エピローグ わが家は幽世の貸本屋さん
――時は流れ、流れゆく。時間は誰にも止めることはできない。
現し世では多くの命が生まれ、そして死んでいった。百年もすれば町は様変わりする。人々の価値観すら変わってしまう。何百年も経てばもはや別世界だ。人間の命は儚いものだ。だからこそ、今を生きている人間はその時々を懸命に生きている。
だが、現し世と薄紙一枚で隔たれている幽世はそうではない。停滞を好み、ゆっくりとした変化が常である幽世では、たかだか数百年では顔振りも町並みも変わらない。太陽を知らない世界は、今日も今日とて同じような日常を繰り返している。
「らっしゃい! らっしゃい!」
「今日は魚が安いよ~! どうだい奥さん。おまけするよ!」
威勢のいい呼び込みが飛び交う幽世の町。大通りは大勢のあやかしたちで賑わっている。
冬は明けたばかりだ。ようやく雪解けを迎え、棲み家から這い出てきたあやかしたちが、狭い穴倉で溜めた鬱憤を晴らそうと往来を賑わせている。
そんな往来を下駄をカラコロ鳴らして歩く男がひとり。懐かしげに目を細めながら、あやかしたちの間をゆったりと進む。
道行くあやかしたちは、誰も彼もが男を見つけるとソワソワと落ち着かない様子を見せた。しかし、彼に一番に声をかけるのは誰であるべきか知っていたから、静かに男の行く末を見守っている。
やがて男がたどり着いたのは、大通りの外れにある一軒の店だ。繁華街からは外れているというのにやたら店頭が賑わっている。不思議に思った男は店頭をひょいと覗きこんだ。入り口の前に大きなワゴンが設置されている。積まれているのは――真新しい本だった。
「大変お待たせしましたっ! 幽世拾遺集の新刊は本日発売だよ~!」
すると、景気のいい声が男の耳に届いた。驚いて顔を上げると、店の前でひとりの少女が賢明に呼び込みをしている。
「とうとう第三十巻! 記念号には、現し世あやかし界のドン、河童の遠近とみんなご存知ぬらりひょんの対談も収録されてるよっ! さあ買った買った!」
「オイ、購入じゃなくて貸本で利用したいんだが……」
ひとりのあやかしが声をかける。少女は大きくかぶりを振った。
「ざあんねん。貸本分はもう予約で埋まっちゃいました! キャンセル待ちをしたいなら、薬屋に回ってちょうだいね!」
少女が店を指差した。どうやら貸本屋と薬屋を併設しているらしい。なるほどな、と男は感心している。
しょり、と無精髭を指で擦る。男は貸本屋をじっくり眺めた。店の奥に黒い毛玉が二匹転がっているのが見える。黒猫と紅い斑のある犬だ。仲睦まじい様子で寄り添っていたかと思うと、黒猫の機嫌を損ねたのか、犬は強烈な猫パンチを見舞われていた。
男は笑いを浮かべると、おもむろに少女へ近づいて行った。
「……おっ! 初めて見る顔ですねっ!」
少女は男の存在に気がつくと笑顔を浮かべた。人懐っこそうな印象がある。
「おじさん、貸本屋の利用は初めて? 大丈夫? あたしが説明してあげようか?」
栗色の瞳をキラキラ輝かせ、男を見上げている。興奮で顔を染めてウズウズと落ち着かない様子だ。どうやら店を紹介したくてしたくてたまらないらしい。
男は苦笑を浮かべると、少女の頭をポンと叩いて言った。
「……ああ。頼む。ここはどういう店なんだ?」
ぱあっと顔を輝かせた少女は、コホンと小さく咳払いをした。
「ここは、初代曲亭馬琴、次代東雲、三代目村本夏織が作り上げた幽世唯一の貸本屋です! もちろん本の品揃えも幽世で一番! 面白い本が読みたいっ! 泣ける話でさっぱりしたいっ! 本がないと夜も眠れない! そんな時に必要な店。……そうっ!」
最後ににっこり太陽みたいに笑うと――どこか誇らしげにこう言った。
「ようこそお越しくださいました! お探しの本はございますか? 本のご用命は、ぜひ幽世の貸本屋でどうぞ……!」
これにて完結です。長い間、応援ありがとうございました!
ことのは文庫にて書籍版、コミックELMOにてコミカライズが連載中です。
どうぞよろしくお願いします。




