深海のスナイパー(七)
今日はカレーを食べたから、金曜日らしい。
潜水艦の中は昼も夜もない。宇宙飛行士も結構寂しいらしいが、潜水艦も一緒だ。
いや、『寂しい』なんて感情を持ち合わせていない者が、潜水艦乗りになるのかもしれない。
たまにはいるんですよ? 潜水艦勤務を『懐かしむ輩』が。
この艦に、いるかどうかは存じませんが。
「じゃぁ、一旦基地に戻って、また来るんだな?」
中島中尉に言われ、弓原少尉は頷いた。
「あぁ、観測結果を報告したり、試薬を入手したら、また来る」
「お土産のリクエストは、何ですか?」
パイロットの鈴木少佐が、中島中尉に聞く。
「では『トランプ』をお願いします!」
「OK!」
少佐は歯を見せて笑い、頷いた。『トランプ』なら、大湊航空基地の売店にでも、売っているだろう。
もう、晴嵐が出発する時刻だ。
中島中尉は、カタパルトを離れて退避する。晴嵐が係員に押し出されて、イー407の外へ。
そこで畳まれていた翼が広げられると、エンジンが始動し、飛行準備が整う。
フード越しに鈴木少佐が、係員に右手を挙げて挨拶をする。
すぐに晴嵐はカタパルトから射出されて、曇天の雲に吸い込まれて行った。
中島中尉の『監視役』も、一旦お休みだ。
中尉は思う。
弓原よ。軍機は、お前には見せられない。それに、お前はまだ、『死んだ』ことにはなっていない。
体よく追い出して、すまんな。と。
がらんとした格納庫が閉鎖されて、陽の光が入らなくなった。
晴嵐は低空を飛んでいた。
出発前に、艦影、機影なしは確認済だ。それでも慎重に越したことはない。
まだ陸地は見えないが、ここが日本海であることは判る。
しばらく東に進路をとって飛ぶ。
しかし陸地が見えて、鈴木少佐は高度を上げる。
鈴木少佐にとって、この辺は庭も同然。遠くに見える山の形で、現在地が判り、目的地の方向も判る。
「では、大湊まで、最短で行きましょうか」
「物騒ですし、それでお願いします」
弓原少尉は、生粋の軍人ではない。あくまでも『出向』の身。
だから、いきなり空中戦になって、月面宙返りだの、木の葉落としだの、二段階右折だのやられても、困るだけだ。
陸奥湾に入った時、鈴木少佐が左下を指さした。弓原少尉はその方向に目を向ける。
そこには、大きな軍艦が津軽海峡を背にし、陸奥湾に入って来る姿があった。
弓原少尉はその大きな船体に驚き、鈴木少佐に聞く。
「あれが武蔵ですか? おっきいですねぇ! 初めて見たぁ」
主砲が三本で、三段だし。
「違いますよ! あれは大和ですよ!」
「そうなんですか? 見分けが付きません!」
鈴木少佐も、弓原少尉が生粋の軍人ではないことを知っている。
「駄目ですよ! ちゃんと覚えないと! 怒られますよ?」
そうなのかもしれないが、それは勘弁して欲しい。
「少佐殿は、隣の艦も、判るのでしょうか?」
すると鈴木少佐は、驚いた顔で振り向いた後、歯を見せて「ニッ」と笑った。
「そりゃー判りますよ! 右が矢矧で、左が磯風ですよ!」
そんなにはっきりと言われて、弓原少尉は目を丸くする。
「流石です! 御見それしました!」
弓原少尉がそう言うと、鈴木少佐は笑顔のまま前を向く。
そして、晴嵐が左右に揺れ始める。
遊ばれていると判っていても、弓原少尉は歯を食いしばって耐えるしかない。
ここで「止めて」なんて言ったら、舌を噛んでしまいそうだ。