表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪者  作者: 天野悠午
3/12

三章

 りおが目覚めてからどれほどの時間が経っただろうか? 二人はテーブルを囲み、しばらく養成所時代の懐かしい思い出に花を咲かせていた。


「あー懐かしい。養成所時代のみんな元気にしてるかなぁ。仕事が本格的に忙しくなってからは、その後誰とも連絡を取らなくなっちゃたからなぁ…」


 りおは昔を懐かしんでいるのか、大きな目を細めてそう呟いた。


「そういえば、りおちゃんが養成所に入所して半年後に、正式にウチの事務所と契約をしたんだよね。勿論レッスンはその後もしばらく継続して受けてもらってたけど…」


 りおは軽く頷いた。神崎は話を続ける。


「じゃあここまでで僕たちが共通して会っている人を振り返ってみよう。まずはウチの社長だけど…りおちゃんはどう思う?」


「なんですか突然、どう思うって?」


 目をキョトンとさせてりおは答えた。


「ちょっと、僕らの目的を忘れたのかい? 僕らは昔話をするためにここにいるんじゃないんだよ。僕らを殺した犯人を探すために今こうして話しをしているんだ。社長が僕らを殺した犯人の可能性があるかどうかってことを聞いているんだ」


「あぁそっか。ごめんなさい。すっかり忘れてた…って何言ってるんですか!」


 まさか自分が所属している事務所の社長が私たち二人を殺すはずなんてないじゃないか。そう思いながらりおは社長の顔を思い出した。しかし、脳裏に浮かんでくる社長の姿は、何故だかハンカチで瞼を押さえながら号泣している姿ばかりだった。何故自分の記憶の中の社長が泣いているのか、何故他の姿は浮かんで来ないのか、りおにはその理由がさっぱり分からなかった。


 ―どうしたんだろう。私…。


 理由の分からない恐怖と不安が込み上げてくる。どんどん心臓の鼓動が速くなっているのが自分でも分かった。神崎はそんなりおの様子を察し、「どうしたの?」と優しい口調で尋ねた。


「え? あぁ…いえ。なんでもないです」


 慌ててりおは返答をする。本当は何でもなくないが、神崎に余計な心配をかけさせたくなかったし、それ以上に『社長の顔が思い出せない』ことを神崎には悟られたくなかったのだ。


「てゆうか私、あんまり社長と話したことないんですよねー」


 りおは作り笑いを浮かべてその場を誤摩化そうとした。


「あれ? そうなの? 僕はてっきり仲が良いのかと思ってた。社長の口からはよくりおちゃんの話しが出てくるから」


「そんなことないですよ。社長との記憶で鮮明に覚えてるのは、さっき言った『りおは男前だなぁ』って社長に言われたことくらいかなぁ…」


 そう答えたりおの表情を見て、何かを感じとった神崎は「僕に何か隠しごとをしていませんか?」と問いただした。


「え? そんなことはないですよー」


 そう言ってりおは再び笑顔でごまかす。神崎は彼女の目をじっと見つめた。


「りおちゃん、僕らは今、言って見れば運命共同体だ。お互いに隠し事をするのは止めよう。りおちゃんとはもう長い付き合いだ。何か隠していることぐらいすぐに分かるよ?」


 やや強い口調と真剣な表情で神崎は尋ねた。


「ごめんなさい。…本当は社長がどんな人だったか全然思い出せないんです。頭に浮かんでくる社長の姿も、何故だか泣いている顔ばっかりで…」


 まるで親に怒られている子供のようにりおは唇を噛んだ。


「―そっか…うん。正直に打ち明けてくれてありがとう」


 神崎がいつもの優しい表情に戻る。神崎はソファーから立ち上がると顎に手を当てて考えた。


「どうしてりおちゃんが、社長の泣いている姿だけしか浮かばないのかは分からないけど、死んでしまったら生きていた当時の記憶の一部が失われたりするのかも。ひょっとしたら僕もりおちゃんと同じように、忘れてしまっている記憶が幾つかあるのかもしれないね」


 ―そうか、死んだらひょっとして記憶の一部が抹消されるのかも。だから思い出そうとしても思い出せないのか…。


 りおはそう思った。そして神崎の一言に少しだけ気持ちも救われた。しかし社長のことを思い出せないことには違いない。犯人探しの役に立てていないと感じたりおは、小さな声で「すみません」と謝った。


「りおちゃんが謝ることじゃないよ。本当に死んだら記憶の一部が消えてしまうっていう推理は正しいのかもしれないし…」


 りおは自分が死んだ実感が今になって一気に押し寄せてきた。それはとても怖くて、ぎゅっと胸が締め付けられる様な思いがした。出来ることならこの場から逃げ出したい。一人になって泣きたい。これが夢であって欲しい。そして、みんなと楽しく平穏な日々を過ごしたい。そんな叶いもしない願いが、りおの頭をよぎった。


「さっきも言ったように、社長からよく君の話しも出ていたし、何と言っても佐々木りおはうちの事務所のトップだからね。君を殺害するにしてもその動機が見つからない。…僕の方はどうか分からないけどね」


 りおの不安な様子を察した神崎は、何とか彼女に元気を取り戻してもらおうと、敢えて自虐的な冗談を言って笑ってみせた。そんな神崎の心遣いを察したりおは、重い口を開いた。


「―あの、社長って普段はどんな人なんですか? 周りの人とかの話を聞いてると、なんかとっても厳しい人ってイメージがあるんですけど」「あぁ、仕事に関しては厳しいし、間違いなくプロだね。でも、仕事を離れればとっても良い人だよ。いつもつまらないダジャレばっかり言ってくるからこっちとしては疲れるんだけど」


 神崎の言葉にりおはにこりと微笑んだ。


「まぁ社長が犯人じゃないってことは、僕も自信を持って言えます」


「じゃあ社長が誰かを殺すとしたら、神崎さんだけということでシロで」


「あ、ひどいなぁ…」


 二人は顔を見合わせ笑った。一つ一つ解決していこう。そうすればきっと何か真実が見えてくる。りおは怖くても前に進む覚悟を決めた。


「えっと、それじゃあ次は…りおちゃんの最初にやった仕事について話そうか。何の仕事をやったか覚えてる?」


 神崎は再びソファーに腰を下ろし、りおに尋ねた。


「最初にやった仕事は、えーと。ドラマのエキストラの仕事ですよね?」「そうそう。よく覚えてたね?」「なんてったって私のこの芸能界での最初の仕事ですから」


 りおは自慢げに言う。


「確か、NHKで年始に放送されたドラマだったよね? 撮影現場はどんな印象だった?」


「現場よりもまず、とにかく朝が早かったことの方が印象的でした」


「ははは…。ドラマの撮影は朝が早いのが付き物だからね。撮影場所が遠かった場合は、前乗りで近くのホテルに泊まれるからまだ楽だけど、現場が始発の電車で間に合う場合は、本当に辛いよね、あれ」


「しかも待ち時間も長い…」


 エキストラの仕事はほとんど出番が回ってこない上に、ずっと待たされていることの方が多い。りおはそんな当時の現場を振り返りながら答えた。


「これからたくさんのドラマに出演するにあたって、最初はエキストラでもいいからとにかくりおちゃんに現場の空気や雰囲気を味わせろって社長に言われ、僕がその仕事を取ってきたんだ」


 確かに、あの頃の苦労があるから現在でも、エキストラの人たちの気持ちが良く分かる。りおが『実るほど 頭を垂れる 稲穂かな』という言葉を座右の銘にしているのは、この当時の経験があるからだ。


 それに、あの現場で思わぬ収穫があったことをりおは思い出した。


「そういえば、あの現場のワンシーンで主演の上木慶太さんの隣にたまたま座ることが出来たんです」


「上木慶太…凄いじゃないか!」


 上木慶太は三十代の本格派若手俳優だ。元々は舞台俳優で『企画演劇集団ジュークボックス』という劇団に所属していたが、二十五歳のときにNHKの大河ドラマの準主役に抜擢されると、瞬く間に人気に火がつき、現在は舞台活動をやりながらテレビドラマにも出演している演劇界期待のホープだ。


「確か内容って…バスケットのドラマだったよね?」


 神崎が尋ねた。


「はい。プロバスケットの選手で、怪我をして客席から応援している上木さんのシーンで私、隣に座ったんです」


「りおちゃんはそこでは何の役だったの?」


「どうせ私は名前のない、ただの観客役ですよーだ」


 分かっていながらわざとそんな質問をしてくる神崎にやや苛立ちを覚え、眉間にシワを寄せながら答えた。


「あ、ごめんごめん。でも、観客てことは結構なエキストラの数だったんでしょ? それでも第一線で活躍している上木慶太の隣に座れるって、やっぱり何か持ってるんだろうね、りおちゃんはきっと」


「いえ、抜き撮りだったから、敵も味方もよく見ると同じお客さんっていうぐらいの小規模な人数ですよ」


 抜き撮りとは、撮影で必要と思われる情景を選んでその部分だけを撮影することだ。ロケの場合、同じようなシチュエーションやアングル等を、抜き撮りでまとめて撮影されることが多い。


「それでも運がいいよ。で、その時上木さんと何か話しをしたの?」


 神崎は子供のように目を輝かせて尋ねた。


「え、あぁ私からは話すことが出来なくて…」


「え、なんで? チャンスじゃない?」


「いや、緊張しちゃって。あと、上木さんが隣ですっごい集中してたんです。リハーサルなのにずっとその前から、人目を気にせずブツブツと台詞をしゃべってるんです。…やっぱプロってすごいなと思いました。そしたら…」


 神崎は興味津々に相づちを打った。


「そのシーンのリハーサルが終わって次のシーンまでの間、上木さんの方から私に話しかけてくれたんです」


「なんて?」


「君はプロの役者さんなの? って」


「で? …それでりおちゃんは何て答えたの?」


「上木さんからしたら、何てことのないただの会話だったんだろうけど、私の脳内ではその瞬間にいろいろ考えちゃいました。『はい』って言ったら、エキストラのくせに。って思われるんじゃないか。『いいえ』とか、『まだプロじゃないです』って言ったら、エキストラとはいえ、プロ意識が低いって思われるんじゃないかって」


 神崎は黙って相づちを続ける。


「―だけど、その言葉を受けた時に、扉が突然開いたというか、その瞬間にプロ意識が芽生えたというか。だから私、上木さんに言ったんです。『はい。まだまだ未熟者ですが、プロでやってます』って」


「―正解」


 神崎がそう答えた。


 『正解』という言葉は神崎の口癖だ。

 相手が自分の思う最良の答えを出して、それが自分の答えと一致した時に、いつも爽やかな笑顔を浮かべてそう答える。最初は上から物を言っているようであまり良いイメージがしなかったが、今では神崎さんからこの『正解』という言葉を聞く度に、背中を押されたように安心する自分がいた。

 その言葉にりおは、自分の選択は間違いなかったんだな。と当時のことを振り返りながら、話しを続けた。


「だから私、朝早くから夜遅くまで、丸々三日も撮影があってすっごく大変だったけど、本当に勉強になった最初のお仕事でした。この場を借りて、ありがとうございました」


 座っていたソファーから立ち上がり、りおは深々と頭を下げた。


「いやいやいや…まぁ、もちろん上木さんと僕は面識もないし、そうなると当然容疑者でもないだろうから、話しを元に戻そうか。えーと、ウチのレッスンについてはどうだった?」


「事務所のレッスンですか? 週三日の三時間しかないレッスンだったけど、実は毎回レッスン前は凄く緊張してました」「さっきも言ったけど、そんな風には見えなかったなぁ…」


 りおは大きく首を横に振った。

「そんなことないですよ。いつも、よし! って気合いを入れて臨んでました。実は、一番最初のレッスンのときに、入り口の扉を開けて元気におはようございます。ってみんなに挨拶しようとしたら、声が裏返っちゃったんです」


「それってホントに最初の第一声じゃない」


 笑いながら神崎は答えた。


「そうなんです。だからすっごく恥ずかしかった」


「でも僕も合間があると、ちょくちょくレッスンを見学してたけど、りおちゃん、どんどんレッスン生みんなを引っ張ってたよね」


「じゃなくって。…誰かがやらないと誰もやらないなって思ったから。周りにいた子たちがもちろんそうじゃない子もいたけど、幼いっていうか、意識が低いっていうか。あとは、やっぱり上木さんのあの時の言葉が大きかったんだと思います」


「レッスン生のみんなからヤッカミってなかったの?」


「なんですか? 『ヤッカミ』って?」


 神崎の問いにりおは目を丸くして答えた。


「うーん、解りやすく言うと『嫉妬』ってことかな」


「え? うーん。私はあんまり感じなかったなぁ」


「そっか。じゃあクラスの中の誰かが犯人って線は少ないか…」


 神崎は腕を組み天を見上げた。


「ちょっと! あるわけないじゃないですか! 神崎さんも分かってるでしょ。そんな悪い人なんてあのクラスに一人もいなかったって!」


 りおは顔を真っ赤にして答えた。


「ごめん。そうだよね。みんな凄く良い奴ばかりだったからなぁ…」


 そう言いながら神崎は、再び当時に頃を思い出した―。



 ※



 二〇〇四年十二月。午後五時。アルファビジョンのレッスンスタジオ。


 年内最後のレッスンが終わりを迎えようとしていた。

 神崎はゆっくりとスタジオの扉を開け中へと入る。そしてレッスンの邪魔にならないよう、そっといつもの見学スペースに用意してあるパイプ椅子に腰を掛けた。この八ヶ月の間、神崎はどんなに忙しいスケジュールでも、週に一回は必ずレッスンを見学するように務めていた。

 講師の影山祐子が生徒の前に立ち、終了前の話しをしていた。


「じゃあ、今年のレッスンはこれで終わりですが、皆さんには来年の最初のレッスンまでにやってもらいたい宿題があります」


「えー!」


 生徒たちの決まりきった反応に影山が笑みをこぼす。


「年明け後の残り三ヶ月のレッスンは一年の集大成で、一つの作品を作りたいと考えています」


 さっきまで緊張感のあったスタジオが急にザワつき始める。

 影山の行うレッスンは、最後の三ヶ月間を利用して一つの作品を作るのが毎年の恒例だった。そこで生徒たちがこれまでの期間でどれだけの演技力、協調性、集中力、行動力が養われたかを見極めているのだ。


「自分が今まで見た中で一番印象に残っているお芝居のシーンを一人、二分から三分にまとめて、それを一つのお芝居として皆で繫げていって欲しいの」


「えー、そんなの難しいよぉ」


「難しく考えずに楽しく考えましょう。ルールはそれぞれのシーンを一つに繫げるだけ。あとは自由。共演者が必要な場合は、みんなで相談をして決めてください。まずは何の作品をやるか、来年まで決めてきてください。これが宿題です」


 今年最後のレッスンで、この宿題を出すのもいつものことで、影山の笑みがこぼれた理由にこの課題を聞いたときの生徒たちの反応が毎年同じであるということと、何よりこの課題を楽しんでいるのが影山本人であるということを神崎は知っていた。


「じゃあ俺『セカチュー』やろう」


「あーそれ俺も考えてたのに…」


「誰か俺とセカチューやる人ー?」


「シーン」


「何だよ。誰か相手役やってくれよお」


「わははは…」


「私は『レオン』やろっと」


「俺は『新撰組』」


「あ、それ俺も出たい」


「私もー」


「『新撰組』って女いねーじゃん!」


「いーじゃん! そんなのー」


「じゃあ私、沖田総司やるー」「俺は歌って踊りたい。えいこ~にむかってはしる~」


 生徒たちの歌い声がスタジオ内に響き渡る。神崎はその光景をただ微笑ましく見守っていた。



 ※



「…崎さん? 神崎さん」


 りおの呼びかけで神崎は我に返った。


「どうかしたんですか?」


 心配そうな顔でりおが尋ねる。


「いや。なんでもないです。あ、そういえばりおちゃん、初舞台でいきなりの主役に抜擢されたよね?」


「え…あぁ、はい。でも、周りの役者さんがベテランの方々ばかりだったから、周りの共演者に凄く助けられたのを覚えています」


「りおちゃんの方から舞台の仕事がしたいって希望したんだよね。どうして舞台をやろうなんて思ったの?」


「うーん、影山さんの影響かな」


「影山さんの?」


「だって、あの人元々舞台の演出家さんじゃないですか」


「あぁそうだったね。事務所じゃレッスンの講師だけど、普段は『劇団Atashi』の主催兼、脚本兼、演出兼、女優さんだからね」


 影山祐子は、女優の時は『Yuco』名義。そして、脚本、演出の時は本名の『影山祐子』で、主に下北沢の小劇場を中心に現在も活動をしている。年齢は三十五歳。二十代の時にはCDも出していて、三十二歳の時には自身の脚本が、『岸田國士戯曲賞』の最終候補まで選出されるという実績を持っている。アルファビジョンで講師を行うキッカケは、たまたま影山の舞台を観劇した社長が影山をいたく気に入り、ワークショップ(演技レッスン)を事務所内で行って欲しいと打診し影山はそれを快く承諾した。その後は事務所公認の養成所を立ち上げるに当たって、正式に講師の一人として毎年入所する役者志望の若者に演技指導を行っている。


「影山さんの舞台を観に行ったことってあります?」


 りおが尋ねた。


「ううん。残念ながら観に行ったことはなかったなぁ」


「えーそれって凄い人生損してましたよ。死ぬ前に観て欲しかったなぁ。女優さんばかりの劇団で、いつもイケメンの俳優をゲストに迎えて、その人を弄り倒すっていう、とことんドSな劇団なんですよ」


 りおはテーブルに身を乗り出し、興奮しながらも饒舌に説明を始めた。


「なんか普段講師やってる影山さんとは随分イメージが違うなぁ」


 りおのテンションに圧倒された神崎は、少し後ずさりをしながら感想を述べた。


「そうなんですよー! だからすごいギャップがあって面白くって!」


 そのりおの興奮した様子を眺めながら、今度は神崎が話を切り出した。


「―りおちゃん、あの時のことまだ覚えてる?」


「あの時?」


 りおが眉を潜めて聞き返す。


「りおちゃんが初めて出演した舞台のこと」


「えぇ、覚えてます。『CROSS』ですよね?」


「そう。佐々木りおの初舞台にして初主演の作品です」


「はは…」


 りおは恥ずかしそうに、こめかみ辺りをポリポリとかいた。


「もちろん舞台のオーディションもあれが初めてだったんでしょ?」


「はい」


「そういえばオーディションって何をやったの?」


「ストレートプレイのお芝居だったんですけど、劇中で歌とダンスもあったので、その三つをオーディションでやったと思います。多分―」


「多分?」


 神崎はきょとんとした顔でりおを見ている。


「作品については覚えてますけど、正直オーディションで何をやったかまでは忘れちゃいました」


 悪びれることなくりおは答えた。


「なるほど。いや、別に気にしないでください。ただの世間話しで覚えていることだけを答えてくれればいいです。そういえばあれって、先にオーディション用の台本が事務所に届いてたんですよね?」


「確かそうだったと思います。大体ああいうのって、その作品の中から二、三ページ分の台詞を台本の中から抜粋してやるんですよね。手元に届くのもオーディション当日の三日か四日前くらいに」


「そうだよね。僕は役者時代、台詞覚えがそんなに良くなかった方なんだけど、みんなよくまぁその期間内に台詞を覚えられますよね?」


「オーディションってそれも含めて試されてるんですよ、絶対」


「それでこそプロだよ。りおちゃんも完璧に覚えて臨んだんでしょ?」


「もちろんです」


「上木さんの言葉が生かされてるね」


「そうですね。でも―」


「でも?」


「私みたいな養成所でしか演技経験がなかった人間をよくオーディションで合格させたなぁって思います」


「それはあちらさんサイドがりおちゃんに何か可能性を感じたんだと思うよ」


「そうかなぁ、私はこの初舞台については凄い胃に穴が開くほどのプレッシャーがあって、本番が終わってからも『あー私ってば全然周りが見えてなかったなぁ』ってしばらくの間、ずっと反省した記憶しかないからなぁ…」


「はは…そうだよね。あの時は相当苦しんでたよね」


 苦笑いを浮かべながら、神崎は当時のことを思い出した―。



 ※



 二〇〇五年四月。午後二時二十五分。都内某所にあるスタジオ。


 横長のテーブルが長方形の形にセッティングされ、そのテーブルの上には出演者の名前が記された三角プレートと台本が丁寧に並べられている。十五名の出演者がそこに腰を下ろし、神崎を含む各マネージャー達は皆、壁際で直立して自社のタレントを見守っている。これから、ラビッツカンパニー主催の第二十二回公演『CROSS』の顔合わせが行われようとしていた。


 午後二時二十八分。演出家の森川が一番最後にスタジオに現れる。


 森川まさのり。四十二歳。六歳の頃から母親の影響でクラシックバレエを習い始め、二十二歳の時にミュージカル作品で俳優としてデビュー。その後、しばらくは俳優業と演出業を掛け持ちしていたが、三十歳をキッカケに本格的に演出家として一本立ち。それ以降は、ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、ダンス公演等、様々なジャンルの演出を幅広く手掛けている日本を代表する演出家である。


「おはようございます!」


 関係者一同、現れたのが森川と確認するや否や、さっきよりも声を張り森川に挨拶をする。さっきまで緩んでいたスタジオが一気に張り詰めた空気へと変わった。先にスタジオ入りし準備をしていた演出助手の村山が、ストローを差したミネラルウォーターを森川に差し出す。彼はそれを口に含みながら、集まった出演者の顔を柔和な笑みでゆっくりと見て、そして最後に口を開いた。


「みなさんおはようございます。ではこれより、ラビッツカンパニー第二十二回公演『CROSS』の顔合わせを始めたいと思います。皆さん今日から一ヶ月間、どうぞよろしくお願いします」


 森川がそう言うと、皆からワァという大きな歓声と共に拍手が沸き起こった。


「この作品は五年前にやった舞台の再演です。その時の初演に参加してくれた出演者も今回何人かいますが…なんだコニスケ? お前も出るのか?」

 森川のボケに、コニスケという役者が困惑し、それを見た一同から今度は笑いが起こる。


「―じゃああまり時間もないので、まずはこれから一ヶ月間、家族となるみんなの自己紹介をお願いします」


 森川がそう言うと、出演者が順々に自己紹介を行う。中には特技のダンスを見せたり詩吟を始める者もいた。そして、りおに順番が回ってきた。神崎だけじゃなく誰の目から見ても、りおが緊張しているのは明らかだった。


「…アルファビジョンから来ました、佐々木りおです。…今回初めての舞台ですごく緊張していますが、一生懸命頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願いします」


 りおが皆に向かって深々とお辞儀をする。


「今回、僕が注目している期待の若手女優の一人です。演技経験が浅いから真っ白な状態でこれから頑張ってくれると期待して、今回唯一の女性キャストの中でのオーディション合格者に選びました」


 その森川の言葉で再び周囲から拍手が沸き起こった。当事者のりおは驚きの表情を浮かべている。神崎はもちろん他の関係者も、女性の中のオーディション合格者がりお一人だけとは知らされていなかった。後に神崎が聞いた話しだと、他の女性キャストは、森川が直接オファーした女優や、自身が行うワークショップ等で直接指導したことのあった女優ばかりを選んだそうだ。

 全ての出演者が自己紹介を終えると、次に演出助手の村山がこの公演稽古にあたっての注意事項を述べ、そしていよいよ、出演者の目の前に置かれた台本を手にとって開くようにと森川から指示が飛んだ。


「じゃあとりあえず、まずは適当に配役を当てていくんで、自分の思うようにお芝居をしながら台本を読み合せましょう」


 りおは、あまり台詞が多くない『エリカ』という役を当てられた。


 ―まぁ、初舞台なんだし当然といえば当然だろう。


 りおの後ろで立っている神崎は心の中で呟いた。全ての配役の割り当てが終わると、しばらく台本を読む時間が与えられた。


 三十分後。


 鬼の森川が作り出す重苦しい空気と、それに負けまいとする役者たちの現場を盛り上げようとする空気が入り混じった中、台本の読み合わせがスタートした。


「―おい、ストップ」


 さっそく森川が手を叩いて本読みを止める。


「お前ら本読みしてるわけちゃうんやぞ。台詞を、命を与えられとるんやぞ。なんで命を吹き込まんのや。もう一回頭からやれや」


 指導に熱が入ると、森川は喋り方が関西訛りになるらしい。


「だーかーらー、気持ちを込めろっつったやろ。特に初演に出てた奴ら。なんで本気でやらねぇや? お前ら今日がただの顔合わせだからって、浅いところでナメてんやろが。もっと本気出してやれや!」


 森川は大きく声を上げた。声を上げることで皆の気合いを煽った。


 こうして一回目の読み合わせが終える。フーっと大きく息をついた後、森川は「少し休憩を取ってからもう一回、今度は配役を少し変えてからやるから。えーと、そしたら…佐々木さんと町田さん、今度はちょっと役を交代してやってみようか? 佐々木さんがカンナで、町田さんがエリカの役でやってみて」と告げた。

 十五分の休憩時間中、りおと町田は与えられた役の台詞を入念にチェックした。他のメンバーもそれに触発されてか、ブツブツと台本を粒立てて読んでいる。皆、それぞれ気合いを入れ直し、再び読み合わせへと臨んだ。


 二回目は森川に止められることなく読み合わせが終えることが出来た。森川も満足げな表情を浮かべている。


「そしたら、また少し休憩を取ってから配役発表をするのでよろしくお願いします」


 皆の表情が緩む。中にはドッと疲労感に襲われている者もいた。それぞれが配役の予想をしながら和気藹々とこれから告げられる発表を待った。が、十五分以上経ってもまだ話し合いが行われているのか、一向に森川と村山が奥の部屋から戻って来ない。しばらくの間は、各自で台本を黙読していたが、二十分以上過ぎても森川たちが戻って来ないことに痺れを切らした一人の役者が「もう一回さっきの配役で本読みをしないか?」と提案を持ちかけ、皆がそれを快く快諾した。

 それから更に十分程が過ぎ、ようやく森川と村山が戻ってきた。


「みんなスマンスマン。それじゃあみんなのお待ちかねの配役発表に移ります。まず主人公のカンナ役―」


 この舞台の肝となる座長の発表の瞬間だ。皆は固唾を飲んで森川の言葉を待った。


「―この配役が実は最後の最後まで迷いました。でも、今回新たな挑戦と、この子の可能性に賭けようと決めました。―佐々木りお。頑張ってください」


「え?」


「ただ当然、明日からの稽古を見させてもらって、やっぱりイメージに合わなかったら降板や配役を変更する可能性もあるのでそのつもりで臨んでください…」


「あ…はい」


 徐々に周囲が騒ぎ立ち、その後に『おめでとう』と歓声と拍手が沸き起こった。


「じゃあ次、キョウヘイ役―」


 ―こうしてりおは初舞台にして主演のカンナ役を演じることとなった。初日の顔合わせが全て終わり、りおはぐったりとした様子で神崎が立っている後ろを振り返った。


「お疲れ。やったじゃないか、りおちゃん!」


 ポーンと肩を叩き、神崎がにっと笑みを浮かべて言った。


「…いえ、まだこれからですよ」


 弱々しい声で、りおが言う。そうした中、りおの元にコニスケが近づいてきた。


「おめでとう佐々木さん」


「あ、コニスケさん。すみません…なっちゃいました。なので、よろしくお願いします」


 りおが申し訳なさそうに応える。


「でも、これからだからね…」


「え?」


「森川さん、鬼の演出家で知られているから。たぶん佐々木さん、今回のターゲットになると思う。それ相当の覚悟で臨んでおいた方がいいと思うよ」


「肝に銘じときます。お疲れ様でした…」


 その帰り道、りおは神崎とほとんど言葉を交わさなかった。表情からもいつもの笑みが消えた。神崎もそれを察し、敢えて話しかけるのを止めた。


 次の日から本格的に舞台稽古が始まった。その中で毎日のように稽古場で、りおは『鬼の森川』に罵声を浴びせられていた。


「ここは演技のレッスン場じゃねぇんだぞ!」


「はい。すみません―」


「ここの佐々木の役は邪魔をするトコなんだけどなぁ。それじゃあただの邪魔なんだよ。意味分かるか、オイ?」


「はい。すみません―」


「板の上で考えんな。考える暇があったら動け!」


「はい。すみません―」


 他の共演者にも厳しい罵声が飛んだりもするが、主演のりおに関しては、それに輪をかけた熱の入りようだった。芝居以外にも、ダンスや歌もある舞台だ。覚えることも要求も山積みだった。そして、更に日を追う毎に主演のプレッシャーも彼女に襲いかかった。


 お客さんに批判されたらどうしよう。

 私の至らないダンスや歌や演技で、チケットが売れなかったらどうしよう。

 共演者の足を引っ張ったらどうしよう。

 森川さんの演出した作品に泥を塗ったらどうしよう。


 その日も稽古が終わってから、どうしても自分の芝居の出来に満足がいかず、共演者の一人一人に夜間稽古をお願いしたのだが、スケジュールの都合で「明日も朝早い時間から仕事があるから」と断られてしまう。仕方なく外の公園で一人で稽古しようとしたが、タイミングが悪く大雨が降ってきた。それでも本番は待ってくれない。どうしたらいいのか分からず、稽古場から近い最寄の駅中でりおは途方に暮れていた。


 あれだけ望んだ舞台なのに。

 こんなに辛いものだなんて。

 いっそのこと逃げ出しちゃえば楽になるのかなぁ―。


 ―その時だ。駅で電車を待ってるりおの背中から、暖かい男の人の声が聞こえてきた。


「別にアピールするためにやってるんじゃなくて、自分自身のためにやってるんです。ここで絶対に一番にならなきゃ、この後何処へ言っても潰されちゃうから…」


 りおが後ろを振り返ると、そこには神崎が立っていた。


「ごめんね、りおちゃん。今日の稽古見学に行けなくって…」


 張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、りおは神崎の胸に飛び込んで泣いた。


「りおちゃん、僕には何もしてあげられないけど、さっきの言葉覚えてる? りおちゃんが初めて僕と会った時に言ってた言葉。今のりおちゃんは色んな物を抱え込み過ぎだよ。もっと共演者に甘えていいんだよ。その後、終わってからの稽古がしたいんだったら僕がとことん付き合うから…」


 その日から、りおは少しずつ周りの景色が見えるようになった。稽古が終わってからも、今度は神崎と二人でアルファビジョンのスタジオを開放してもらって自主練習を行った。そうしていくうちに次第に周囲からも信頼度が増していき、稽古終盤の通し稽古(途中で中断することなく本番通りに行う稽古)に差し掛かった頃には、りおの呼びかけで連日のように全員で自主練習を行うようになっていた。

 それから数日後。舞台の幕を開け、そしてあっという間に千秋楽を終えた。カーテンコールが終わって楽屋に戻ったりおは、全てのプレッシャーから解き放たれ、その場に泣き崩れた―。


 その日の打ち上げ会場。演出の森川は出演者一人一人に大入り袋を手渡し、それぞれ感想を述べた。


「―りお、お前最初はどうなることかと思ったけど、稽古中盤辺りからだんだん座長としてみんなを引っ張っていってくれて、そして最終的にはこの座組みを一つにしてくれました。本当にありがとう」


「私の方こそ本当にありがとうございました」


「初演の『CROSS』でカンナを演じた役者と比べたら、全てがまだまだで未熟でした」


 森川はりおの目を見て笑顔でそう言った。りおは、ただただ「すみませんでした」と申し訳なさそうに答えた。


「―でもな、気持ちだけは完璧だった。役者は台詞回しもダンスも歌も立ち振る舞いもどれも大事だ。でも一番大切なのは気持ちだ。りおにはそれが感じられた。顔合わせの時の読み合せからずっとそれが感じられた。俺はお前の芝居が大好きだ。でもここからがスタートだからな。ありがとう。お疲れ様でした―」


 そう言うと、森川は大入り袋を渡した後大きな手を差し出した。りおの小さな手を森川の両手が優しく包むと、りおは嗚咽をしながら号泣した。神崎は、周囲と共に拍手をしながら優しい眼差しでずっとそれを見つめていた。



 ※



「―気持ちが大切。影山さんも森川さんも同じことを言ってくれました。だから私、演技の先生でもある影山さん、そして初めて演出を付けてくださった森川さんには今でも凄く感謝してるんです」


「―その影山さんが犯人っていう線はないかなぁ?」


 今までの空気を切り裂くトーンで神崎は尋ねた。


「森川さんについては、僕の方が挨拶くらいしか会話を交わしたことがないからアレだとしても、影山さんについては犯人の可能性は十分にあると思うんだ」


「それは絶対にないですよ。確かに私と神崎さんの両方を知ってるし、私の最後の舞台も観に来てくれた。…でもでもでもでも、私に恨みなんてあるわけないじゃないですか」


「―それがそうでもないんだよね」


 少し間を空けて神崎が答える。


「え?」


「実は俺、以前影山さんと揉めたことがあるんだ。…君のことで」


「私のことで?」


 りおは一瞬ドキリとした。


「そう。りおちゃん、事務所のレッスンきちんと卒業してないでしょ?」


「え、うん。だって途中でどんどん仕事が入って…忙しくなって、そのままなし崩し的に行けなくなっちゃったから…」


「そうなんだよね。今や『佐々木りお』を知らない人はいないっていうくらいまで有名人になっちゃったからね」


「それは言い過ぎですよー」


「そんなことはないよ。NHKの朝の連続テレビ小説にも出演して、年配の人たちもりおちゃんのことは知ってるし。実際僕のおふくろも、今その娘のマネージャーをやってるんだって言ったら驚いてたし」


「はは…」


 りおは乾いた笑いを浮かべた。


「で、その初舞台の話しに戻るんだけど。あの人も舞台人として携わってるでしょ。だからまだ発展途上中なりおちゃんが、初舞台で初主演。おまけに大きな劇場でとなったら、影山さんとしてもきっと面白くなかったんじゃないかなぁ。ずっと反対してたんだよ、実は」


「影山さんが?」


 恩師と呼べる存在の影山さんが自分の仕事を陰で反対していたなんて。りおは驚きを隠せなかった。


「うん。まだまだ演技の基礎も出来てないのに、よそで変なクセが付いたら困るって」


「でも、それって私のことを心配してくれたんじゃないんですか?」


 りおは、神崎の言ったことがどうしても信じられなかった。今まで自分のことをずっと見守っていてくれていた恩師の影山が、自分には直接言わず、マネージャーの神崎だけにそんなことを申告するはずがない。きっと何か考えがあってのことだと思った。いや、思わずにはいられなかった。


「うーん、どうだろう…」


「え?」


「だって。同じお芝居の世界にいる人でしょ? 多かれ少なかれ嫉妬ってあると思うよ、きっと…」


「嫉妬…」


 その言葉にりおは一瞬耳を疑った。神崎の口からそんなネガティブな言葉が出るとは思わなかったからだ。この場所で出会う前の神崎は、もっと周りの人間をやる気にさせるような発言をしていたのに。今の目の前にいる神崎はそれとはまるで別人のように思えて仕方なかった。


「いくら事務所から演技指導を任されているからって、やっぱり一役者。一女優。自分より後にこの世界に入った右も左も分からない新人女優が、千人以上も入る大きな劇場で初主演って面白くないと思うよ、きっと」


 りおは唇を噛み締め聞いている。神崎は話しを続ける。


「それからもとんとん拍子に女優としての階段を駆け上がっていく君を見て彼女は思った。いつか佐々木りおがこの芸能の世界から落ちていかないかと。それからしばらくして、君は一流女優の仲間入りをした。当然彼女としては面白いわけがない。そんな中、君の舞台を見に行く機会に巡り会った。連日の稽古と本番の疲れ、そしてプレッシャーも相当大きかったのだろう。身内が観に来た本番でついつい羽目を外してしまいお酒を飲み過ぎてしまった。意識朦朧の中フラフラと帰宅している君を見て、チャンスは今しかないと、思った彼女は持っていた裁ち鋏で…」


「やめてください!」


 りおは強い口調で神崎の言葉をかき消した。


 この後何かを話すだろうと予想し、神崎は黙ってりおの方を凝視している。


「そんなわけ…そんなわけないじゃないですか。影山さんがそんな人じゃないことは神崎さんもよく知ってるでしょ? 影山さんみたいな綺麗で誰からも慕われてるような人が、嫉妬で人を殺すなんて考えられない」


 りおの反論を聞いた神崎は目を細めた。


「綺麗? 君は見た目で人を殺しそうとか、殺さなさそうって分別するのかい?」


「そういうわけじゃないですけど…」


「それは逆に、不細工な顔や怖そうな顔をしているという人は真っ先に犯人として疑われると。君は今そういう風に言っているんだよ」


「そんなことは言ってません!」


 りおは神崎を睨みつけ否定をする。


「一つ教えておいてあげるよ。所詮人間なんて見た目じゃわからないんだよ。見た目をごまかしている生きている人間はこの世にはたくさんいるんだよ」


「それってどういう意味ですか?」


 りおにはその発言の真意が分からなかった。


「いえ。深く考えないでください。…ごめん。少しりおちゃんに意地悪がしたかっただけです。容疑者をどういう風に考えているのか。…影山さんは、確かにその日の千秋楽君の舞台を見ていたけど、一緒に観にきていた役者仲間の友人がずっと自分と一緒にいたと証言してくれたから、彼女はシロだ」


 神崎は冷静な口調で話しを戻した。りおは初めて見た神崎の一面に動揺を抑えきれないでいた。神崎はそんなことなどお構いなしに話しを続ける。


「その友人が共犯という線もない。二人は数年振りに久々に再会して、終演後に僕らと行動を共にせず、朝まで飲んでいたらしい」


 その言葉を聞いて、りおには一つ腑に落ちないことがあった。


「え? どうして二人が朝まで飲んでたって知ってるんですか? だって今日ってその飲み会の次の日でしょ? 死んだ後ってそんなことも分かるの?」


「…実は、僕はりおちゃんが殺されてからずっとずっと後に殺されたんです」


「え?」


「四年後に…」


「そんなに…私が死んでからそんなに経ってるの?」


「えぇ…」


 りおは言葉を失った。自分の中ではつい昨日の出来事のように思っていたが、まさかそんなに年月が経過していたなんて。更にりおは、新たに持ち上がった疑問を神崎に投げた。


「でもどうして、その四年後に神崎さんが殺されるんですか?」


 しばらく間が空いた後、神崎はゆっくりとその理由を話し始めた。


「僕の兄が警察官でね。君を殺した犯人をどうしても見つけたくて、兄と協力して犯人を探していたんだ。正哉は警察内部や現場周辺で聞き込みを。僕はビラを撒きながら犯人の足取りを追ったんだ」


「そうだったんですか…」


「何分事件現場に証拠となるものが一切なくてね。唯一あったのは刺さっていた凶器の裁ち鋏だけ。せめて誰か目撃者がいないかを探していたんだ」


 神崎はソファーから立ち上がり、尚も話しを続けた。


「仕事の空いている時間を見つけては、毎日のようにそれを繰り返していた。そしたらある日後ろから刃物のような物で首を刺されて、まぁ後からそれが裁ち鋏だと分かったんだけど。それから僕はそれで全身滅多刺しにされた。熱い血がたくさん出ていた記憶があるよ。そこから先は自分でもよく覚えていないんだ。気が付くと真っ白な部屋で目が覚めた。その部屋には一人の老人が立っていた。『君はもう死んでいる』、さっきりおちゃんに言った同じことを僕もその爺さんに言われたよ。それからその爺さんに色んなことを教えてもらった。此処がどういった場所なのかとか。どうやったら成仏が出来るのかとか。…呪いの掛け方とか…」


 りおはごくりと唾を飲んだ。


「ほら、さっき君に見せた僕らの殺されているところを映像化する力。あれも、その時の爺さんに教えてもらったものなんだ。センスがないからあんまり長い時間は引っ張れないけどね」


 そう言いながら神崎は苦笑した。

 りおは言葉が出なかった。五年もの長い歳月をかけて自分を殺した犯人を探してくれてたなんて。きっと自分が逆の立場だったら出来ない行為だろう。今自分が神崎にお礼を言っても、全てが軽い言葉に聞こえてしまう。りおは、さっきまで神崎を攻めていた自分を恥じた。


「りおちゃんは、この先もっともっとたくさんの素敵な未来があった。それに舞台もやりきってはいない。だから…この世に未練があるから、五年以上の歳月が流れても、まるで昨日のことのように舞台の夢をみちゃうんだろうね、きっと…」


 りおは項垂れながら話しを聞いている。


「実は、僕も死んでからどれくらいの年月が経っているのかよく分かっていないんだ。ひょっとしたら、何年も何十年も時間が経過してるかもしれないね」


「―神崎さん」


 りおは首を上げて神崎の方を見た。


「ん?」


 神崎は目を見開いてりおの方をじっと見ている。


「絶対、絶対犯人見つけようね」


「―ありがとう」


 神崎は優しく微笑みながら、再び過去を思い出した―。



 ※



 二〇〇九年十一月。


 佐々木りおがマンション前で遺体となって発見されてから二週間後。事件現場となったマンション付近。

 紅葉が散り始めている中、神崎は道行く人々に『佐々木りおの事件の目撃者を探しています』と書かれたビラを丁寧に配っていた。


「佐々木りおの事件に関する情報を探しています。どんな細かい情報でも結構です。怪しい人を見たとか、そういった情報があれば、目黒警察署の神崎という警察官にぜひご一報ください。皆様のご協力をお願いします」


 神崎の前を一組のカップルが通る。差し出すビラをカップルの彼女の方が受け取り、彼氏に言った。


「あーこれってこないだニュースでやってたやつだ。佐々木りおってこの辺りで殺されたんだ」

 彼女が見ているビラを彼氏も顔を覗きこみ見ている。


「まだ若いのに可哀想だよね。どうか頑張ってください」


 カップル二人が神崎に軽い会釈をする。


「ありがとうございます。どうかよろしくお願いします」

 神崎もそう言って頭を下げると、また別の通行人にビラを渡しにいった。



 ※



 二〇〇九年二月。


 同じくりおのマンション付近の殺害現場。粉雪が降り注いでいる。

 神崎は今日も変わらず丁寧にビラを配っている。五名の佐々木りおファンの若者、三名の事務所関係者もそのビラ配りに協力している。ビラには『捜査特別懸賞金百万円』と追記されていた。


「佐々木りおの事件に関する情報を探しています。どんな細かい情報でも結構です。怪しい人を見たとか、そういった情報があれば、目黒警察署の神崎という警察官にぜひご一報ください。犯人逮捕にご協力頂いた際には、報奨金もご用意しています。何卒、何卒情報のご協力をお願いします」


 寒空の下、神崎を含めた九名は何度も何度もその言葉を口にした。



 ※



 二〇〇九年十月。


 佐々木りおが亡くなって一年が経過した。

 ずっとビラ配りを協力してくれていたファンや関係者が一人、また一人と神崎の前から姿を消していくが、神崎は一人になっても毎日休むことなくビラ配りを続けていた。懸賞金はすでに二百万円になっていた。


「佐々木りおの事件についての情報を探しています。情報はどんなことでも結構です。何卒、犯人逮捕にご協力を、ご協力をお願い致します」


 この頃になると事件も風化され、ほとんどの人が神崎が差し出すビラを受け取ってはくれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ