アンダーグラウンド(三十六)
夕食のテーブルに『見慣れないもの』が、並んでいる。
正確には、見慣れてはいる、のであるが、それでも『夕食のテーブル』には、普通、並ばないものだ。
「洗脳、できたのかい?」
そう言って黒沢は刃物で『ガードレール』を突っついた。『カンカン』と音がする。聞かれた黒松は、下を向いたままだ。
「まだです」
短く返事して、押し黙る。
しかしそれは、反省しているのではない。
刃物で切り刻んだ所からしたたり落ちる『体液』を、目を細めて、じっと眺めているからだ。
黒沢はイラついたのか、刃物で黒松を刺し、いや、指して苦言。
「遅いよ!」
黒沢の目から発せられた一億ボルトが、黒松を直撃する。その瞬間、黒松の目の前にある『風見鶏』から、湯気が立ち昇った。
「大丈夫ですよ」
どうやら黒松は、避雷針を装備しているようだ。生きている。
「フッ。明日の夜明け頃には『良い子に仕上げて』みせますよ」
そう言って右側の口角だけを上げて、不敵に笑う。ちらりと見えた歯と、歯茎の間から、よだれが落ちる。
「何だよ。『今夜から』ヤレないのかぁ?」
口を挟んだのは、ペロリと舌で唇を舐めた、黒田である。
「まったく。暴れるのが、お・好・き?」
黒松が言うのも何だが、趣味が悪い。無理やりは良くない。
「俺は、跳ねっかえり位の方が、元気があってイイな」
勝手に好みを言って、黒田が目の前にある『飯盒の蓋』を突っついた。内側は、大分盛り上がっている。
きっと、上から何度も叩かれたのだろう。
「馬鹿言ってないで」
呆れて、黒沢が口を挟む。刃物をプラプラさせて、黒松に忠告。
「昼には移動だからね」
「判ってますって」
真顔の黒沢に、黒松も『ゆっくりめ』のまばたきをしながら、答えた。
安心して良い。そう言っている。
何しろ黒松の頭には、正確なタイムスケジュールが、刻まれているのだから。
「夜には早速、働いてもらうんだからさっ」
そう言って、黒沢の真顔が崩れ、にやけた。
その掴み所のない、綻んだ笑顔の顎の下。引き寄せた右手で、軽く摘まんだ刃物を、ブラブラさせている。
しかし黒松には、声の調子で判る。黒沢は、少しだけ機嫌が良い。
「黒井が悪いんですよ」
そう言って下を向いたまま、右手に持った刃物で、黒井を指す。いや、刺す。
「ちょっと、待って下さいよぉ」
黒井はさっきから、左手に持ちっぱなしの『ペンキの蓋』で、ずっと防御しっぱなしだ。
目の前にある『一斗缶の蓋』を突っつく暇がない。
「私が見つけなかったら、どうなっていたことやら?」
顎を上げて、小さくなった黒井を見下ろす黒沢。
「その節は、大変お世話になりました。ありがとうございまふ」
やっと黒井は、肉を切り口にする。美味い。
ペンキ缶の蓋は、食品衛生法の観点から見ても、食器には使えそうになかった。
それに比べて、だが、漬物が入っていた一斗缶の蓋は、大丈夫だと思ったのである。しかし薄くて、冷めるのも早かった。失敗だ。
「レア派、なのかい?」
黒田が右手を伸ばし、持ったままの刃物で黒井を刺した。
「そうですね。俺、『生』が、好きなんでっ」
そう言いながら、左手を伸ばし、ペンキ缶の蓋で防御する。くそっ。全然食えないじゃないかっ。こらっ。止めろってっ。
「若いって、良いねぇ」
黒沢の声に、黒井は思わず顔を上げた。黒沢の視線が、黒井に突き刺さる。
それが、右目だけ、一瞬途切れ、星も飛んだ気もするのだが、黒井は防御も出来ず、ただひたすらに、小さくなっていた。




