深海のスナイパー(五)
補給艦間宮は任務を終え、航行を開始した。
既に海中に潜航したイー407の航跡は、波間に消えている。
「また、仙台に戻りだな」
甲板で野沢少尉そう言うと、隣で片づけをする小岩軍曹が、愚痴を溢す。
「大湊に行けたら、良かったんですけどねぇ」
「無茶を言うなよ」
そう言って、少尉が笑った。そして溜息混じりに言う。
「まぁ、行こうと思えば、行けなくもないんだけど、『護衛』する方が、大変だろう?」
そう言って、口をへの字に曲げた。
今見送ったイー407の主戦場である『津軽海峡』を横断し、陸奥湾に、入らなければいけないのだ。
「そうですねぇ。撃沈されたら、大変ですもんねぇ」
補給艦間宮は『人気』がある。もし津軽海峡で撃沈でもされたら、それはもう、大湊基地に、苦情が殺到するだろう。
「じゃぁ、むつ港でも良かったのにねぇ」
しみじみと言って、ちらっと少尉を見る。少尉は呆れて言う。
「軍曹、そこは『原潜の秘密基地』だろうがぁ」
無理無理と手を振って、苦笑いだ。
軍曹も笑っている。「そんなことは判っている」という顔だ。
しかし、無理だと判っていても、早く港に帰りたい。
「しかし、イー407も『盾役』とは、大変ですねぇ」
軍曹はゆっくり首を横に振る。その意見に、少尉も賛成のようだ。
「そうだなぁ。原潜みたいに『ひたすら待ち』ならいざ知らず、攻撃型新造艦の、囮だもんなぁ」
その通り。
幾ら何でも、七十年も前の設計艦で、現代の戦争ができる訳もなく、イー407は、体の良い囮である。
「実際に魚雷を発射するのは、深海に潜む最新艦なんですよね?」
「あぁ。『蒼鯨』って、名前だけは聞いたことがある。深度六百メートルから、発射できるらしいぞ」
少尉は軍曹に説明してやると、軍曹は驚いた。
「六百? 随分ふかーい所から、撃てるんですねぇ」
「あぁ、軍機だから実際の所は、不明だけどな」
「ですよね。あれ? でも津軽海峡の深度って?」
そんなに深かったかなと、首を捻る。
「大体、三百メートルだな」
少尉が苦笑いで答える。「それを言うな」な顔である。
「オーバースペックなのでは?」
軍曹が少尉を覗き込んで、質問をする。
しかし、少尉は前を見たまま答える。
「だから、『最後の砦』なんだろうなぁ」
それは言える。軍曹は頷いた。
甲板から仙台の方を見ると、どす黒い雲が渦巻いている。その雲を指さして、軍曹が少尉に話しかけた。
「ああいう雲の中に入ると、『過去の世界』に飛ばされちゃうんですよね?」
そんな話は聞いたことがある。少尉は笑って頷いた。
「あぁ、あるある。フル装備の軍艦が、だろう?」
「そうです。そうです。そこに今の軍艦が、日本海海戦に飛ばされたら、日本、勝てますかね?」
眉毛をピクピクさせて、嬉しそうに軍曹が質問する。
すると少尉は、首を捻って考え始めた。そして、首を戻しながら答える。
「いやぁ、流石に、無理なんじゃないかなぁ?」
「勝てませんか? 『蒼鯨』でもダメですか?」
真剣な眼差しの少尉。
その意見に驚いたのか、軍曹は前のめりで聞き返す。
しかし少尉は両手を広げ、渋い顔で答える。
「フル装備の間宮が、日本海海戦のド真ん中に行ってもなぁ?」
「それはダメですよぉ。間宮はナシでっ!」
少尉と軍曹は、笑いながら船室へと消えた。