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6.何もないまま、夏季休暇突入

 入学から三ヶ月が過ぎると、夏季休暇が来る。

 はじめての夏休み、というやつである。

 元が乙女ゲーだけあって、この世界の学期制その他は前世の世界に準拠している。


 ゆえに、春入学の三学期制に夏休みがあって秋イベントがあって冬休みがあって――本来の想定通りにシナリオが進んでいれば、もちろん初の夏休みには攻略対象とあれこれイベントが起こっているはずだった。

 しかし当然ながら、シナリオの始まっていない私に夏休みイベントなんて起ころうはずがない。

 避暑地へのご招待もドキドキワクワク海での水着イベントも夕涼みでムードがっつりも何も、すべて起こるわけがなかった。


 ちなみにこの世界、乙女ゲームの都合上か水着もプールも海水浴もある。なんなら夕涼みだって肝試し的夜のドッキリだってある。

 水辺でキャッキャも夏のホラーも学園ものの鉄板だからだ。

 いいのかそれで。



 * * *



 そんな、何も起こるはずのない夏季休暇目前の午後、庭園の四阿でお茶を楽しみながら、イヴェット様が言った。


「キトリー。お前、夏季休暇中の予定は空いてるわね?」

「はい――でも、私、仕事を……」

「わたくしの別荘へ招待するわ。もちろん来るわね?」


 驚きのあまりイヴェット様の顔を不躾に凝視してしまい、慌てて目を逸らす。


 これといった予定もイベントの気配も何もかもがないので、私は学校から短期の仕事の斡旋を頼んでいた。

 たしかに伯爵閣下から必要な学費の援助はある。だが、自由にできるお金も少し稼いでおくつもりだったのだ。

 主に、これから始まるはずの攻略に備えて。


「でも、私、その、お金もなくて……」

「ああ、お前が仕事の斡旋を依頼しているという話は知っているわ」

「そうなんです。だから」

「わたくし、別荘でパーティを開く予定があるの。その手配をお前にも手伝ってもらうつもりよ。もちろん報酬を出すわ。どう?」

「え?」

「将来を考えたら、お前にとっても悪い経験ではないと思うのだけど」


 扇を広げて、イヴェット様はふふっと笑う。

 私はまたその顔を凝視してしまった。


「そうねえ……お前の働きぶりにもよるけれど、最低でも金貨で二枚は出すつもりよ。お前が遺憾なく能力を発揮すれば、その倍でも構わないわ」

「ほっ、ほんとですか!?

 やります!

 よろしくお願いします、イヴェットお嬢様!」


 ほとんど二つ返事で食いつく私に、イヴェット様はにっこりと微笑んだ。


「よい返事ね。わたくし、お前のことはとても買っているの。詳しくは後ほど、こちらの責任者に話をさせるわ」

「はい!」


 休暇中、全部の日に何かしらの仕事を入れて最大限稼いだところで、金貨一枚分に届くかどうかだろう。

 つまりイヴェット様のパーティ手伝いで金貨二枚が保証されるのは破格だ。

 めちゃくちゃ忙しいのかもしれないが、ド・アマンス侯爵家なら住み込みだからといってそこから食費を差っ引くようなみみっちいことはしないだろう。

 パーティ手伝いなら、拘束日数だって決まってるはずだ。




 その夜も、私はイズミちゃんを訪れた。

 イヴェット様に招待されたことと、だからしばらくここへ来れなくなるということを話すためにだ。


「そう、よかったね」


 イズミちゃんはそう言って、いつものように微笑んでくれた。

 月が満ちているおかげか、イズミちゃんの姿はずいぶんはっきりしている。


「うん――結局ユーグの攻略の進みもイマイチだったし、なんかヒーローたちより悪役令嬢の好感度上げてるみたいで変だけど。

 悪役令嬢との友情エンドなんてあったかなあ?」


 首をひねる私に、イズミちゃんは「魔女のことを別にすれば」と続ける。


「ド・アマンス侯爵家で働いた経験があるというのは、これ以上ない経歴だよ。

 たとえ数日としても、別荘へ招かれてパーティの手伝いを頼まれるなんて、信頼がなければ決してないことだからね」

「そう……そうだよね」


 このまま乙女ゲームが始まらなかったら、魔女戦がまずいことになる。

 でも、このままイヴェット様と仲良くなれれば、イヴェット様にお願いしてド・マアンス家の御威光で兵を集めて戦うことも……って、あれ?


「イズミちゃん、今思いついたんだけど、私、もしかして悪役令嬢攻略してる?」


 思いついたままのことを口にすると、イズミちゃんは「え?」と首を傾げた。


「乙女ゲームというのは、あなたの気に入った異性と恋仲になるためにあれこれ計略を巡らせて努力するものじゃなかった?」

「あ、うん、そうなんだけど、世の中にはイロモノ枠というのもあるから、もしかしたら隠しルートで悪役令嬢とのGL百合ルートとかあったかもしれないし?」


 イズミちゃんが、なんとも言えない表情を浮かべた。

 私だって、そんなものないだろうとは思っているけど……「想定通りゲームが始まっていない」のではなく、「ゲームは始まっているけど想定したルートではない」という可能性も考えた方がいいんじゃないかとも思うのだ。

 今、私が進んでいるのが悪役令嬢ルートだとすれば、イヴェット様からの好感度がやけに高いと感じることの説明がつく。


「考えてみたら、イヴェット様だって能力的に王太子と遜色ない、攻撃寄り魔法DPSの才能あったはず……なら、私がタンク系物理と補助回復を頑張れば、イヴェット様との二人三脚で魔女戦いけるかも?」

「仮にも高位貴族のお嬢様がそんな戦場に出てくるかどうかという問題はあるけど、彼女の家の私兵は王立騎士団についで高名だ。

 頼りにはなるだろうね」


 可能性のありそうなことをあれこれ思って思考が飛び回る私に、イズミちゃんはいつものように静かに笑っていた。



 * * *



 というわけで、夏季休暇である。

 イヴェット様について別荘に行くため、夏期休暇が始まったその日のうちに、邸宅へと連れて行かれた。

 そこで、家政頭を任されているクレアさんを紹介され、出発までの五日間でパーティ準備の補佐の基本についてと上級使用人としての基本作法を詰め込まれることになった。

 ド・アマンス家でのこの経験が身について合格点をもらえれば、メイドどころか侍女見習いとして他家へ紹介しても問題ないくらいだとか。

 さすが侯爵家である。

 学園で、くれぐれも行動に注意してしっかりと学ぶように諭されたのは、そのためだろう。平民でしかない私にとって、破格の経験となるからだ。


 とはいえ、その経験を活かすも何も、無事魔女を倒したその先の話だが。




 そして、基本事項のレクチャーでどうにか及第点を取れた私は、別荘地へと向かう馬車に、イヴェット様と同乗している。

 いいんだろうか。


「パーティでは、基本的に殿下やその側近となる方をはじめ、我が家と懇意にしている貴族家の次代の方々を招くことになるわ」

「そうなんですね」

「どうしてだかわかって?」

「ええと……王太子殿下が即位された後、殿下を支える立場になる方々との交流を深めるためですか」

「そう。今のうちからきちんと把握しておかなければならないからよ。もちろん、以前から機を見ては行ってきていることだけど」


 別荘地のある地域のことやらパーティについての諸々やらを聞きつつ、車窓から外を眺める。すでに王都と周辺の都市部は抜けて、周囲に広がるのは麦やら何やらの畑ばかりだ。


 そして、パーティには王太子殿下やその側近たちが来るというなら、攻略チャンスはあるのかもしれない。

 悪役令嬢攻略も視野に入れつつこの夏をどうにか乗り切らねばならぬ――と、私は決意を新たにする。


「――今回滞在する別邸は、もともとは大伯母のものだったのよ。

 けれど、昨年くらいから体調を崩してしまわれたので、今年は管理状況の確認も兼ねてお貸しいただくことになったの」


 外を眺めながら、イヴェット様がぽつりと漏らした。


「イヴェット様の大伯母様、ですか」

「フィストロフ前侯爵夫人よ。前侯爵閣下が一昨年お亡くなりになって代替わりしてから、あまり外に出なくなってしまったの。わたくしも、最後にお会いしたのは昨年末かしら」


 イヴェット様は、ちょっと物憂げに溜息を吐いた。

 大伯母にはよくしてもらったものだと言って。


「きっと、前侯爵閣下が身罷られて気落ちしてしまわれたのね。とても仲睦まじいご夫婦だったから」

「そうなんですね……」


 イヴェット様は、何ともなしに大伯母の話を続ける。

 もともと今の国王陛下の叔父にあたる王子殿下と婚約を結び、愛情を育んでいたのだけど、その王子殿下は結婚前に夭逝してしまった。当時は王子殿下を愛していた大伯母は悲しみのあまり身体を壊してしまい、愛する王子殿下の後を追ってしまうのではないかと言われるほどだったとか。

 その大伯母の心を癒やし、妻として大切に慈しんだのが、前侯爵閣下らしい。


「――そんな話を読んだことがあるんですが……」

「ええ。大伯母と前侯爵閣下をモデルにした物語があるらしいわ」


 へえ、と私は目を丸くする。

 わかっちゃいたけど、この世界にもこの世界のお話があるんだなあ、と改めて考えてしまう。


 もし、ここが乙女ゲーム世界じゃなくて、魔女のことも遠い昔の伝説でしかなくて、単なる平民の突然変異で魔力が高かった私がたまたま学園に入れられたのだったら、私はいったい何をしていただろうか。

 少なくとも、こんな風にイヴェット様に面倒を見ていただいてることはなかったんじゃないか。


「――高貴な方々は政略で婚姻を結ぶことが多いから、愛情は二の次なんだとばかり聞いてました。でも、イヴェット様の大伯母様みたいに物語になるような恋をする方もいらっしゃるなんて、素敵ですね」


 イヴェット様は「そうね」と視線を外へ向けたまま、小さく頷いた。




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