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断罪者  作者: 天野悠午
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六章

 りおと神崎が再会してからどれくらいの時間が経過しているのだろう。この死者の部屋(そもそもここが何処なのかも謎なのだが)は当たり前のように何処にも時計が置いてない。ただ一つ確かなのは、ここの部屋に時計はないが神崎は腕時計をしている。彼が時計を触っているのを目にしてから、りおはそのことがずっと気になっていた。


「―この時計が気になる?」


 先にそのことを切り出したのは神崎の方だった。まるで自分の心の中が見透かされているような気がして、りおは思わず神崎から顔を背けた。


「あ…あの、その時計って動いているんですか? だってこの部屋、どこにも時計なんてないじゃないですか? ひょっとしたらその時計で今の時間が分かるかなぁ、なーんて…」


 あはは、と笑いながら、りおはなんとかその場をやり過ごそうとした。


「分かるわけないじゃない。だって…」


 そう言いながら腕時計を着けた左手をりおに向ける。時計の針は一切動いておらず、五時三十二分三十五秒の時間で止っていた。


「これはおそらく、僕が殺された時間で止っているんだと思います」


 時計に目をやり神崎が呟いた。


「で…ですよね…」


 苦笑いを浮かべりおは答えた。


「りおちゃん。この時計に全然見覚えない?」


 りおの様子を見ながら神崎が尋ねた。


「いえ。この時計、私と何か関係あるんですか?」


「いや、なんでもない。あ、それより、これまでにあの人もこの人もって犯人と思わしき人物を探してきたけど、結局まだこれと言った容疑者が特定出来てないよね? でも犯人探しはこれが最後だと思う。これで見つからなかった場合、僕たちは迷宮入り。ジ・エンドだ。最後は、りおちゃんが殺害される前日の舞台…」


「…舞台『Baku』のセミファイナル…」


 絞り出すような声でりおは答えた。

 神崎はそれに黙って頷く。


「人の夢を食べるバク。その人の持っている夢を食べ、願いを叶える能力を持っている主人公の少年バク。そのバクと友人六人との奇妙な物語。りおちゃんはその作品でバクを支える、ヒロインの浅見優役でしたね。そういえばさっき、この舞台はりおちゃんにとって、とても思い入れが強い舞台って言ってたよね?」


「うん。どうしてもこの作品を成功させるよう他の仕事を全部ストップさせ、これ一本に専念してたの。でも…」


 りおは声を詰まらせた。


「でも?」


「でも…今はなんで思い入れが強かったのか全然思い出せない…」


「りおちゃんはどんな仕事も手を抜かずに頑張ってるのを知ってるよ。特に『この仕事は』ってことはなく。だからそんなに深く考えることないよ」


 優しい表情で神崎が答えた。が、りおは反論する。


「そうじゃないんです。この仕事は自分にとって何か節目的な想いがあったはずなんです…」


「それはゆっくり思い出してくれればいい。じゃありおちゃんにこの舞台について幾つか聞いていくね。まず出演者は全員で何人ぐらいなの?」


「ダブルキャストも含めると…えーと確か四十八人です。でも演出やスタッフさんも含めると…もっとたくさんいます」


「そんなに? これは一人一人地道にやっていくしかないな…。仕方ありません。それじゃありおちゃん。次は共演者の名前を一人ずつ上げていって、その後簡単にどういう人なのかを僕に教えてくれるかな?」


「え、はい。まずは主役のバク役の三宮素秋そしゅうくん。言わずと知れたジャーニーズ出身の超人気アイドルで、最初に会ったのは顔合わせのときでした。たくさんファンがいて普通だったら天狗になるところなのに、私より一つ年下なのに凄く謙虚な子で、最初から最後までとても優しかったです」


「たぶん事務所の教育がしっかりしてるんだろうね」


「はい。きっとそうだと思います…って、え? まさかこういうのを全員分話すんですか?」


 りおはうんざりとした表情で少しだけ乱暴に答えた。

 少なく見積もってもざっと四十名以上の関係者がいるのだ。これでもし誰も容疑者が特定出来なかったとしたら、また一から容疑者探しをすることになるのか。気が遠くなっていくような思いがした。


「気持ちは分かるけど、これしか方法がないんだよ」


『それは分かってますけど』と今にも口から出そうになったが、神崎の表情を見た途端、りおはその言葉を押し殺した。疲れているのは神崎も同じだからだ。りおは力強く「分かりました」とだけ答えた。


「じゃあ彼がりおちゃんを恨んでいたり殺しそうな動機について何か心当たりはあるかな?」


 少し低い声で神崎は尋ねた。


「動機ですか? そんなの分かんなんですよ。たぶん素秋くんはそんなのないと思いますけど…」


 りおは弱気な口調で返す。神崎はふーっと息を付き、先を促した。


「じゃあ次…小澤さん、小澤椿さんはどうかな?」


「え? 椿さん? 私の演じてた優のお姉さん。浅見麻耶役の小澤椿さんですか?」


 りおは少し意外そうな表情で尋ねた。

 どうして神崎が小澤椿の名前を出したのか。小澤椿はキャスト順からしてもお世辞にもメインと呼べる役ではなく、どちらかといえば脇を固める役だ。しかも小澤椿はダブルキャストでその内の一人だ。それがどうしてメインを差し置いて彼女の名前が主役の次に出たのか。「もしかして」と何かを感じたりおは思い切って神崎に尋ねた。


「もしかして椿さんって…私たちの共通の知り合いなんですか…?」


「小澤椿は元アルファビジョンの所属タレントなんだよ」


「え? そうだったんですか? 全然知りませんでした。椿さんって確か…」


「ホールカンパニー。その後大手の事務所に移籍したんだ。以前はうちの事務所にいたって聞いてなかった?」


「あ…ええ。でも椿さん。稽古中もまるで本当のお姉さんのように私を可愛がってくれてたんで、だから椿さんが犯人って線もきっとないと思いますよ」


「…それはどうかな?」


「え?」


「実は僕は、最初から彼女が怪しいと睨んでいたんだ」


 神崎は少し間を置いて答えた。

 いきなりの神崎の発言に、りおは一瞬声が釣り上がりそうになった。


「彼女、実は…君と同じ浅見優役のオーディションを受けていたんだ。でも結果は君がヒロインの役を勝ち取った。椿は主役ではないが、君のお姉さん役として選ばれ出演をしている。僕とりおちゃんとの共通の知り合いが、この舞台の関係者の中にいるのだとしたら、彼女以外には考えられない」


 神崎はそう言っているが、りおには合点のいかないことが一つあった。それはとてもシンプルな問題だった。


「―そんなことで人を殺せるものなんですか?」


「そんなこと?」


 意外そうな表情で神崎は尋ねた。


「だって、自分がヒロインに選ばれなかったからって理由で、簡単に人を殺せるものなんですか?」


「…君にとっては『そんなこと』なのかもしれない。でもそんなことかどうかを決めるのは本人だ。僕が何故、椿を犯人と睨んでいながら、わざわざ君との出会いから、振り返りながら話しをしたか分かるかい?」


 りおは黙って首を横に振った。


「さっきからずっと何度も言ってるけど、人は見た目や印象で決めつけちゃ駄目なんだ。その裏で人という生き物は何を考えているか分からない。椿は誰が見ても、とても美くしい部類に入る容姿だ」


 それを聞いてりおはコクリと頷いた。


「でも情は捨てろ。客観的に物事を疑え。そう分かって欲しくて、まずは君の思い入れのある人たちを疑うフリをしてみたんだ」


「そんな…」


 りおの言葉を待たずに神崎は冷静な口調で話しを続ける。


「椿は、今はうちのタレントではないので、事件前夜にあった君との食事には参加していない。一応僕の方から声は掛けてはみたが、『連日の公演で疲れているのと、明日は千秋楽なんで、今日は真っすぐ家に帰ります』と言ってそのまま帰宅をした。その日の夜、彼女の住んでいる池袋のマンションの防犯カメラに彼女が写っていたので彼女のアリバイは立証されている」


「じゃあ椿さんはシロなんじゃあ…」


「いや。僕の推理では依頼したのは彼女で、殺害の実行犯。つまり共犯者が別にいるはずです」


「どうしてそこまで彼女だと決めつけるんですか?」


「あいつが自分の口で君に死んで欲しいって言ったからだ!」


「え…?」


 険しい顔つきで神崎が言い放つ。


 ―しばらく沈黙が続き、その後、ゆっくりと神崎の方から口を開いた。


「実は…もう時効だし、何より死んでしまってるから話しをしてもいいんだけど、付き合ってたんだ椿と。事務所にいた時代から…」


「そうだったんですか?」


「だからバクの稽古期間中も君のことをずっと聞かされていたよ。今日のりおちゃんはこうだったとか、ああだったとか。台詞でここの部分に驚かされたとか、休憩中に何を食べていたとか…」


「え? そうなんですか? なんか怖いですね、それって…」


「彼女は君の身近にいる一番のファンだったからね。僕以上に…」


 笑顔を浮かべながら神崎は言った。


「―彼女は佐々木りおの大ファンだったんだよ。君と出会う前から、君の出演しているテレビや映画や舞台。そしてCDや雑誌、写真集。全て欠かさずチェックしていたよ。そしてバクの舞台の出演が決まり、君と共演出来るとなった時の彼女の喜びようといったら尋常じゃあなかったよ」


「でも、私のファンだとしたら、私を殺すのっておかしくないですか?」


「君の大ファンだけど、ある時気付いたんだよ。佐々木りおが見ている景色を同じように自分も見たいって。それには佐々木りおが邪魔なんだと…。だから彼女は、君に死んで欲しいって言ってたんだよ」


『―歪んだ愛情』


 今までの小澤椿の自分への接し方。あれは全て自分のことを観察しているため。りおは気分が悪くなり、思わず口を手で覆った。


「りおちゃん…大丈夫かい?」


 神崎がりおに声を掛けるがしばらく返事をすることが出来なかった。心配で近付いてくる神崎をりおは黙って手で制す。その後ふーっと大きく息を吐き出し、自分の思っていることを神崎にぶつけた。


「もしかして神崎さん、その共犯者も誰なのか知ってるんじゃないですか?」


「え?」


「さっき神崎さん、『だったら共犯者が別にいるはず』って言ってましたよね? 椿さんが犯人と疑うんなら、もちろんその共犯者もある程度の目星が付いてるってことですよね?」


 神崎は否定も肯定もしない。ただ黙ってりおの話しを聞いている。が、その口元には笑みが浮かんでいた。りおはそれに気付かず話を続ける。


「―私、神崎さんの話しを聞いててなんか分かっちゃいました。閃いたって言うんですか、その共犯者が誰なのか。本当の犯人が誰なのか…」


 りおの目はじっと神崎の方を向いている。しかし神崎の表情は変わらない。しばらくの沈黙後、彼の方から口を開いた。


「じゃあ聞きましょうか? その共犯者、そして本当の犯人が誰なのかを?」


 再び沈黙が流れ、今度はりおの方が笑みを浮かべている。

 そして彼女は答えた。


「―いません」


 その答えを聞いても神崎の表情は一向に変わらない。


「もう一度言いますね。いないんです。元々共犯者も犯人も存在しないんです」


「一体どういうことですか?」


「だから、私は死んでないんです。もちろん神崎さん、あなたも―」


「りおちゃん。言ってる意味がよく分からないな」


「ここはきっと何処かの部屋で、私は監禁されてるんですよね? そして神崎さんは、これから本当に私を殺そうとしている。これってそういう状況ですよね?」


「なぜそう言い切れるんだい?」


「これまでの話しから推測すると、私と神崎さんの共通の知り合いが犯人というのが絶対的条件の中で、唯一の容疑者である椿さんが犯人だった場合、誰かしらの協力者がいる。そう神崎さんは言いましたよね? でもそれだとおかしいんです。第三者が実行犯だった場合、憎しみを込めたように滅多刺しなんてするでしょうか? いいえ。しないと思います。例えそれがプロの殺し屋だったとすると、もっと緻密に犯行を実行するはずです。ましてや凶器が裁ち鋏なんて子供じゃあるまいし。だったらもっと鋭利な刃物とかを使うでしょ? 普通―」


 神崎の言葉を待たずにりおは話しを続ける。


「それに、私が殺された四年後に神崎さんが殺されているんなら、それまでに神崎さんぐらい頭の切れる人ならどうにか出来てたはずなんじゃないですか? 神崎さんのお兄さん、刑事さんなんですよね?」


「良く覚えていたね」


「どうも。おかげさまで台詞を覚える記憶力はいいですから…」


 皮肉たっぷりに答え、りおは更に話しを続ける。


「だから、考えれば考えるほど、この事件の中で矛盾してる点がいくつもあるんです。もしこれがベタな作品だったなら、きっと神崎さんはさっきの映像に写った凶器と同じ裁ち鋏でこれから私を殺そうとしているはず。動機は私への復讐で。だから案外その上着の内ポケットの中に凶器を仕込ませてたりして。まさかそんな単純なことはしないでしょうけど…」


「それは僕と駆け引きをしているつもりなのかい? それはまぁいいとして…。じゃあ今度は僕が質問をする番です。君の記録の欠如。これはどう説明するのかな?」


「え?」


「りおちゃんの記憶が抜け落ちた話だよ」


「それは…」


 それについてりおは答えることが出来なかった。


「君が『社長が泣いている姿しか頭に浮かばない』と自分で言ったんだ。それについて説明が欲しいな」


「そ…それは…たぶん頭をぶつけてそれで軽い記憶喪失になって…それも何かの拍子に思い出す、ただの一時的なものです」


 しばらく間を空けたあと、ゆっくりした低い口調で神崎が話し始めた。


「りおちゃんの言う記憶の欠如、僕も同じ症状だったようだ。りおちゃんの推理を聞きながら今あることを思い出したよ」


「…何をですか?」


「共犯者が誰なのか…」


「…誰なんですか?」


 ゴクリと唾を飲み込みりおが尋ねた。


「―それは僕です」


「え?」


「…君を殺した実行犯…実は僕だったんだよ。依頼者は小澤椿…。これが真実。そしてこれが最後の質問です。君は、殺しを実行した人物と依頼をした人物。どちらか一方しか恨むことが出来なかったとしたら、どちらを恨む?」


「なに話しをすり変えてるんですか? だから私は死んでません!」


「もう一度聞こう。…もし殺しを依頼した人物が椿で、君を殺した人物が僕だとしたら…君はどちらに呪いをかけるかい?」


 りおをじっと見つめ神崎は尋ねた。


「私は死んでないって言ってるじゃないですか!」


 声を荒げるりお。神崎は気にする素振りもなく続ける。


「舞台の終演後、君と僕、そして社長も含めた事務所の関係者数人と一緒に食事に行ったんです。その後君は一人でタクシーで帰った。事件はそのタクシーから降りた後だった。僕は先回りしてマンションの前で君が到着するのを待っていた。秋の終わりでその日は少し肌寒かったなぁ。しばらくしてから君を乗せたタクシーがマンションの前で止った。支払いを済ませタクシーを降りる君。アルコールの入った赤ら顔で棒立ちの僕を発見した―」


『あれー? 神崎さん? どうしたんですかあ?』


「君はこう言った。さっき別れたばかりの僕が何故今ここにいるのか。君はそんな驚いた顔をしていたよ」


『…忘れ物。何回かりおちゃんの携帯に電話したんだけど圏外で出れなかったみたいだから…僕の方が先に着いちゃったみたいだね』『あーそうなんですか? 別に明日でも良かったのにい』


「アルコールが入っていたからか、君は何の疑いもせず、そのことを気にする様子すらなかった。僕は何も言わずに、その場でずっと俯いていた。今にして思うと、土壇場になって犯行を犯そうか犯すまいか迷っていたからだ」


『―で? 忘れ物ってなんなんですか?』


「と、君が尋ねた。僕は心を決めた。『これだよ』と言って上着の内ポケットから裁ち鋏を取り出し、君のそばまで駆け寄ると、そのまま君の喉元目掛けその裁ち鋏を突き刺した。頸動脈に刺さったのか、その時点でそこから大量の血が吹き出していた。『なんで?』君はそう尋ねた」


『ごめんねりおちゃん。もうこうするしかなかったんだよ。君が存在すると彼女が芸能界でのし上がれない。君のマネージャーをしてて分かったんだ。あぁ、君のような人間がこの世界で上にいける逸材なんだなって。でも、僕は彼女を…のし上げるため君を殺さなければいけない。椿は美しい。が、それだけのタレントだ。彼女がもっとのし上がるためには…君にいてもらっちゃあ困るんだよ!』


「何度も何度も君に『ごめんね』と謝罪しながら、僕は無我夢中で君を刺し続けた。気付いた時には電信柱に血だらけで横たわってる君がいた。僕は慌ててその場を離れた」


 りおは放心状態で神崎の話しを聞いている。いや、きちんと聞いているのかさえ分からなかったが、神崎は気にする素振りも見せず、そのまま話しを続けた。


「君の遺体が発見されたのは舞台千秋楽の日の明け方だ。本来であれば当然公演は中止となるはずだ。しかし、椿はプロデューサーと演出家に君の配役、浅見優役をやらせてくれ。と嘆願した。りおさんの遺志を継ぎたいからと言って。彼女は君と比べて演技は劣っていたが、浅見優の台詞、段取り、ダンス、全て覚えていた。椿の役はもう一人のダブルキャストの女優に代わってもらい、見事に追悼公演となった千秋楽をやり遂げた。世間からは、たった一日、いや、短時間で覚えた段取りで千秋楽をやり終えた女優として一躍時の人となった。その後の椿の女優人生は…ここからは言わなくても分かるよね?」


 りおは俯いたまま何も話そうとしない。さらに神崎は話しを続ける。


「彼女は…小澤椿は、実はずっと君のことを嫉妬していたんだ。君がいなくなればいいって。消えてしまえばいいって。泣きながら何度も僕に言ってたよ。それは事務所のマネージャーとしての僕に言ったのか。恋人としての僕に言ったのかは分からないが…。そして、彼女の代わりに僕が君を殺した。次の日、その報告を聞いた椿に僕は言ったんだ。『とんでもないことになったが、君にとってこれは千載一遇のチャンスだ。絶対にこのチャンスを物にするんだ』と。…でも心の中ではこう付け加えてやった。『君の祈りが通じたんだ。りおに呪いが下ったんだよ』と」


 ようやくりおが重たい口を開く。


「そしたら、なんで神崎さんがここにいるんですか? 神崎さんも殺されてなきゃここにはいないはず。どうしてあなたもここにいるんですか?」


 まだ話しは終わっていない。そう言わんばかりに神崎の話しは続く。


「こうして、彼女が大女優の道を歩み続けてから数年後のある日。僕は彼女に言ってやった。『君のあの時の願いが叶って、佐々木りおに呪いが下った。あれから何年経ったっけ? 頂に上り詰めた景色はどうだい?』と。その日から、彼女の態度が明らかに変わっていった。おそらく、りおを殺した犯人が僕だということに気付いたんだろう。そこから彼女の苦悩が始まった。罪の意識に苛まれ、みるみるうちに窶れていき常に虚ろな表情に。当然彼女の仕事も激減した。僕はというと、君が死んでから、ほぼ毎日のように君の殺された現場近くでビラを配っていた。まぁ正直に言うと、自分が疑われないためのカモフラージュだったんだけどね。今でこそマネージャーをやっているが、元々僕は俳優だ。演じるのは上手いんだよ。『佐々木りおの事件についての情報を探しています。情報はどんなことでも結構です。何卒、犯人逮捕にご協力を、ご協力をお願い致します!』とね。その日、僕が殺された日。小雨が降っていた。天候のせいもあってかあまり人気もなく辺りは薄暗かった。しばらくして僕の携帯から着信があった。兄の正哉からだ。僕は兄の電話に出た。片手に携帯電話。もう片一方の手には傘と数枚のビラ。両手は完全に塞がっていた。その時だ。痛みと同時に首の辺りがどんどんどんどん熱くなっていくのが分かった。振り返ると、黒いレインコートを着た女性が立っていた。俺はすぐにそれが椿だと分かった。拒食症になり、その頃には骨と皮だけになっていた椿は弱々しい声でこう言った。『このままじゃ私の夢が、いえ、私自身が破綻してしまう。だからごめんなさい。消えてください』と。『なぜだ?』僕は何度も何度も彼女に尋ねた。僕は小澤椿に殺されたんだ…」


 りおは脱力していて何も答えることが出来なかった。神崎は更に追い打ちをかける。


「もう一度聞こう。君は君を殺した僕と。殺しを依頼した椿。どちらを恨む…どちらに呪いをかけるんだい?」


 りおにゆっくりと近づきながら神崎は尋ねた。


「―何言ってるんですか? 確かに椿さんは私に消えて欲しいって言ったのかもしれないけど、そんなのただの愚痴でしょ? そんなこと私にだって経験がある。でも実際に私を殺したのは、あなたじゃないですか?」


 りおは一定の距離を保つため、後ずさりをしながらその質問に答えた。


「確かに実際に手を下したのは僕だ。でもそれは椿の意志なんだよ。それを僕が成り代わって実行しただけだ。でも呪いを掛けたくても僕はすでに彼女に殺されて此処にいる。君は、必然的に椿に呪いをかける選択肢しかないんだよ」


 まるで演説でもしているかのような身振り手振りも交えて話しをする神崎。りおはそんな神崎を怒りに満ちた表情で睨んでいる。その表情を察してか神崎はりおの顔を覗き込み、耳元まで来てこう呟いた。


「安心してくれ、りおちゃん。僕も今は小澤椿を恨んでいる。死ねばいいと願っているんだ。自分のわがままで君に死んで欲しいって言ってたくせに。だから一緒に、椿を呪おう」


「…嫉妬なんて生きていれば誰でも思うことだってあるでしょ。…そんなことで人を殺すなんて…馬鹿じゃないの? あんたの方こそ死ねばいいのよ…」


 りおは俄に震えた声で呟く。


「残念、もう僕はとっくに死んでるんだよ」


 小馬鹿にした口調で神崎は答えた。


「例え死んでたって…もう一回死んじゃえばいいのよ。私の夢…私の仕事…いろんな物…奪っておいて…。返してよ…私の夢を返してよ!!」


 ガックリと膝を落とし号泣するりお。その泣き声が部屋全体に響く。貶んだような目で上からりおを見下ろしながら神崎は言った。


「―そんなこと? いろんな物を奪っておいて? 死んじゃえばいい? …か。では新たな質問をしよう。嫉妬した人間が邪魔だからという理由でその相手を殺した。もしあなたが被害者の立場だったとしたら、どう思いますか?」


「…だから、そんなくだらない理由で殺しなんてするような人、人間じゃない。人間の皮を被った悪魔よ!!」


「―大正解。悪魔だよねぇ。…でも、そんなそんなくだらない『嫉妬』という理由で残酷な手法で人を殺め、その犠牲になって人生の幕を下ろした人間がいるんだよ」


 りおはその言葉に驚き神崎の方を見た。神崎の目に涙が浮かんでいるのが分かった。


「本当に…本当に…そんなくだらない理由で殺されてるんだよ、ただの嫉妬で…りおは…。そして…弟は…」


 神崎の声が今までより一オクターブ低くなる。声が怒りでわなないているのがりおには分かった。


「…あなた…誰? …神崎さん…じゃないの?」


 感情の乗っていない声でりおは尋ねた。


「神崎さん? …神崎さんですよ。ただし、今目の前にいるのは、あんたのよく知っている神崎じゃないがなぁ」


「え?」


「俺の本当の名前は正哉。神崎正哉。あんたに殺された神崎直哉の双子の兄だ」


「―あんたに殺されたって? 何言ってんの? 殺されてるの…私じゃないの?」


 りおのその言葉に、神崎は声を上げ笑った。


「お前まだ自分が佐々木りおだと思ってるのか? 本当に病気だな。…教えてやるよ。お前の正体を―」


「…私の…正体?」


「お前は佐々木りおじゃない。お前の本当の名前は…磯野笑美。広島県にお住まいのペンネームエビちゃん。それがお前の正体だ。お前が佐々木りおを殺したんだ」


 先ほどまでの優しい表情とは一変、気が付くと神崎は悪魔のような恐ろしい顔になっていた。元々大きい目を更に大きく見開き、口元には不敵な笑みを浮かべている。痩せこけた頬が更にその恐怖を増幅させている。


「何わけのわかならないこと言ってんのよ? なんで私がエビちゃんなの? 私はりお。誰が何と言おうと正真正銘の佐々木りおよ!」


 りおは声を荒げ答えた。


「―解離性同一性障害…」


 神崎がりおの顔を見ながら呟いた。


「解離性同一性障害。別名DID。簡単に言うと、多重人格障害。それがお前の病名だ」


「多重人格…?」


「自分にとって堪えられない状況を、自分のことではないと感じたり、自分の足りない部分、コンプレックスの部分を補う人格。つまりは自分の理想の人物を創り出す。それが佐々木りおという人格だ」


「嘘よ…」


「嘘じゃない」


 神崎は間髪入れずに答えた。


「だって私、昨日のことも。舞台のことも。他のお仕事のことも。子供の頃のことも、全部覚えてるもん」


「それはあんたが人格の交代に気付いていないだけだ」


「だったら…だったらりおは架空の人物ってこと…?」


「その発想は佐々木りおとしてなのか? 磯野笑美としてなのか? とても無知な発想だ。別に違う人格と言ったって、この世に存在しない人になるだけじゃない。何かの拍子に、自分の憧れている人物に強くなろうとすることだってある。子供の頃になかったか? あのドラマのヒロインみたいになりたいとか。あのアイドルみたいになりたいとか。あの女優みたいになりたいとか…。それが度を超えたみたいなものだ」


「…ちがう…ちがう…」


 首を横に振りながらりおは答えた。


「お前のことは全て調べ尽くしてるんだよ。お前は本物の佐々木りおさんが出演する舞台を観終わり、その後の食事が終わって一人で帰宅したりおさんを襲撃して殺害をした。ただし俺がその真相に辿り着いたのは、りおさんが殺された四年後、つまり弟が殺された後だった。最初にお前に見せた殺害の映像は、本物のりおさんのものだ。今着ている洋服も、お前を信じ込ませるために同じ物を発注して着させたんだ。ずっと佐々木りおになりたかったんだろう? ありがたく思え」


「…あ…あなたの映像は?」


 りおは俯いたまま神崎に質問をした。


「もちろん…お前に殺された弟のものだ。お前を逮捕した後、家庭裁判所で過去の資料を調べたよ。磯野笑美。笑顔が美しいと書いて笑美。本物のりおさんも言っていたが、両親に付けてもらった良い名前じゃないか。その名前をお前は自分の意志で改名した。学生時代からずっとこの名前で友達に笑われている、苛められている。自分の顔はブスなのに、笑顔が美しいというこの名前は、生きていくうえで重荷になる。そんな理由で。そして二十歳になったと同時に家庭裁判所で正式に改名手続きを行い。現在の『磯野りお』になった。まさかお前があのエビちゃんだったとはなあ。手の込んだ殺害計画だな。それとも、ただりおさんと同じ名前が欲しかっただけなのか?」


 沈黙のりお。更に神崎は話しを続ける。


「りおさんの舞台を観終わった後、劇場からずっと尾行していたんだろう? といっても今のお前は自分の都合の良いことしか覚えてないか。かなりりおさんに恨みがあったんだろうなぁ。数十カ所首を刺した跡があった。そんなに死んで欲しかったのか? りおさんに…」


「やめて…」


 りおは体を震わせ、俯いたまま呟く。


「そして数年後、顔もりおさんそっくりに整形をし、りおさんと同じレッスン生として養成所に入った。ただし、本物のりおさんと違い特待生ではなく研修生としてだけどな。そして今度は弟の直哉だ。二回目のレッスン…」


「やめて…」


「さっき二回目のレッスンの時に初めて俺に会ったって言っただろう。あれはおそらく、お前が直哉と初めて会った時の記憶だ。出会った瞬間、同じりおという名前。りおさんにそっくりなお前の容姿を見て、直哉はすぐにピーンと来た。そして俺に相談をした。俺はとりあえず直哉に、転がせと助言をした。お前がいつかボロを出してくれるんじゃないかと思ってな。それから直哉は事ある毎に理由を付けて出来るだけお前に接触をした。お前がさっきまで俺と馴れ馴れしく会話が出来ていたのは、何もりおとしてだけではなく、たんにお前が俺そっくりの弟と仲が良かっただけのことだ。…でもそれが俺たち兄弟の大きな誤算だった。だんだんと直哉の行動を不審に感じたお前は、自分のことを怪しんでいるということに気付き、今度は弟も殺害した。凶器も同じ裁ち鋏。しかも、りおさんと同じように首を数十カ所刺してな。直哉は俺に言ってたよ。『研修生としてのお前は、ホントに演技も下手くそで、存在感もまるでない、ただの顔だけのゆとり世代のくそ女優』だと。まぁその顔も偽物だったんだけどなぁ…」


「やめて…」


「すぐにお前は神崎直哉殺害の容疑で俺に逮捕送検される。しかしお前は、逮捕後から人格がすっかり磯野りおではなく佐々木りおに代わってしまっていた。自分の名前を聞いても、佐々木りおと言って譲らなかった。そしてお前は、その後の裁判でも、精神障害者であるという理由から、精神鑑定後に心神喪失と診断された。…心神喪失は刑法では罰しないとあるが、そんなの無罪と同じだ。なぁ? そんなこと許されるのか? 直哉もりおさんも帰らぬ人になっているのに…お前だけが…」


「やめて…」


 りおの声が次第に低く、そして荒くなっているのに神崎は気付いていたが、話しを止める気配はない。


「家宅捜査をしたお前の部屋には、りおさんが出した全てのCDとDVD。ラジオの録音テープが数百本。そして雑誌や写真集、ポスターやカレンダーが大量に押収された。自分じゃ気付いちゃいないだろうが、りおとして話した俺との会話は、彼女がテレビ、ラジオで話した内容や雑誌の情報を、お前が無意識に織り交ぜて話しをしていただけだ。『浦部社長に言われた、男前だな。という発言』『事務所の志望動機』『上木慶太の、君はプロの役者さんなの? という言葉』『久保田彰とのゴシップ記事』『信じて欲しいときは相手の目を見て話す癖』。これらは全てラジオや、雑誌で掲載されていた内容だ。目が悪いと言ったのはお前の方の記憶だろうな。黒ぶちメガネのエビちゃんの。中身は変わっても視力はエビちゃんのままのようだ。社長の泣いている姿しか脳裏に浮かばないというのは、仰せの通りにりおさんが殺害された際の記者会見の時の社長の姿だ。後にも先にも社長がTVに出演したのはこれ一回限りだ。泣いている顔しか思い出せないんじゃない。お前にはそれしか情報がないからだ。お前が知っているりおさんや周りの情報は、ほんの一握りしかないんだ。知らないだろう? 本物の佐々木りおは、実は煙草も吸うし、悪態も付く。疲れると平気で仕事を休みたいと言って駄々をこねる、典型的なお嬢様タイプだ。でも彼女の凄いところは、テレビやラジオの前だとそういった部分を一切表に出さない。完璧なプロなんだ。それに比べてお前は甘い―」


「やめて…」


「残念だったなぁ。コレもコレもコレも…お前の情報源はほんの一部、全部お前の家にあったりおの資料からなんだよ!」


 そう言いながら神崎は、壁に埋め込まれた本棚に並べてある物を床に叩き付けた。それは、全てりおに関する雑誌や写真集、そしてCD、DVD、カセットテープだった。そのほとんどがボロボロに破れたり、割れていたりしていた。


「やめてええええええええ!!」


 発狂しながらりおは神崎に襲いかかった。神崎はりおを力任せに振りほどく。枝木のように細いりおの体は思いのほか遠くに投げ飛ばされた。神崎は気にする素振りも見せず、全ての雑誌を床にぶちまけた。平積みになった雑誌や写真集、CDやDVD、カセットテープが辺り一面に散らばった。投げ飛ばされたりおは、床に手足と腰を付き、目線はそのまま床に置いてあるCDジャケットを見つめていた。


「それだけ好きになってくれて、りおさんもさぞあの世で喜んでいるだろうなぁ。けど…何も殺すことはないだろう? 何もしなくてもな…りおさんはあの舞台が終わったら、芸能界から引退するつもりだったんだから…」


 その言葉にりおは、すぐに神崎の方へと目線を向けた。


「―りおさんがどうしてこの舞台に賭けていたか、お前が知らなくても無理はない…。りおさんは…あの舞台が終わったら弟の直哉と結婚して芸能界を引退をするはずだったんだ。お前が、最後の舞台に賭けているという記憶を思い出せない理由…それは彼女の最後の舞台だったからだ。『この舞台に賭けている』それ自体は雑誌のコラムに掲載されていた内容だが、あんたは自分が佐々木りおなのに、その理由までは分からなかっただろう? それは、その理由が世間ではどこにも出回っていなかったからだ。この雑誌にも、この雑誌にも、何処にも書かれていないことだからなあ」


 神崎は落ちているボロボロの雑誌を幾つか拾い上げ、それをりおに突きつけた。


「…返してくれよ。弟とりおを…返してくれよお…」


 そう言うと神崎は、膝から崩れ落ち前のめりに倒れた後、小さな声ですすり泣いた。


「…ごめんなさい」


「あん?」


 神崎はりおの方を睨みつけた。


「…ごめんなさい。…私には…今の私には磯野笑美の記憶が一切思い出せない。い…今あるのは、私…いえ、佐々木りおさんとしての記憶のほんの一部だけ。そ…それだけしか…分からない。ごめんなさい。本当…ごめんなさい…」


 肩を震わせ小さな体に涙を堪えながら、りおは必死で神崎に謝罪をした。記憶のない、何も覚えていない自分の思い出に、彼女は涙を流し謝罪をした。


「―そうか。なら自分の本当の姿を鏡で見てみろ。この鏡はお前の真実を写してくれる」


 神崎は壁に埋め込まれた本棚の、少し出っ張った端の部分を横にスライドさせた。すると、その後ろから全身鏡が顔を出す。神崎に押されるようにりおはその鏡の前に立たされた。そこに写った自分と目が合い、その目が驚きで一瞬だけ大きくなったのが分かった。そこには自分とは違う、全くの別人が写っていたのだ。横一線の目。空を向いてる鼻。ゴツゴツした肌。そして、おかっぱの髪型。それはいつか何処かで見た顔だった。


「その鏡に映った面に黒ぶち眼鏡を掛ければ思い出すか?」


 神崎の言葉でりおは全てを理解した。


『コンナノ…ワタシジャナイ…』


「これがお前への…断罪だ」


 神崎のその言葉はもうりおには届いていなかった。すでに意識を失いその場に倒れ込んでいた。涙を流しながら倒れているりおのすぐ横には、本物のりおが表紙に写った週刊誌が落ちていた。その表紙には、いつも思い出す屈託のないりおの笑顔が写っていた。


 息を整えながら神崎は鏡の方へと向き直り「もういいぞ」と大きな声で叫んだ。

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