深海のスナイパー(十九)
「どんな『お薬』なんですか?」
弓原が山田に聞く。
山田は箱を棚に戻すと、笑顔のまま弓原の方に向いた。
「どんなのと言われましてもぉ、そのぉ、少尉殿の方が、詳しいのではないですか?」
そう言いながら困り顔になって、頭を掻く。
「いやいや、私は『薬屋』ではないので、全然」
弓原が笑顔になると山田も納得したのか、また笑顔になった。
そして、顎に手を添えて考えている顔になる。
「先月位ですかねぇ。サイドカーに乗った軍医様がいらっしゃいましてねぇ」「ほうほう」
サイドカーが印象に残っているのだろうか。目を輝かせた。
「公民館に家の代表者集めて、説明があったんですよ」
「どんなですか?」
「なんだかね、『悪い病気から住民を守るためだ』って言って、『お薬』を配る。そんな感じでして」
「そうなんですか。何の病気ですか?」
弓原は首を傾げる。
「いや、それは『軍事機密だから』ってだけで、何も」
「へー。説明なしですかぁ」
「ええ。それでね。
『家族の分も持ち帰るように』って、言われましてね。
トラックから降ろした『お薬』を、みんな、爺さん、婆さんの分とか、もう直ぐ生まれる赤ちゃんの分とか」「へぇー」
あらあら。何と念入りな。
「何だか判らないけど、それを頂いて、持って帰ったんですよ」
思い出しても不思議なことだと思ったのか、首を傾げている。
「美味しかったですか?」
弓原の唐突な質問に、山田は笑った。
「いやいや。美味しいも何も、ありませんよ。こんな薬です」
そう言って、指先で丸を作る。錠剤のようだ。
「そうなんですね」
美味しい訳ではないようだ。弓原は考える。
山田はお辞儀して振り返る。どうやら、仕事に戻るようだ。
「何の薬なんだろうなぁ」
弓原の言葉に、山田が振り向いた。
「何でしょうねぇ。あっ、そうだ!」「どうしました?」
山田が目を丸くして頭を掻きながら、申し訳なさそうに言う。
「少尉殿すいません。これ『絶対に軍の秘密だから』って、念押されてました」
バツが悪そうだ。しかし弓原は笑顔で山田に言う。
「そうなんですね。でも、ここも『軍』だから」
山田の表情が、パッと明るくなった。
「あっ、そうですね! じゃぁ、良かったぁ」
「危なかったですねぇ」
弓原も笑顔で頷く。
「いやいや。危ない危ない。コレになる所でしたよ」
山田はそう言って、右手でシュっと首をやった。
「うちの調査結果と、関係があるのかなぁ?」「ほう?」
山田が不思議そうな顔をして、弓原を見た。そんな山田の顔を見ながら弓原が話す。
「いやね。『悪い病気が流行っているから、調査して来い』って、言われて来たんですけど、何か『流行っていない』みたいでして。おかしいなぁって、さっき報告したんですよ」
山田にそっと教えた。すると、山田の目が輝く。
「なるほど! 少尉殿、きっとその『お薬』のお陰ですよ!」
「そうかもしれませんね」
嬉しそうに、二人は頷いた。きっとそうだ。悪い病気は『退治』されたのだ。
「そうに決まってますよ。
いやぁ、流石、軍医様の出す『お薬』は、違うんだなぁ」
一人感心して頷く山田である。
「いや、そういうこともないと思いますけど」
そんな弓原の言葉は、山田の耳には入っていないようだ。
「爺さんも、あの『お薬』を飲んでいれば、
助かったかもしれないのになぁ」
ちょっと遠い目をして、山田は呟いた。そして首を横に振る。
「おや、お爺さん『悪い病気』だったんですか?」
弓原は気の毒そうに声をかけた。すると山田は、慌てて手を横に振って、否定し始める。
「いやいや。そうじゃないんですけど。ほら、『私の爺さん』だから、もう百歳超えてましてね。老衰です」「そうでしたか」
そう説明して、うんうんと頷いた。弓原は苦笑いだ。
「ええ。折角爺さんの分も『お薬』頂いたのに。
届けに行ったら、丁度亡くなってしまって。
あの日はバタバタして、もぉ大変だったんですよぉ」
山田は腕を組み、大変だった『あの日』を思い出しているようだ。
そんな山田に、弓原は聞いてみる。
「それは大変でしたねぇ。お爺さんの『お薬』どうしたんですか?」
パッと山田の顔が変わった。
どうやら山田は、『お通夜の会食場面』から『お爺さんの家に着いた場面』に、戻って来たようだ。
「あぁ、そう言えば、まだ車に載せっぱなしだったなぁ」
「それ、頂けませんか?」「良いですよ!」
弓原は間髪入れずに聞く。
すると山田からの返事も、間髪入れずに返って来た。