深海のスナイパー(四)
「艦長、弓原少尉をお連れしました」
副長の宮部少佐が、後ろ姿の艦長に声をかけると同時に、艦長が振り返る。
音に敏感な『潜水艦乗り』らしい反応だ。
「艦長の上条です」
気が短いのか、それとも『客人』だと思っていたのか判らないが、振り返って目に入ったのは、『部下』であった。
「気象予測官の弓原です」
そう言って敬礼する。艦長も敬礼で応じ、握手をした。
「よろしくね。中島中尉の、同期なんだって?」
「はい。大学の方ですが」
普通士官同士が『同期』と言ったら、『江田島』のことを指すのだろうが、弓原少尉はそうではない。
医官とか事務方は、『江田島送り』にならずとも、専門職として士官になるルートがあるのだ。
気象予測管も、そんな職業の一つだ。
「中尉の扱い、苦労したんじゃない?」
艦長が含み笑いで、監視係の中島中尉の方を、ちらっと見た。
「判って頂けますか」
「ちょっと、待って下さいよぉ」
しみじみとした口調で弓原少尉が言うものだから、中島中尉は困った顔をする。
割と上手く、立ち回ってきた筈なのだが。
指令所の一同が、チラチラとこちらを見て、一緒に笑っているではないか。
「少し、雲が出ていたようだが、来るときも観測したのかい?」
艦長が笑うのを止め、仕事の話をする。
「はい。雲の中に突っ込んでもらって、試薬を雨で、濡らしてもらいました」
そう言って、右手で飛行機の形を作り、飛ばして見せた。
「東京では、雨で人が溶けるらしいねぇ」
しみじみと言っている。
しかし、そんな東京でも、たまには上陸もしたいだろう。
「はい。なので、危険範囲の調査で、今回派遣されて参りました」
艦長が「うんうん」と頷いている。そして聞く。
「大丈夫だったかい? 溶けたりしなかったかい?」
艦長は両手を広げて翼を作り、そして雲の中で揺れている様を表現する。なかなか明るい艦長だ。
「少し揺れましたが、大丈夫でした」
弓原少尉は、そこまで揺れなかったと思い、右手を振っている。
すると艦長は、右手を『ヒュッ』と持ち上げる。
「羽が『ポキッ』って、ならなくて、良かったね!」
そう言って笑った。弓原少尉は目を丸くする。
同じことを『晴嵐』のパイロット、鈴木少佐にも言われたからだ。
「それは、勘弁して下さい!」
苦笑いで弓原少尉は答える。
天気予測以外のことは、良く判らないのだから、勘弁して欲しい。
「晴嵐の訓練にもなるから、良いんだけど、今度『寄り道』するときは、連絡してね」
「はっ」
真顔で言われて、弓原少尉は気を引き締めた。
「今回は『補給中』だから良いけど、一応潜水艦も、分単位で動いているのでね」
にっこり笑っているが、これは警告である。
「承知しました」
弓原少尉は頭を下げ、そのまま固まった。
それを見た艦長は、副長の肩越しに目を向ける。
「中尉」「はっ!」
中島中尉は、艦長に呼ばれて緊張する。気を付けの姿勢で、次の命令を待つ。
「何か『暗号』、考えてあげて」「承知しましたっ」
案はありません! 相談します!
「カッコイイ奴ね!」
艦長命令に造反する気もない中島中尉だが、その『命令』には困った顔をして固まった。