深海のスナイパー(三十二)
「蒼鯨七番からの弐発が、本艦左を通過」
「Aか?」
「はい。駆逐艦Aに向かっています」
「残り弐発は? Bか?」
艦長の問いに、オペレータからの返事がない。しかし、艦長は静かに待つ。
頭の中に、全ての艦船位置、発射された魚雷の位置、向かう方向が三次元的に描かれて、それが刻々と変わっていく。
次の手を打つまでの猶予は、あと三秒。
「駆逐艦Bに弐発。本艦右を通過します」
「了解」
艦長は頷いた。どうやら、スケジュールに間に合ったようだ。
しかし報告によると、どうやら蒼鯨七番は、こちらの思ったようには動いてはくれないようだ。
無人だし、仕方ないのであるが、事前に『戦闘パターン』を入力できるようになっていればあるいは、なんて思う暇はない。
今は戦闘中なのだ。
まぁ、良いではないか。邪魔さえしてくれなければ。
基本蒼鯨からの自動発射は、敵艦のスクリュー音に向かって進む『音波誘導』であるが、自らアクティブソーナーを撃ち、進む方向を決めている。
小さな囮などに、騙されたりはしないだろう。必ずや駆逐艦に命中し、速度低下や次の攻撃を防いでくれる。
今は、その程度の期待に留める。
「正面の魚雷二発と、有線魚雷が接近」
オペレータからの報告を聞いて、艦長は頷く。そろそろ、そんな時間だと思っていた所だ。
実際、海中で二発の魚雷と、一発の有線魚雷が距離五百メートルまで近づいていた。
二発の魚雷は、正確にイー407へと向かっている。
駆逐艦三隻が発したアクティブソーナーは、三角測量の要領で、海中にいる潜水艦の位置を、正確に捉えていた。
その中で、特別に大きな潜水艦に対し『こいつが元凶』と睨んだ艦長が、二発づつ、三段構えの魚雷を発射させたのだ。
「すれ違い時に爆破」
艦長が指示する。オペレータは頷いた。
「了解。距離三百、二百、爆破」
その瞬間だけ、ソーナー係が嫌な顔をする。
「爆破確認」
しかし、仕事はきっちりとしたようだ。いや、仕事はまだ残っている。魚雷が破壊されたかを、確認せねばならない。
「魚雷音なし。後ろの二発が向かって来ます」
「蒼鯨より、七番、八番発射」
「蒼鯨より、七番、八番発射します」
艦長からの指示を受け、オペレーターが、蒼鯨に指示を出す。見えないが、今頃魚雷が駆逐艦Cに向かっていることだろう。
「蒼鯨に浮上指示後、切り離し」
「本艦は?」
艦長の指示に、疑問を投げかけたのは副長だ。オペレータは、艦長の指示を復唱し、淡々と指示をこなす。
潜水艦の乗組員は艦長に命を預け、艦長の指示に従うように訓練されている。そこに『疑問符』を挟む気はない。
「まだだ」
艦長は副長に笑顔で答えた。それでも副長の顔に笑顔はない。
艦長に意見するのは、副長の仕事だ。艦長の意図を乗組員に翻訳したり、言い間違えや勘違いを防ぐ。
「次の魚雷は、音響魚雷だ。動くな」
限りある資源で、敵を葬らなければならない。それは敵さんにしても同じこと。
魚雷一発一億円。国民一人から一円づつ集めたお金を、敵駆逐艦にぶち込むのだ。『食らえ! 一円玉アタック!』これだ。
そんな攻撃が効くかどうかは別として、副長は黙った。艦長の断言に『根拠』はない。それを事前に証明する手段もない。
あえて言うならば、『今まで生き残ってきた』こと。それこそが、潜水艦乗りにとって『根拠』と、言えるものなのだ。