1.ヒロイン、覚醒する
そもそものはじまりは十歳になると受けさせられる魔力検査だった。
先祖代々混じりけなしな庶民生まれ庶民育ちであるはずの私が、魔力検査でありえない数字をたたき出したのが、すべてのはじまりだったのだ。
強い魔力を持つのは、基本、貴族の血筋だけである。
もちろん、私に出生の秘密なんてものは何もない。父も母も代々続く平民でどこぞの名家へ奉公に出たこともないし、貴族との接点なんて何もない。子供である私が取り替えられるような隙もない。
なんなら、当時の私の誕生を手伝い、現在も元気にたくさんの子供を取り上げている産婆のロゼばあちゃんが保証してくれる。顔だって、幼いころから父そっくりだと皆から言われていて、母の浮気を疑う要素もない。
つまり、私がやんごとなき血筋のご落胤である可能性なんて欠片もないのだ。
そんな由緒正しき平民のはずの私が、どうしてだか高位貴族をしのぐほどの魔力を持って生まれてしまった。
日を置いて何度か再検査をしたけれど、結果は変わらず……
結局、話を聞き及んだ領主、つまりこの地方を治める伯爵閣下が、遠い昔に出奔したどこぞの貴族の血が混じったんだろうとむりやり結論を出したうえ、混乱を治めるためにと後見となってこの学園へと送り込んでくれたのだ。
家を出る前の夜、複雑な顔をした父と母は、くれぐれも領主の顔を潰すようなことをするなと何度も私に言い含めていたっけ。
だから、私もだいぶ気負ってこの学園の門をくぐったのだ。
* * *
勝手に平民代表の伯爵家名代みたいな気持ちになっていた私は、これ以上なく緊張していた。
周りは貴族ばかり。伯爵閣下の後見があったとしても所詮私はド庶民なのだ。
私の振る舞いひとつで伯爵閣下とか庶民への評価が決まってしまう。
なんて恐ろしい。
――が、イレギュラーにはトラブルがつきもので。
緊張のあまり、右手と右足を同時に出しながら一歩踏み出す私に、どこぞの貴族の馬車が雑に突っ込んできた。
もちろん慌てて避けたものの、その先に居合わせた男子生徒は紳士の中の紳士たるやんごとなきお方、王太子殿下だった。
目の前が真っ暗になるとは、このことである。
何より、なんで王子が徒歩で校門くぐってるんだよ、と言いたかった。
「怪我はないかい?」
「は、はっ、はい、大丈夫です!」
メインの王族の顔は、さすがの私でも知っている。
学園入学にあたり、伯爵閣下が付けてくださった教師から、同学年になる予定の大貴族や王族、さらには万が一彼らに相対することになった場合に必要な、最低限の礼儀作法をたたき込まれたからだ。
その、やんごとなき王太子殿下にぶち当たってヒッと息を呑む私に、殿下は宥めるように穏やかに優しく微笑んだ。
そのことにどきりと心臓が跳ねて……声が裏返る私の頭の奥に、「これ知ってる」と考える私がいた。
「とんだご無礼を……たいへん申し訳ありません!」
「そのように畏まらなくていい」
必死に頭を下げながら、殿下の声が遠くなる。
なぜだか、自分のことも周りのことが芝居でも眺めているように感じられて、どんどん実感が遠くなって――
「あ、おい、君、だいじょう――」
実際に目の前が暗転し、私は昏倒してしまったのだ。
「あら、気がついた?」
ガバッと起き上がった私の顔を、白衣を羽織った教師が覗き込んだ。
これは攻略対象でもなんでもないけど無駄に長髪イケメンな保険医の顔だ。
さすが学園ものだけあって、魔法があるファンタジー世界でも現実世界の学校とほぼ同じ構成なのである。
ちなみに、この保険医は、ヒロインが育成モードで戦闘不能になると出てきて蘇生してくれる、RPGで言うところの教会ポジションにあたるキャラだ。
――って、え?
「え?」
「安心しなさい、私は保険医のサンドラよ。ちゃんと朝ご飯は食べた? 女生徒の中には、腰の細さを維持するために朝ご飯抜く子が多いの。若いうちはそんなこと気にしないでちゃんと食べないと、健康を損なうのよ」
「いえ、あの、ちゃんと食べました」
呆然と凝視する私に、サンドラ先生はにっこりと微笑み返す。
さすが、攻略対象でもなんでもないのにファンが付くだけある、キラキラしい微笑みだ……と考えて、頭が混乱する。
私はキトリー。ジャルニー伯爵閣下の後見を得て、今日からこの王立ヴァルテレミー学園の生徒になった。
で、校門をくぐったところで馬車に突っ込まれて、避けたら王太子殿下に体当たりかましちゃって、その王太子殿下は攻略メインルートの王子様で……
「そうなの? じゃあ、元々が貧血気味なのかしらね。ちゃんとお肉食べなさい。偏食はダメよ。お肉も、赤身を選んで食べなさいね」
「はい、あの、それで、私どうしてここに……」
あら、と保険医が首を傾げる。
「その、私の記憶が確かならば、私、馬車を避けた拍子に王太子殿下にぶち当たってしまって……」
「ちゃんと覚えているわね? そう。あなたをここへ運んでくださったのは、ヴァレリー殿下よ」
「わた、私、超不敬な……」
「大丈夫。ちゃんと事故だったって殿下もご承知だから、安心しなさい」
私はほっと息を吐いた。
校門で王太子にぶつかるというのは、メインルート最初のイベントである。
だが、「ド庶民が王族に体当たり」というのは護衛に斬り捨てられてもおかしくない粗相でもある。
頭の中に「イベントちゃんと起こってるじゃんやったー」という歓喜と「王族相手に早々に不敬行為とか処刑!」という常識が同時に浮かんでぐちゃぐちゃだ。
「あ、あの、先生……」
「ん?」
「私、その、混乱して……その、頭が痛くて……」
「たしかに顔色が悪いわね――わかった、私から報告しておくから、今日は帰りなさい。あなたはたしか寮生よね?」
「はい」
「なら、学園の馬車を使いなさい」
「はい」
とにかく、頭の中を整理する時間がほしくて、私は入学初日からいきなり早退することにしたのだった。
* * *
乙女ゲームにとって、初日のイベントとはいろいろと大切なものである。
なのに、よりによってここがゲームの世界だと気づくきっかけが最初のイベントとは、どうなのか。
寮の自室へ戻った私は、正直頭を抱えていた。
自分が「キトリー」であるという意識はちゃんとある。
だが、「前世の記憶」がその邪魔をする。
ここは、前世にハマった“乙女ゲーム”の世界だ。
それは間違いない、らしい。
そのゲームの中で、ヒロインである私はこれぞと定めた攻略対象の好感度を上げつつ能力の育成にも励み、ゆくゆくはその攻略対象と協力して王国の平和を脅かす“災厄の魔女”と戦い、勝利してハッピーエンドを迎える……のだが。
「待って。つまり“災厄の魔女”が復活するのは確定で、その魔女を倒すには攻略対象の誰かを攻略しながら、自分のレベル上げもしなきゃいけないってこと?」
私の顔からさあっと血の気が引いていく。
“災厄の魔女”とは、この国で一番多く語られている建国の伝説だ。
遙か昔、この世界で悪の限りを尽くして人々を虐げていた“災厄の魔女”を、このヴァルドヴィス王国の建国王であり勇者でもあるヴァルテレミーと聖女フランセットが倒したという御伽噺である。
その悪役である“災厄の魔女”は、「早く寝ないと魔女に浚われちゃうぞ!」と子供を寝かしつけるときの常套句になっているくらいにはなじみのある“オバケ”なのだ。
もちろん、「伝説」というくらいだ。「魔女が復活する」と騒いだところで、たいていの人は冗談言うなと笑い飛ばして終わりだろう。
だがしかし、ゲームの背景では、すでに“魔女の封印”は破れていた。
今、魔女は力を取り戻すべく潜伏しているだけに過ぎない。ヒロインである私が、この学園を卒業する頃、力を取り戻した魔女が姿を現し、魔物を操り……
「最初に狙われるのって、王国の端っこにあるジャルニー領じゃない?」
ゲームでは、ヒロインが唯一魔女を倒すことのできる存在とされていた。
だから、力を取り戻した魔女はまず最初にヒロインの故郷を狙うのだ。
魔女はヒロインの心を折ろうと魔物を操って故郷を蹂躙するが、逆効果に終わる。ヒロインは、故郷を奪った魔女に怒りを燃え立たせ、ますます奮い立つのだ。
「いや、ただの物語ならいいよ? でも、それで恩義ある伯爵閣下とか、父さんとか母さんとか……」
私の喉がごくりと鳴る。
ヒロインの故郷が「魔女の襲撃を受けて」とナレ死するのはいつ頃だったか――私は震える手でノートを広げ、覚えている限りの情報を書き出した。
攻略者の誰でもいいから攻略しつつ、とにかく自分育成を進めなきゃいけない。できれば魔女が故郷を襲う前に、そこで迎え撃つための 準備を万全に整えなきゃいけない。
そして、書き出せば書き出すほど、私は頭を抱えざるを得なかった。
「サポートキャラいないと回らない……」
自分育成パートはなんとかなるだろう。
身体を鍛えて魔法の訓練をして座学も力を入れて……前世時代の私は育成パートが好きで、レベル上げみたいに延々と猿のように続けていられた。
だが、攻略パートはほぼほぼサポキャラ頼みだったのだ。
このゲーム、攻略対象に合わせて自分の育成をしなきゃいけない。
万能型タンクタイプの王太子ヴァレリーに、デバフとバフで後方支援タイプの宰相子息リシャール。それから物理攻撃特化の騎士団長子息ユーグと魔法攻撃特化の魔法師団長子息のフィリベール、バフと回復特化の神官長子息パスカル……と、攻略対象のクラスタイプはバラバラだ。
最初に誰を狙うか決めたうえでヒロインを育成しないと、魔女戦で目も当てられない事態になってしまう。
そして、乙女ゲームであるがゆえに、これぞと決めた相手の好感度を一定以上に上げないと、魔女との戦いで自動的にゲームオーバーとなる鬼仕様だった。
「好感度、いつもサポキャラに教えてもらってたんだよなあ……」
もちろん、相手の態度や台詞からもわかるようにもなっていたけれど、ものぐさな私はいつも手っ取り早くサポキャラに聞いていたのだ。
だから、「この台詞が聞ければ大丈夫」みたいな攻略情報をまったく覚えていない。ゲームのように「魔女との戦いで敗北を喫し」なんてナレーションが流れてゲームオーバーなんてことにはならないだろうが、負け確定の戦いはしたくない。
ゲームオーバーしたらセーブポイントからやり直せる保証がない。
何より、セーブポイントなんて見当たらない。
サポキャラである“泉の精霊”に会うためには、入学して最初の満月の夜に、学園の中庭にある噴水へ行けばいい。水面に映る満月にコインを一枚投げ入れて、この世界を作った女神への祈りを唱えれば、泉の精霊が現れて――
「何回コイン投げてもなかなか現れないし、もうシナリオスタートから三ヶ月も経っちゃったんだよ! その間、ひとりどころか全員塩対応なままで攻略進んだ気配はないし、一番鉄板の王太子すら声かけするスキも無くて、もうどうしたらいいか全然わかんないの!」
テンパった私が今の事情をぶちまけても、“泉の精霊”はぽかんと呆気にとられた顔をしているだけだった。
挙げ句の果てに、サポートキャラが何かどころか「自分が泉の精霊なのかもわからない」って……
「サポキャラが記憶喪失とか、どうなってるの!? バグ!?」
私はこれからいったいどうやって攻略を進めればいいのだ。