深海のスナイパー(一)
猿ヶ森砂丘沖、約十三キロ。いや、約七海里と言った方が良いか。
まぁ正直、どちらでも良い。もうすぐ『お客さん』がやってくるのだが、そちらの単位だと約八マイル。
いやはや、そんな『約』で計算された場所なんか、この海の上で『ピンポイント会的』するにはいささか誤差が多すぎる。
なにせこちらは『イー407』。
全長たったの百十二メートル。全幅十二メートルの小柄なサイズ。
スラリとした子持ちの九頭身美人なぁんて、言われたのは昔の話。
誰も言ってないかも、しれないけれどっ。
昭和三十五年生まれの還暦、いやウォッホン!
艦歴六十ウン歳。そろそろ年金生活に入らせて下さいよ!
と、言いたいけれど、何度目よっ、ていう近代化改修を受けたこの体。
腰痛は幾分解消されましたので、粉骨砕身お国の為に頑張ります。
あっ、それでね。何だか二百メートルまで潜れるようになったらしいのだけれど、それは、ヒ・ミ・ツ。
艦上で月を眺めていると、押し寄せる波の音が、そんな風に聞こえることも、無きにしも非ず。
嘘だと思ったなら、君も大日本帝国海軍に応b (プツン)
『ブーン』
「お帰りだぞ!」
謎の『何か』との会話を打ち切って、艦上が忙しくなる。
イー407は、数少ない航空機搭載型の潜水艦。
その艦載機『晴嵐』が、洋上補給のついでに飛び立って、大湊からお客さんを一人乗せて、帰って来るのだ。
設計は古いが、イー407とは相性がバッチリの晴嵐は、平成生まれの戦闘経験ゼロの機体だ。
流石に機銃は、ついているけどね。
イー407の横に見事な着水を決めて、『お客さん』がイー407に上陸、いや乗艦する。
「パスポートを拝見しまーす」
「いや、ココはまだ、日本ですからっ」
笑ってそう言いながら、身分証明書を見せる。しかし、出迎えの士官は、それを固持した。
「弓原徹・気象予測官殿、ようこそ、イー407へ」
そう言って、士官が敬礼する。
「久し振りだな。中島少尉、いや、二階級特進して、大尉か?」
「相変わらず痛い所、突いて来るなぁ。それはナイショだぞ?」
そう言ってハッチを左手で指さす。お先へどうぞ。である。
「お先に」
短く言って、弓原がハッチに取り付く。そして梯子を下りて行く。
周りを警戒していた中島も、下から『カンカン』の合図音を聞いて、降りて行く。
降りる前に、晴嵐を収納する様子を確認する。
クレーンで母艦上のレールに置かれ、今、翼が折り畳まれている所だ。もうすぐ収容作業も終わるだろう。
梯子を下りた所で、弓原が待っていた。
中島は艦内に入ると無口になる。目と腕だけで「こっち」と合図して、弓原を連れて行く。
士官室まで連れて行くと、ドアをノックした。
「どうぞ」
中から声がする。
「失礼します」
中島がドアを開けて士官室に入った。
「気象予測官殿をお連れしました」
そう言って敬礼する。するとこの部屋の主が、振り返った。
「あぁ、ご苦労様」
そう言って、見ていた書類を素早く収納し、立ち上がる。士官室と言えど、そんなに広い訳ではない。
「中尉、中に入って貰って」
そう言って案内すると、中島が通路に立っている弓原に「入れ」と手で合図した。
すると弓原が遠慮がちに歩みを進め、入り口の所に一歩入った。
見た所、スッキリとしていて、何もない。
「気象予測官の弓原です」
そう言って礼をする。すると男が挨拶を返した。
「イー407へようこそ。副艦長の宮部です。どうぞよろしく」
そう言って敬礼した。そして、直ぐに話を始める。
「艦長は発令所なので、また後でね」
「はい。判りました」
「部屋は、中尉と同じにしといたから。ゆっくりして」
そう言うと、中島を指さして笑った。
「あ、ありがとうございます」
弓原も笑顔で頭を下げたのだが、ちょっと微妙な笑顔である。
中島の方を見て、確認する。
「中尉殿の寝相は、良くなりましたか?」
大学時代を思い出し、「ニッ」と笑った。
「いつの話だよっ!」
「今でも酷いらしいよ?」
「やっぱりそうですかぁ」
そう言って三人は、笑い合った。