深海のスナイパー(二十二)
大湊航空基地から、港のある大湊基地へ車で五分。
鈴木少佐と弓原少尉は、何も知らずに言われるがまま『潜水艦に持ち込むトランプ』を買いに、こちらの売店までやって来た。
のであるが、案の定、そこで『ちょっとしたトラブル』になっている。
二人のヒソヒソ話に耳を澄ませてみよう。
「少佐殿、このトランプ、やばいですよ。絶対怒られますよ」
「いやいや少尉、これが絶対『目的の品』だよ」
二人は売店の片隅にある『トランプ』を巡って、押し付け合っているようだ。
「違いますって、絶対こっちの百円の奴ですよ」
「これ幾らなんだ? 千五百円! 流石だなぁ」
トランプ箱の説明書きを読んで、頷いている。
「ちょっと、少佐殿! 感心してないで、これにしましょうよ」
弓原少尉が指さしたのは、百円の奴。しかし鈴木少佐は、当然のように渋い顔だ。
「駄目だよ。そんな『普通の奴』を買って行ったら、格納庫から
『もう一回買いに行ってこい!』って、蹴り出されちゃうよ!」
物騒なことを真面目な顔で言う。
「そんなことありませんよ」
無いことを祈りながら、反論する。
しかし鈴木少佐は、右手を振りながら熱弁を始めた。
「あるって! 『晴嵐』の翼折り畳んだまま、カタパルトから『シュパーン!』って、射出されちゃうって!」
そう言いながら、右手で大空を指す。翼が開いていないのは細かい演出なのだが、弓原少尉は見ていない。
「私は先に降りるんで、少佐殿だけ飛んで行って下さい!」
そんなことを考えていたのかと思って、鈴木少佐はがっかりする。
「冷たいねぇ。少尉が陸奥湾並みに冷たい男だって、思わなかったよぉ。今度、上司に報告しちゃおうっと」
両手を腰にあて、苦笑いで申し付ける。しかし、弓原少尉も負けてはいない。苦笑いで言い返す。
「何言ってるんですかぁ。流氷のオホーツク海より、暖かいじゃないですかぁ」
どうやら言い負けたのは認めよう。
しかし、譲れないものがある。
「言うねぇ。でも絶対こっちだって」
真顔で指さすと、弓原少尉は溜息をつく。
「判りました。判りました。少佐殿が買うんですから、文句はありません」
「おっ、少尉の許可が出た」
二人は笑顔になる。いや、さっきからにやけてはいるのだが。
「そんな、別に少佐殿に許可とか言いませんよ。
レジの女の子に、コレ持って行くの、少佐殿ですからね?」
レジの女の子から見えないように、そっと指さした。
「えっ、それも俺なのぉ?」
鈴木少佐は自分を指さした。弓原少尉は頷く。
「そうですよ。買う人が行って下さい」
冷たい言葉は仲間とは思えない。両手を腰にあて抗議だ。
「えー。恋人もいない初心な私に、うら若き乙女のレジ係まで、この『四十八手』を持って行かないといけないのぉ?
少尉は経験済なんでしょ? 何手まで?」
最後の一言は、やや『セクハラ』気味である。
「知りませんよぉ! そんなの」
弓原少尉は照れているのか、気が付かない。
「でも、恋人いるんでしょ?」
「はい。この作戦が終わったら、結婚する約束してますんで。
私、こういうのは足りてますんでっ」
ぶんぶん指を振りながら、弓原少尉は答える。この色男めっ!
「あっらぁ。言うねぇ。じゃぁ、経験者なんだからぁ、ちょっと『お土産用なんです』って言って、買って来てよぉ。
ほら、お金渡すからっ。て、思ったけど、万札しかないわ」
ポケットからピラッと一枚だけ出てきた。非常用だろうか。
弓原少尉が困った顔をして、棚を調べ始める。
「少佐殿、ほら、こっちの三個一組の『ハーレムセット』ってのもありますよ?」
下の方に、既に梱包された状態のものを発見したようだ。
「すんごいな。何? これ、見掛け『普通のトランプ』じゃん」
それを手にした鈴木少佐が、嬉しそうに弓原少尉を見た。
「あ、この八個『ダイナマイトセット』は、ジャスト一万円です!」
その隣にある、もっと大きな包みを見つけて棚から引っ張り出す。
いや、そこまでする必要があるのだろうか。
「すんごいな。これも既に包装紙に包まれて『普通のトランプ』じゃん。あ、でもダメだよ」
嬉しそうに言っていた鈴木少佐なのだが、急にトーンが落ちた。
「何でですか?」
不思議そうに弓原少尉が聞く。その問いに、鈴木少佐がいかにも残念そうに答える。
「これ『ダイナマイト』だからさぁ、『危険物扱い』になって、持ち込めないかもしれないじゃん?」
成程。弓原少尉も頷いた。
「そうですねぇ。艦長の許可が必要かもしれませんねぇ」
二人は、艦長である『上条中佐の顔』を、思い浮かべた。
「やっぱり、『ハーレムセット』ですかね?」
「そうだな。俺もまだ死にたくないから、無難な線にしよう」
鈴木少佐は、一見普通のトランプとして梱包された『お品』を手にすると、それを素早く弓原少尉に『ポン』と渡す。
そして、うら若き乙女が待つレジの方に向け、笑顔で押し出した。