陸軍東部第三十三部隊(十七)
大佐の後ろを、ホークが通り過ぎる。
そのとき大佐は、後悔していた。ホークより『入り口に近い席』に座ってしまったことを。
今回は『自分の方が依頼者』である。
つまり、ホークにしてみれば、遅れてきた『信用できない依頼者が、逃げ道を塞いだ』のである。
無言で『罠に掛けたぞ』と、脅したも同義。
きっとバーテンダーも『関係者』だと、見抜かれていただろう。
報復? ありえる。
知らずとも仁義を破ってしまったのは、こちらなのだから。そう。ホークに『知らなかった』は、通じないのだ。
大佐は目を瞑り、短い会話の中で、ホークの『言葉』を思い出す。
『モーツァルトの『レクイエム』を、ちょっとだけ』
『お嬢さんも、モーツァルトでしたね』
『いやいや、『トルコ行進曲』とっても『お上手』でした』
『モーツァルトに!』
モーツァルトは『レクイエム』の作曲中に亡くなった。
享年三十五歳。
なんてこった! つまり、まだ『小さい娘』も、この後、モーツァルトと同じになると、言っているではないかっ!
猶予、猶予は? あぁぁ、おぉぉ、考えろっ!
トルコ行進曲は、正式名『ピアノソナタ第十一番』じゅ、『銃一番?』いやいやいや。怖い怖い怖い。あぁぁ違う。頼む! 違ってくれ! 『イ長調。K三百三十一』だ。
なんてことだ! 娘にモーツァルトなんて、弾かせるんじゃなかった。モーツァルトだけに与えられた曲番号Kは、この場合、KILLのK。
つまり、娘がその『三百三十一番目に載ったぞ』と言っているのだっ。まずいまずいまずい! あぁぁ、何時だ?
『トルコ行進曲』は、その『第三楽章』だ。なんだと? つまり……。
その日が訪れるまで『あと第三楽章だ』と!
大佐は、娘の顔を思い浮かべ、必死の思いでホークに話しかける。
しかし周りから見て、それは大佐の『独り言』のように見えただろう。
なぜなら大佐は、当然『正面を向いて』言葉にしたのだから。
「レクイエムは、何を?」
聞こえていてくれ。いや、頼む! 答えてくれっ!
大佐は思わず両手を、カウンターに付けて俯き『無抵抗の姿勢』を表していた。
そんな姿を横目にちらりとみたホークが、無言のまま通り過ぎて行く。大佐は刺される覚悟をしたまま、全身に力が入っていた。
「ナンバー・サーティーン。バッツ、サードゥ」
それを聞いた大佐は、目の前が真っ暗になった。
第十三曲・アニュス・デイ『神の小羊』を弾こうとしていたが、お前が来なかったので、第三曲・ディエス・イレ『怒りの日』に変更したよ。意味は、判るな?
「判るが!」
「ナンバーシックスは、きっと、お嬢さんでも弾けますよ」
大佐は背中を『ポンポン』と叩かれて、言葉を失う。
第六曲・レコルダーレ『思い出したまえ』。
娘でも判るよな? だと? どういう意味だ?
いや、我々との関係を思い出せ、と、言うことか?
だとしたら、許された、のか?
大佐は、両手を顔の前で握り締め、それを前後に振りながら、全力で思考を巡らせていた。かつてない程に。
そうだ、もしホークの『機嫌』が悪かったら、第一曲・レクイエム・エテルナム『永遠の安息を』でも、第八曲・ラクリモーサ『涙の日』でも良かったはず。
それに、第十曲・オスティアス『賛美の生け贄』でも、暗示できたのだ。それを、ホークは、第六曲・レコンダーレ……。
「ホーク!」
大佐は思わず大声で叫び、カウンターから振り向いたのだが、もうそこに、ホークの後ろ姿が、あるはずも、ない。