陸軍東部第三十三部隊(十五)
「いや、カルピスを」
渋い声でホークが言う。バーテンダーは目を丸くした。
「ないのかい?」
バーテンダーが黙っているので、ホークが言葉を追加する。雰囲気は、銀座のバーに相応しい、のだが。
「ございます」
気を取り直したバーテンダーが、冷静を装って答える。大佐をチラ見したが、大佐も困惑顔である。
すると、ホークは軽く頷く。
カウンターを見るような、少し頷き加減の目線になると、右手の平を自分の方に向け、人差し指と中指の二本差し出した。
「二滴」
リクエストを受けた、バーテンダーからの返事がない。
ホークはそれを、どう受け取ったのか。急にニヒルな笑顔になると、軽く首を振り、右手も軽く振って言い直す。
「いや、三滴」
振り直した右手の形が、親指が上、人差し指と中指が水平に伸びている。
その形のまま目の前でシュっと止め、バーテンダに目を合わせた。
「畏まりました」
バーテンダーはそう言って、場を外そうとしたのだが、ホークの鋭い視線に圧倒され、立ち尽くす。
そう。ホークの親指が、大佐の方に三十度傾いている。
つまり、『同じものをオーダーした大佐にも、気を遣え』と、指導しているのだ。
咄嗟にバーテンダーは、この客が、『常連の前で、お前が恥をかかないように、しているんだぞ』と、言っていると感じた。
いや、優しく微笑む顔。彼の目が、そう言っている。
人は『目で語る』とは、正にこういうことかと、バーテンダーは納得した。笑顔になって大佐に聞く。
「如何致しましょうか?」
聞かれた大佐は返事に困る。
スピリタス・ロックに、カルピスを何滴入れるか、だと?
もっと、二ミリとか、五ミリとか、そんな単位で足さないと、火を噴くだろうが!
いや、それでも確実に火を噴く。
「私は」
大佐がそう言い掛けて、言葉を詰まらせる。
大佐も正面を向いて、自分の考えをハッキリと言えば良かったのだが、うっかり、バーテンダーの目を見てしまったのだ。
そしてその横には、振り返ったホークの鋭い目。
その『言うな』の無言の圧力に、つい屈してしまったのだ。
大佐の異変に、バーテンダーも気が付いていた。咄嗟に目の前のホーク(ころしや)に目が行った。それが良くなかった。
ホークはゆっくりとまばたきをする間に、右だけ口角を上げた笑顔になると右手をゆっくりと開き、手の平をバーテンダーに見せる。
まるでそれは、『お前、大佐への提案の仕方が違う』とでも、言っているようだ。
「五滴」
暫くの沈黙があった。バーテンダーは混乱する。
今のリクエストは、ホークの再リクエストなのか。それとも、大佐の気持ちを代弁したものなのか。
頭を固定したまま、ホークと大佐を目だけで交互に見る。
「流石だ」
大佐の口から、まるで観念したかのような返事があった。
バーテンダーはホッとする。ホークの笑顔を見て思う。『お前、命拾いしたな』と、言っている。
確かに大佐の顔は、『バレちゃったかぁ』な感じの柔和な笑顔。
近年見たことのない、心を開いた感のある笑顔だ。
「直ぐにご用意致します」
バーテンダーは、明日年休を申請しようと決意した。