていた魚雷が方向を変え、追い始めたのだ。
指令所に少しだけ安堵の空気が漂う。
そりゃぁ魚雷を正面から撃ち落すより、明後日の方向に逸れてくれた方が良いに決まっている。
「無音航行、第一戦速、方位1ー2ー0」
イ―407がその巨体を東南に向け、動かし始めた。
ゆっくりと海底から離れ、スクリューが回り出す。そして、加速してゆく。
さらば蒼鯨七番。君の犠牲は忘れない。
艦長が心の中でそう思っているかは、定かではない。
「蒼鯨七番に、敬礼」
思っていました。表情も悲観だ。
やはり無人艦であっても、仲間であったのだ。
艦長の号令に、仕事をしながら全員がさっと敬礼した。
最新の設備を整えた蒼鯨と言えど、出せる速力は十ノット。ちんたら走る自転車並みの速度である。
そんな速度で魚雷をかわせる筈もない。緊急用の囮も装備しているが、艦長は『帰投』を命令した。
魚雷の残弾がゼロになった蒼鯨は、今頃鼻歌でも歌いながら、母港を目指して西に向かっているはずだ。
「爆発音。蒼鯨七番、沈みます」
ソーナー係から淡々と報告があって、蒼鯨が沈んだことが判った。しかしもう、それを気にする者は誰もいない。
それは、引き続きソーナー係から報告があったからだ。
「魚雷音、多数、方位0ー4ー5」
それは、駆逐艦Cの艦長が放った、第三攻撃だった。
「最大戦速、方位0ー4ー5」
北東から向かって来る魚雷に対し、艦長は全速力で正面を向けるように指示を出した。ほぼ九十度ターンである。
艦が大きく左に曲がり始めた。
「距離二千、魚雷、四、そ、それ以上です」
ソーナー係の報告に、指令所の一同は艦長を見る。
艦長は、いつも通り笑っていた。