深海のスナイパー(二十八)
海面からの高さ二十メートル。窓はあるが、外気とは遮断された環境である。
先程から艦の左側で、駆逐艦が三隻、右往左往する姿が見える。そんな姿は、水平線の向こうから捉えられていた。
そう。択捉島の単冠湾を出た所から、一メートル単位で。
「この時間に、照明弾なんて使用して、宜しかったのですか?」
「仕方ないだろう」
隅の方で会話している。艦長の隣には『作戦参謀』という肩書の偉い人が、直接艦長に指示をしているのだ。
片目を瞑り、見えないように指さしてそっと呟く。
「あの人が来ると、碌なことがない」
おっと、そんなことを言ったのが、もしも聞こえてしまったら、何をされるのか判らない。
いや、その言い方は正しくない。正しくは『どんな殺され方をするか、判らない』であろうか。
つまり、死ぬのは確定している。
「そろそろ、潜航したでしょうか」
副長が艦長に聞く。とても心配そうな声だ。
「知らん。どうせ敵からは、見えていないのだろう?」
艦長より先に答えたのは『作戦参謀』だ。艦長は大佐で、階級は上なのだが、この『客人』には頭が上がらない。
「気象観測なんて良いから、早く配置に付いてもらいたいものだ」
作戦参謀だけあって、全ての動きを把握しているようだ。
イー407にこの時間、気象省の職員が乗り込むことも。
同じ東京から来たにしても、新宿の陸軍・防疫給水部から来た、第七百三十一部隊の石井少佐は、大手町の気象省・観察局から来た、弓原少尉とは、とても仲が悪いようだ。
それはまるで『死んでしまっても構わない』と、思っている程度に思える。
もちろん面識もないのだろうし、目の前では言わないだろうが。
大和の艦橋にも、刻々と変わる艦船の位置が表示され続けている。
そこには『津軽東』に分類される、八隻の『蒼鯨』もあれば、そこに急いで向かっているであろう、『イー407』の予想位置までも表示されている。
「あまり近いと、主砲は使えません」
「判った」
艦長の仕様説明に、石井少佐は驚きつつも短い返事を返した。顔を見れば『何だ、使えねぇなぁ』と、笑っているのが判る。
今日は『青弾』ではなく『赤弾』を撃てと、艦長に指示をしたのも石井少佐だ。
この『青弾』と『赤弾』は、石井少佐の命名だ。
陸軍の特別列車で輸送される『青弾』の内容は極秘だが、『赤弾』とは昔ながらの『徹甲弾』である。
既に、全主砲に装填済。後は『撃て』の一言で飛んでいく。
「敵さんは、まだ攻撃を開始しないの?」
まるで動きがない。石井少佐が艦長に聞いた。
「どうかね? 駆逐艦はピンでも打ったかね?」
「まだ何もしていません。ジグザクに航行しているだけです」
艦長は磯風からの報告があったのかを聞いたのだが、何もなかったようだ。
「はぁ。ヘリでも飛ばして、索敵開始してくれれば良いのになぁ」
石井少佐は溜息をついてから呟く。
どうやら石井少佐は『敵が先に仕掛けてくる』のを、待っているようだ。
そんな態度に同調する者は、この艦橋にはいない。
艦橋のあちらこちらで、計器を読む振りをしながらの『ヒソヒソ話』が始まっていた。