深海のスナイパー(十八)
弓原は時計を見た。時間はある。
それでも基地に戻ろう。そう思って、研究室を後にする。
その前に、幾つかやることがある。
試験結果を東京に送る手配をすることと、倉庫から追加の試薬を準備することだ。
倉庫に行くと、さっきの研究室を掃除していた山田が、今度は倉庫を掃除していた。
「あれ? 少尉殿、こんな所で? どうしました?」
「おや、山田さん。お掃除ご苦労様です」
この倉庫は、軍事機密ではない備品の類。例えば、トイレットペーパーとか、文房具とか。そういうものが並んでいる。
新型爆弾とか、新型地雷とか、新型通信機とか、そういうヤヴァイ物は『失敗作』というレッテルを貼られ、別の倉庫に眠っている。
もちろん山田は入れない。いや、弓原もであるが。
「何か御用があれば、お持ちしたのに。何ですか?」
手に持っていた台紙付きメモをその辺に置き、笑顔で山田が言う。
「いやいや。そんな重たい物じゃないので、自分で探します」
弓原は手を振って断った。
「そうですか」
山田も頷いた。再び台紙付きのメモを持つ。そして、自分の仕事に戻ったようだ。
どうやらそのメモは、今の在庫数を記したもののようだ。
品名として記載された備品を探し、その数を数えてメモに記しているのだろう。
実に『アナログ』なやり方である。
東京だったら、入出庫はコンピュータで管理され、ICチップが埋め込まれたコンテナに、立体スキャナを振れば、たちどころに在庫が判る。
そう思って弓原は笑った。いや、そんな風になっていても『備品を自分で補充』しに、行ったことなんてないのだが。
「えーっと、どこかなぁ?」
倉庫を見渡して、途方に暮れる。
試薬の箱が、東京から送られて来ているはずなのだが、それが何処にあるのか、判らない。
うーむ。困ったぞ?
「どうしました?」
山田が笑顔で助け舟を出してくれた。弓原は首を傾げて説明する。
「どこかに、東京から送られてきた『試薬』があると思うんですけど、どこだかご存じですか?」
ダメ元で聞いてみる。しかし山田は頷いた。
「昨日、届いてますよ。東京からのですよね。こちらです」
頷いた山田が歩き出す。倉庫の奥の方へ弓原を誘導して行く。
程なくして、倉庫の片隅に『東京』と書かれた張り紙のある棚の前に辿り着く。
「この中に、ありますか?」
笑顔の山田が、左手で棚を指す。弓原は頷いた。
「ありがとうございます。探してみます」
弓原は、棚の上から下に向けて、試薬の箱を探す。
そこで思わず、弓原は笑ってしまった。
箱に書かれた発送元は、埼玉だったり、神奈川だったり、はたまた千葉だったりするのだが、全部『東京』という扱いで、この棚に保管されているようだ。
つまり『東京方面』と言うことだろう。
「どんな箱ですか?」
難儀している弓原を見て山田が聞く。聞かれた弓原は、両手で三十センチ位の『箱の大きさ』を示す。
「これぐらいです」
「じゃぁ、この辺ですかねぇ」
山田は優秀な倉庫番である。弓原が『何の荷物』か言っていないのに、それが何処にあるのか判っているようだ。
棚の奥から、弓原が示した大きさの箱を引っ張り出した。
「どちらでしょうか?」
両手に一箱づつ箱を持っている。いや、山田は単に『箱の大きさ』だけで、記憶していたようだ。
「あっ。それです。それです。ありがとうございます」
弓原がお礼を言いながら山田に近付き、右手の箱を手にする。
箱には何も書かれていないが、送り元が『気象省』だし、品名に『試薬』とある。間違いない。
「じゃぁ、こっちはしまって置くか」
山田がポツリと言って、箱を左手から右手に持ち替えた。それを弓原がひょいと見る。そして、手元の箱と見比べた。
山田が『どちらでしょうか?』と、聞いた理由が判った。
そちらの箱にも、何も書いてはいなかった。
しかも、送り状に記載された品名も『試薬』。
違いは送り主だけ。そっちには『防疫給水部』と書いてあった。
知らない部署である。
「これ、何でしょうね?」
弓原は、笑顔で箱を指さす。
すると山田は、送り主の名前を見ると、直ぐに『思い当たること』があったのか、溜息を吐きながら笑顔で答える。
「これ、きっと『お薬』ですよ。何だか判らないんですけどね」
山田は小さな箱を、ひょいと『東京』の棚に戻した。
それは間違いではない。
確かに『試薬』と書いてあるのだから。