深海のスナイパー(二十七)
カタパルトに乗せた『晴嵐』を、いつ『海洋投棄せよ』と命令が下るのか。
甲板員はドキドキしながら作業を進めているのだが、艦橋の宮部少佐に慌てる様子はない。
命令だからそれには従う。しかし、まだ操縦席には『全身ポスター』が残されているのだ。
絶対に格納庫まで入れなければならない。
「総員格納庫へ退避。格納庫の扉をロックします」
「良し」
双眼鏡で大和を見ていた宮部少佐が、双眼鏡を降ろして頷いた。そして、名残惜し気に外の空気を深く吸い込む。
本艦は、逃げたりはしない。あの戦闘海域に、再び戻るのだ。
「よし、行くぞ!」
「はっ」
気合を入れて、宮部少佐はハッチを閉じた。もう、大和の照明弾の明かりさえ届かない。
宮部少佐が発令所に行くと、もう状況の確認中だった。
「晴嵐の格納、無事終わりました」
「ご苦労様」
短く報告して、直ぐに盤面に戻る。そこには海上の状況がプロットされていた。
五キロ北に大和。随行艦は磯風のみ。東へ航行中。
対して帝政ロシアは、駆逐艦三隻。西へ航行中。
大和との距離、十五キロ。
きっと津軽海峡に機雷でも仕掛け、強行突破してウラジオストックに向かうのだろう。
休戦はしているが、帝政ロシア側はそれに調印していない。
つまり名目上は『休戦』だが、局所的に言えば、『休戦? 何それ美味しいの?』である。
何十年か前の『現場司令官同士の口約束』が、最後の拠り所。という、今は泥沼の状態である。
「既にジグザグに航行しています」
「大和がか?」
「いえ、敵A、B、Cが、です」
敵駆逐艦には、英語でA、B、Cと命名されていた。ロシア語を話せる人がいないので、それは仕方ないだろう。
「函館の方に行かれたら、厄介ですね」
「それもあり得るな」
休戦の条件として名目上『北海道は割譲』したので、津軽海峡の北海道側は、ロシア艦船が通っても良いはずだ。
しかし、北海道民を『勝手に帝政ロシア国民』とみなし、誰彼構わず拉致されて行くのを、黙って見過ごすことはできない。
函館にもまだ多くの日本人が『名目上』は残っているのだから。
「一番近い『蒼鯨』の場所は、この辺か?」
艦長の上条中佐が、海図を指さした。そして副長の宮部少佐を見る。見られた宮部少佐は頷いた。
「はい。プラグ六は『青弾』です」
そう答えると、上条中佐の顔が曇った。
「プラグ五は? 『赤弾』?」
そう言って、海図の違う所を指し直した。
「その通りですが、良いのですか?」
宮部少佐の問いに、上条中佐は答えない。『津軽東』を凝視して、考えているようだ。
上条中佐が聞く。
「残弾は?」
宮部少佐は、手書きの一覧を見ながら、艦長に答える。
「プラグ五は、六発です」
「自動発射は?」
無人艦『蒼鯨』は、アクティブソーナーを受けると、自動で応戦してしまう。それの確認だ。
「報告されていません」
直近の定時連絡で、それは確認済だ。
「隣のプラグ参は?」
しかし上条中佐は、敵艦参に対して、六発では不足と感じたのか、別の『蒼鯨』を指さした。宮部少佐は再び手元を見て報告する。
「『赤弾』で、残弐です」
「何だ? 残弐って!」
すっとんきょな声。判る。お怒りはごもっともだ。
艦長と副長は、口をへの字にして見つめ合う。
イー408艦長・金崎少佐は、残弾がゼロになるまで『蒼鯨』を帰港させないのだ。
もしかして『自動帰港コマンド』を、知らないのだろうか。
マニュアルは、隅から隅まで読んで欲しい所だ。




